10月14-15日(土—日) アルプス周遊券による列車の旅
Yungfraujoch から南方を眺める
13日(木)の夕食を共にご馳走になった、Mr.Steinerのお隣、
エルブ夫人の提案と時刻表
先ずは次に示すチューリッヒ-ジュネーブ間のラウンドトリップ券を買い、
07:07勇んでチューリッヒを出発した。
上の写真の左半分が表紙で、14.10.72と発行日が示されている。
右半分は二つ折りの真
それぞれ往きにも帰りにも使えるようになっている。
最初は1枚目のチューリッヒ-インターラーケン。
ここでユングフラウヨッホ往き(登山電車)の2枚目タブを往きと帰りに使う。
グリンデルヴァルトを過ぎてまもなく、アイガーがその北壁を見せ始める。
帰りはラウターブルンネンまわりで、左からアイガー・メンヒ・ユングフラウの3山が
登山電車のルートから見やすくなっている
左上の写真、左の隅に我々の登山電車が辛うじて見えている。
Spiez 駅で夕食、『さっきも一緒だったネ』 Brig駅で立ち往生:今日から冬時間とは!
『だけど乗客が少ないな、明日はマッターホルンだっていうのに!』
なんて言ってるうちに車内の明かり消えて真っ暗!
気が付いてみるとさっきは何人か残っていた筈の乗客が一人消え二人消えで誰もいない!
駅員掴まえて聞いたら何と
『10月14日からWinter Schedule! 歩いて行けば明日中はに就くだろう!』
サア困った!
外へ出てみると駅前に堂々たるHotel Victoria、無理に頼んで何とか泊めてもらった。
伝票は14日、ARR 23フラン、1階降りればトイレもある。
翌朝、戸外へ出てみると歩道に面したテラスがあって、老人が一人掃除中。
『1番列車に乗るんだが何か食べさせてもらえないか?』
… サンドイッチ、果物、ケーキを袋に入れて、『持って行けよ』と、有難く頂戴してさあ出発だ。
さあマッターホルンへ出発だ!
さすが日曜日のツェルマット往き登山電車、こちらはフランス語のグループ。
右端の男性は回し飲みのボトルを飲もうとご機嫌な顔。 わたしもひと口ご馳走になる。
ツェルマットからは別の登山電車でゴルナーグラート(標高3135m)へ、往復で12.5フラン。
Gornergratとはモンテローザ山群から流下するGorner氷河を見下ろす山稜という意味で、
冬はスキー場にもなり、夏は下りだけでも歩こうかという、アルプスの名所なのだ。
Gornergrat のテラスから見たマッターホルン
頂戴してきた私のランチ 有難う!
右から Matterhorn, Dent Blanche, Obergabelhorn, Zinalrothorn, Weisshorn.
1972年、10月半ばでも氷河の底はどこからどこまで雪で埋まっていたものだが、今はどうなっていることやら??
Gornergrat からは下り坂を歩く人が多く、私も少しお付き合いしてみる。
山歩きもやってきたとあとで自慢しよう。 2358mとある停車場あたりから谷底を覗くとまたスゴイ。
急傾斜の沢の底あたりが 当時の氷河の終末ではなかったろうか? そして今は?
このあたりでまた登山列車に戻り、向かいは若い娘さんと中年のご婦人、
職業は private surgeryだそうで、ローザンヌの3つの病院で働いておられ、
お名前はDr. Sieber, 娘さんは秘書だとのこと。
この private surgery が分からない!
いわゆる外科のお医者さんだとは思えず,
『手術されるのは嫌だ、殺されたくない』とかいい加減な返事をしてるうちにツェルマット着。
ここから私はVisp経由でLausanneへ直行する予定、
Vispまでは同じ列車しかないので一緒に、折返しの始発列車を待った。
たいして混んでる訳じゃないんだけど、
並んで順番に乗るという訳でなく、かなりの揉み合いになる。
Dr. Sieber は 大いに元気で遠慮がちの二人を引き連れて、例のボックス席を三人で占領、
また片言英語の賑やかな会話が始まる。
結果から見ると坐れない人はなく、
通路を挟んだボックスには若い二人連れが無言かと思われる静かさで向かい合っていた。
Mr, Hannelore SIEBERさんは 生まれがKarlsruheで本来はドイツ語の方なんだろうけど、
判りやすい英語で色々と教えてくれる。
Plastic Surgery という新しい分野で、
残った酷い傷跡に尻の皮膚を取ってきて張り付けるというような特殊な技術で独立し、
契約している三つの病院で必要に応じて働いてるんだそうな。(形成外科という日本語は後で知った。)
日本でも有名らしい プラスチック・サージェリーのDr. MEYERの助手もやっているらしく、
『いつでも紹介してあげるよ。』
それは、研究学園都市に必要なことはこの先生に聞くが良いという意味だったんだナ、
とその時は到底思い及ばなかった。
それにしても、医学の進歩の話、Karlsruheの話、有名な誰かさんが設計した故郷の大邸宅の話、
日本の話、日本の医学の話、楽しかった今日の話、、、
話しは尽きないけれど、お二人の降車駅 VISP に着いてしまい、『オー ルヴォワール!』。
Visp 駅で、
(余談ですが)、
Laussanne で、例のErb 夫人が予約してくれたAlexandra Grand Hotel へ行ってビックリ!
日本航空から私宛のHOTEL RESERVATION SLIP(Sept. 14, 1972)なるものが届いており、
中身は『予め取り消しのお知らせがございませんと、ホテルはお客様に違約金請求いたします。』
さらに赤インクでNOT good for payment と判も押してある。
今更気が付いたことは、私の宿泊先は本来日本航空で世話をしており、
空港に着くたびに日本航空からの連絡を受けとることになっていたらしい。
チューリッヒからジュネーヴに飛ぶとされていた私の予約先ホテルは、
日本航空と2重に予約されてていたことになる。
50年も前のことを今頃気が付くってのも全く馬鹿な話!
楽しかった週末記念に。
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