フランス語圏のこちらは、Ecole Polytechnique Federal, Lausanne 略して E.P.F.L と
なる。University の方は、Cantonal Government の下にあるから、チューリヒの場合
と考えあわせると尚ややこしい。
この日、E.P.F.Lで結果的に会えたのは:
Mr. OESCH、EPFLプランニンググループの長、建築家。Mr. STEINERから紹介も。
Mr. OESCH氏曰く:
この計画は1973年7月を目標に始めたが、現在の進捗状況からすると、残はり73-75年の3ヶ年を要することになる。 当初20億SFR (スイスフラン)の計画が、結局総工費は
Federal Institute of Technology はチューリヒとローザンヌで成り立っている。
1972年現在 学生数 1600人 対してUNIの計画 4000人 教職員数 700人 1000人以内
将来 学生数 6000~10,000人 対してUNIの計画 max.10,000人min. 8000人
1964年、元々街の北側にあったUNIと南側にあった(?)EPFLの両者が合体する可能性を、土地についても同時に探し始めた。1966年、120haの土地を見つけた。EPFLに56 ha, UNIに64 ha 割り振って、1973年に(建設を) 始める予定だった。 更にUNIはSports Area として17ha 追加したり、、、結局、EPFLは西に、UNIが東に分かれた。
キャンパスについて
彼等は米国スタイルでなく、『integrated to the city』が理想だと言う。
見てもロの字をつなげた中央部は兎も角、西・東・南へ帯状に伸びている周辺部は
おそらく『街へ』連帯しようという姿勢を込めているのかなと思ってみるが、いず
れが既存棟or 新築案のいずれが何とも判然とせず、実際の進行とも考えあわせて、
理解するのが難しい
integrated
to the city
ハテ、プランニング部室に変った図面が飾ってあるわいとカメラに収め、後で見て
みると建物の平面図に違いない。タイトルは 『予備学習カレッジ3階 地上階』とし
か読めない。 という事は今回のコンペティションの落選案? それともまさか当選
案?
3階建の屋上に6角形のペントハウスを並べるつもりか? 傾斜地なりに地上階レ
ベルを上げて行くとこのブロックは3階且つ地上階です、とでもいうのか? それに
しても玩具箱に入りきらない積み木の絵みたいで判読不能!
考えてみると私はドイツ語・フランス語は全くダメ、フランクフルトからチュー
リヒまでは、どれほど多くの英語好きドイツ語系の方々に助けて頂いたことか❓
いよいよフランス語圏、その先は母国語ペラペラの英語圏、この先が思いやられる!
約束の時間に、設計者の Mr. Nikolaus HERKOMER が颯爽と現れて、出来上がった
ばかりの建築を案内して頂く。 はて何語系の人だろうか?
革の上着を着て、パイプを離さない伊達男だが、マスターキイを持って実験台の中
までチェックしている。 独立して10年、仲間と7人集まって建築連合AAAを立ち上
げ、その後増えて当時10人との事。
まずは外部から。
一方は鉄筋コンクリート造、右の棟を鉄骨造としている。
塔の両翼のスダレが印象的
おや、こんな別棟もあったか! 一見軽快
でしゃれた感じを出して居るが、軒下に見える細いいラチス梁、ブリキ細工のような
鋼板の凹凸、跳出した大窓の意味?、吹き曝しらしい床下など、よく見ると安普請。
Mr, HERKOMER氏はマスターキイを持って実験台の内部まで点検している。
ドラフトチャンバーの排気は一時保留 壁に沿って自由に露出配管
天井は無し、自然換気 サッシも金具も頑丈そのものだが、
この二重サッシは疑問(前ページ最後の棟か)
標準の実験室については、階高3.9m、天井は貼らず。代わりに2,7mの高さに軽量溝形
鋼を並行に設置、上階の床から形鋼まで1.2mのゆとりを床下配管スぺースと考える。 床
荷重は平方米 あたり500㎏。 換気は自然換気。
壕として役立つ機能付け (換気・給排水・照明・脱出口?) の義務があるとのこと。 台
風や津波には兎も角、我々建築屋は内外共に見えるところばかり気にして、給排気・配
管・電気・通信などの設備、殊に後々までのメンテナンスについて配慮が足りなかった
り、独りよがりで物事を決めつけていたと反省させられる。また考えてみるに、私は今
回どうも
語もフランス語も出来なくて欲の深い話ではあるが、、。
17日(火)は 当初から予定されていた移動日で、ジュネーヴ空港からパリへ、お世話
になっている在仏日本大使館へ 先ずご挨拶に行かなければならない。これから先、フラ
ンス語圏の人達、続いて英語を母国語とする人達とも、うまく付き合っていけるか、前
途多難だ。
ホテルで勘定をすませて出かけようとしてハテと気になったのは、昨日のDr. Sieber さ
ん、 絵ハガキ出そうにものアドレスが分からない! 彼女が寄越したメモ書きは Dr.
MEYER 大先生の電話番号だったけど、思い切ってフロントマンに、『ここに電話したら
Dr. SIEBERのアドレス判るかナ?』と頼んだら早速ダイアル回して『Dr. Meyer will be able
to tell you.』、受話器を出されて怖気づき、メモだけ貰ってそのままサヨナラしてしまっ
た‼ Alexandra Grand Hotel、建物もフロントも堂々として良いホテルだったが、30年後に
歩いてみたら残念ながら街並みごと無くなっていた。
Au revoir!
Alexandra Grand Hotel 20 Avenue de Rumine、
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