長いシーズンオフをとってしまいました、Ryo's
Eyes。もうやめてしまったのかと思った人も多々いらっしゃるでしょうが、そんなことはありません。春の訪れとともに、復活であります。気がつけばW杯の年を迎えて3カ月がたとうとしており、世の中W杯がらみの記事やCM、キャンペーン、番組が騒々しいほどです。正直言うと、すでに食傷気味の筆者であります。生来のアマノジャクの性格がここで出て、こういうときこそJリーグだ、ということで、2002年1発目のRyo's
EyesはJリーグの話題からいこうと思います。もちろん、4月になればW杯の話題にも触れていくつもりです。
では、では、今年もよろしくお願いします。
東京スタジアム
東京スタジアムに行って来た。カードはFC東京VS横浜である。FC側のペアシートを譲り受けたので行くことにしたのだが(松井さんありがとう)、横浜ファンとしては静かに観戦せざるを得なく、ちょっとすわりの悪さを感じたわけだ。ゲーム内容はともかく、FC東京サポーターの応援は良かった。何が良かったかというと男声なのだ。横浜は割と女性ファンが多く、どうしてもゴール裏からの声にも迫力が足りない。そこへいくとFCサポーターは男衆が多いらしくしっかりと響く声で歌い叫んでいた。いい雰囲気だった。審判への罵声は感心しないけど(確かに不安定なジャッジだったが)。
もう一つ感じたことは、FC東京が東京というつかみ所のないエリアを本拠としていながら、地元に根付いているように感じたことだ。ゲームが終わり甲州街道に出てみると(ペアシートは駐車場付きだったので、車で行った)観戦を終わって家路につく人たちの中にかなりの割合で自転車の軍団がいた。近所の中学生、高校生、あるいは親子連れが観戦に来ているのだろう。FC東京というよりFC調布と言った方がいいかもしれない。
また、選手入場の直前、「You'll never walk alone」が場内に流れ、サポーターは一斉にマフラーを掲げて大声で歌っていた。そして選手入場だ。我が愛するリバプールのアンフィールドロードで見られる光景と全く一緒である。真似だとはいえ、スタジアムの一体感を作り上げているという点ではすばらしい演出だった。
ひるがえってヴェルディはどうなっているのだろう。はたしてこの一体感はあるのだろうか。かつてJリーグの盟主の名をほしいままにに栄華を誇ったあのチームはここまで多くの人にサポートしてもらっているのだろうか。スタジアムを盛り上げようとチーム側が工夫しているだろうか。
FCが26,000人を集めた同じ横浜戦でヴェルディは何人集めることができるのだろうか。FC東京との差が歴然として、同じスタジアムを使うモノ同士で明暗が分かれてしまっているのではないだろうかと心配になった。ヴェルディVS横浜もこのスタジアムで見なければと思って、僕も調布を後にした。
交代していく選手へのスタジアムの反応
前から気になっていたことがある。選手交代時のスタジアムの反応だ。交代にもいろいろ意味がある。満を持してスーパーサブを入れる。疲労の濃い選手をフレッシュな選手に入れ代える。デキの悪い選手を代える。もちろん怪我による交代もある。
スーパーサブを入れるときはスタジアムも「待ってました」とばかり反応しやすい。
僕が話題にしたいのは、よく頑張ったけど疲れてしまった選手、試合を決定づけてお役後免になってベンチに帰っていくエース、あるいは名誉の負傷を負ってやむなく交代するケースだ。
どうもスタジアムの反応が良くないような気がする。ご苦労様や称賛の意を表した大きな拍手に出会ったことがない。サッカー先進国のスタジアムは労いの拍手、称賛の拍手に関しては惜しみない。著しい活躍をした選手なら、スタンディングオベーションだ。
これは、日本の多くのスタジアムが総合競技場で、スタンドからピッチが遠くて交代に臨場感がわかないことが大きく影響しているからかもしれない。あるいは、交代のアナウンスのタイミングが悪い、つまり交代してしまった後に誰が出ていったのかをスタンドが知るという間の悪さのせいかもしれない(こっちの方が大きいかもしれない)。
それでも、スタンドはめざとく誰と誰が交代し、その背景にはどんな理由があるのかを察し、そして盛大な拍手をしてベンチに帰らせてあげたい。選手もそれを肌で感じてその試合の自分の満足度と照らし合わせることができれば尚次への意欲が増すというものだろう。もちろんデキの悪かった選手に対してはそれなりの反応があるだろう。その時は無反応でいいかもしれない。それぐらいの機転の利いた反応をしたい。
ゲーム運営側も、交代アナウンスのタイミングなど、細かいところにまで気を配ってほしいものだ。こういう間の悪さ(運営側、観戦側双方)を解消するだけで、スタジアムの雰囲気はずいぶんと変わるのではないだろうか。
そして、こういうのもサッカー文化なのだと思うのだがどうだろう。
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