2003年10月17日 兄宛の手紙より

 ようやく管理人たる兄待望のCD-Rがザンビアから到着する。ここに来るまで長かった。張り切る兄!これからはどこそこの映像を撮ってこい!という指令も出さなくてはならないか?と心密かに思う私である。以前切手がK200(200クワチャ)と書いたが,あれはK1,200(1,200クワチャ=30円くらい)の間違いであることが,手紙の中の指摘で明らかに。葉書なら世界中どこにでもその値段で送れるらしい。ちなみに画像は見ていないが,何の注釈もないらしい。どうしろというのだ…

2003年10月27日着 兄宛のメールより

キリン 10月24日はザンビア共和国独立記念日。というわけで3連休になったので,隊員の友達6人と一緒にNational Parkに行ってきました。South Luangwaといって,ルサカから飛行機で1時間,ムフエの飛行場から車で40分くらいかな?ザンビアとしては最高級のサービスをしてくれる,Mfue Lodge に2泊3日泊まり,朝夕それぞれナショナルパークの中に車でくりだして行き、動物を見ます。 日本円にして4〜5万円というところでしょうか。でも最高だった!!!
 (中略) 今週末、リビングストーンに行くから。(車で連れていってもらうようです)日帰りだけど…。乾季のVictoria Falls を見ておこうと思います。一番い いのは、雨季の終わったあとの4・5月。 その時はまたその時でゆっくり行くつもり。でも、(車で)連れて行って くれるというので行っちゃいます。

というわけで彼女は我が憧れの地Livingstoneに行くらしい。ちなみにLivingstone(リビングストーン)とは通常私たちがthe Victoria Fallsと呼ぶ世界三大瀑布の一つ,世界遺産にも登録されているあの滝を見る場所でザンビア側ではLivingstoneがそのポイントであるらしい。ちなみにこれまた『これはキリンです』の題名のみで写真についてはなんの説明もないが,まあ上のメールと併せて推測するときっとSouth LuangwaのNational Parkで撮影したものであろう。

2003年10月28日着 兄宛のメールより

(あまりに下らない世間話の為カット!)今日はメールより仕事しなくちゃ!さわやかドミトリーの会,という隊員が運営しているドミトリーの会議の議事録を作り,クロスロード(JICAの雑誌)の原稿依頼が来ているから、その原稿を書き上げるのと…。今週はちょっと忙しくなりそう。でも学校はもうおしまい。あと一ヶ月もあるというのに,今週からG1からG6までのテストが始まり,体育の授業はなし。来週はG7かな?だからG1からG6は学校が休みになる。その次の2週
くらい学校にきたら,もう学校に来ないんだって。最後の2週間はG9の子のテスト。12月初めに学校が終わり,2月に新学期が始まるまで2ヶ月休みになります。こりゃあ,教育できる体制じゃないよ。
今は,体育をやらないかわりにテストを作るタイピングをひたすらやっています。英語で文書作るの早くなったよ!でも,スペルミスがありすぎて笑われてばっかりだけど…。笑われたら,私の得意技,無視してちょっと切れてます。ザンビア人も機嫌とってくれるから,その時はちょっと気分いいかな。(以下ストレスの症例報告のため省略。日本のB整腸剤を愛用しているとのこと)
この他次回のCD-R送付時にはライオンの接写(2mくらいまで近寄ったらしい)したものを送るだの,お風呂を沸かすのが大変だ!など好き放題書いてくるのだが,やはり私が以前質問した内容には全く答えてくれない…。

2003年10月30日着 兄宛のメールより

今日、やっと自転車を家に持って帰ってきました。赴任3ヵ月後から、申請が許可された人はバイクや自転車が貸与されるんだけど、またこの自転車が問題で…。 先週、意気込んで「受け取りに来ました!」とJICA事務所に行き、無事受け取り家までこいで帰ろうと思ったら…200mほどこいだところで片方のペダルがとれました。ショートコントもいいところだね。笑うしかなかったよ…。さらに、同期の友達が「前輪、曲がってるよ。」と…。確かに歪んでいる。その日は乗って帰れず、事務所に置いて帰りました。調整員の人が、現地のスタッフに頼んで修理に出してくれたらしく、今日やっと乗って帰れました。事務所を出ようと2mほどこいだら、「ブチッ。」……。ギアのワイヤーが長すぎて、ペダルのカバーがちぎれちゃってました。まぁ、でも機能としては問題なし。ペンチを借りてワイヤーを切り、出発。近道はないかと通ったことのない道を走っていたら、まんまと迷いました。「レオパルズヒルロードに行きたいんだけど…。」と道を聞いたら、「ここがレオパルズヒルロードだよ!どこに行きたいの?」と間抜けな答え。まぁ、わかる道にたどり着いて良かったです。良かったのも束の間。坂道を気持ちよく下っていたら、「カラカラッ。」と音が。前輪のブレーキの部品がすっ飛んでいくのが見えました。自転車を止め、部品を探し、道で修理。何とか家まではたどり着きました。調整員の人にも、「本当にいろいろあるね。悪いけど笑っちゃうよ。無事に家に着けるといいね。」と言われてしまった…。人間、基準はどこまでも下がっていくのね。(以下兄の気分を慮ったつもりの文言のため省略)
レオパレズヒルロードとは恐らく現在の住処のある場所と思われる。近いうちに引っ越すらしいが…。しかし,何も調べず近道はないかと…というその行動の行き当たりバッタリさ加減にはあきれるしかない…

2003年11月01日着 兄宛のメールより (題名:ありえん)

今日(恐らく10/31)"Prince & Princess Takamado Show"というのがありました。1時から受け付けで、500K払えば誰でも入れます。私は審査員として見ていましたが…。開始が2時過ぎ。そこからザンビアのダンスが始まり、音楽が始まり、Showが始まりました。エントリーは全員で17人。なかなか楽しかったよ。ただ…。要領が悪いのなんのって。つなぎがつなぎになってないし、だらだらと長いし、先生たちはマイク持って叫んでるし、棒を振り回して怒ってるし。プリフェクト(風紀委員みたいな生徒)も棒を振り回し、前に出すぎている子やお痛("オイタ=いたずら"の間違いか)をしている子をばしばし叩いていました。体罰なんて当たり前だもんね。それに、先生は子どもたちを平気で使います。「いすを持ってきて。」(まぁ当たり前か?)「フリッターを買ってきて…」フリッターとは、小さい揚げパンみたいなもの。100Kで買えます。私もよく、同僚の先生からもらいます。とにかく、先生や目上の人の言うことは絶対、という感じでちょっとこわい。ザンビアでこの暮らしに慣れてしまったら、日本に帰った時に威張りちらしてしまいそうです。(小学生達よ!団結して立ち向かうべし!あの暴君に立ち向かうには…)で、結局6時半過ぎに「もう遅いから。」という校長の言葉で、Showは途中で打ち切られ、続きは月曜ということになりました。4時間以上も何やってたの??!!やることはとてもいいことしているのに、計画をきちんと立てないのと、先生の権力がありすぎるのが、ザンビアの教育にちょっとした影を落としているのではないかと思いました。日本の教育もいいとは言い難いけどね。(以下事務連絡のため省略)
その後11月4日現在連絡は途絶えている。きっとビクトリアフォールズで想い出づくりをしているんだろうなぁ。いいなぁ…

2003年11月07日着 兄宛のメールより(題名:Prince & Princess Takamado Showでの一場面)

the Victoria Falls 初回 (無駄話の為前略) 車を出してくれた人達の家に前日から泊まりこみ、6時前にルサカを出発、Livingstoneに着いたのは10時過ぎだったかなぁ。(道路状況の差は如何ともしがたいであろうが,恐らく100Km/hを超えるスピードで行ったことが予想される。世界地図とこのウェブページ内にある地図を見ればその距離は自ずと分かってくるはず)そこから車で20分くらい走ったら、the Victoria Falls。私たちはレジデンス(residence:居住・駐在しているの意と思われる)なのでたったの2,000Kで入れました。 観光客は20ドル(かの地では現地通貨のクワチャだけでなく,US$も使えるとのこと。むしろそちらの方を有り難がる傾向があるらしい)くらい払わなきゃいけないらしい。いま、4,800Kが1ドルだから、50円くらいで入れたってことだね。いやいや。今は乾季なので、滝に水はほとんどありませんでした(右の写真はそのときのもの。『雨期明けの4月から6月は行っても水しぶきの中を歩くだけで,滝の様子はわからないみたい。ヘリをチャーターすれば上空から見ることができるけど…。ちょっと水が減る8月くらいはそれなりに水もあるし、滝の全容も見ることができるし…』と言うことである。幅1.7キロメートル・落差100メートルの世界一の称号はダテでないはずだが,どうせ行くなら濡れてみたいと思う。しかし,多分今見えている範囲が全て滝になってまだまだ幅があると言うことか。負けてられんな。幅の広さで勝負だ!)ただ、雨季になると水しぶきの中をびしょびしょになりながら通ることになるので、逆に滝がどんな姿なのかわからないとのこと。今回は、滝の全景(ジンバブエ側はもちろん見れなかったけど)を見ることができました。(しかし,滝の写真は送ってこず…)今度は雨季明けの一番水がたくさんある時期(4〜6月)に行き、ちょっと水流がおさまってくる8月ごろにまた行って、the Victoria Fallsの季節の移り変わりを感じようと思います。今度はゆっくり泊りがけでね。(ここからオフレコ話そしてやや無駄の多い文章の為省略。次回はゆっくりと全部回ってラフティングにも挑戦したいらしい)
Takamado show  左の写真は、Prinnce & Princess Takamado Show の民族衣装部門です。ビーズは、トラディショナルアクセサリーだそうです。服の下にベルトのようにつけ、旦那さんしか見られないようにおしゃれするんだよ、って同僚の先生が言ってました。これは、ショーなので見せているのでしょう。こういう衣装より、チテンゲスーツのほうが私は好きです。(今度その写真は送ってくれるようであるが,チテンゲスーツってなんだろう?以下完全にプライベート系の内容の為省略)

 また,11月5日は我々兄妹の母親の誕生日であるため,それを祝うメールがザンビアより届く。内容は,引っ越すのに関して,職場から遠い高級住宅か, 今の住処からもほど近い多少(?)治安に関して不安もあり不便でもある家か。というお悩み相談?そして,ザンビアでもロマンスはない…と言う,嘆き?ちなみに話は飛躍して子どもが出来たら母に育ててもらうつもりのようだ。なんでも僕と小頭の育児に失敗したようなので,そのリベンジに…って失敬な!俺とお前を一緒にするな!こんなに出来がいいのに!後は,煎餅が欲しいだの,実家に残してきた衣類が欲しいだの,そんな内容デシタ。

2003年11月18日着 兄宛のメールより (題名:ボツワナより)

 先週一週間は,青山先生(ラジオ体操の声の人?とにかく,体育では第一人者の方だと思う)について,ボツワナのいろいろな隊員の任地を回りました。(どういう事情かはよく分からないが,アフリカ南部を青山先生が巡回するのに協力隊員として随行することになったということだ。だから公費の出張ということ。俺なんてまだ一回しか海外に行ったことがないのに…。羨ましいぞ)ザンビアとは全然違うね。ボツワナはダイアモンドが取れる国なのでとても豊か。でも貧しい人もいる。ダイアモンドが取れるから,人々の働く意欲があまりなく協力隊の人たちは苦労しているみたい。ボツワナの同期隊員にザンビアのお土産として“チテンゲ”を持っていきました。お兄ちゃんが「チテンゲスーツって何だ??」と書いていたので、写真を添付します。
チテンゲ  ボツワナはザンビアより通信状況がいいみたい。画質もそんなに落とせずに送ることができるらしいので、友達のパソコンからチャレンジです。女の子の友達が着ているのがチテンゲ。2m×1mの布をただ巻いてスカートにしているだけです。ザンビアではほとんどの女の人がつけています。エプロン代わりみたいにしているのかなぁ。スカートの上からとかズボンの上からとか巻いています。ボツワナにはそういう文化はないみたい。隣国なのに違うもんだね。男友達が着ているのはチテンゲシャツ。チテンゲスーツというのは、このチテンゲでスーツを作ったものです。(縮小した為に伝わりづらくなってしまったがチテンゲという布は絹のような光沢をもち非常に派手な感じできれい。しかし中央の彼の怪しさも相当…)写真もザンビアに帰ったら送るね。私も,もう少しやせたら作ろうと思ってます。 そうそう。ダイエットを始めます。半年で-6kgを目指して…。ボツワナの友達と約束しました。彼女は写真の左端の子。"わかな"という子です。この子も体育を教えているので、二人で頑張ります。 (これが無駄な努力であるという事実をそろそろ認識すべきだと思う…,いや-6Kg落とす余地があるということに我々が想いを馳せるべきだったか)本当はバオバブに登っている写真を送りたかったんだけど, 今持っていないのでまた送るね。高所恐怖症の私が頑張ったから是非、ね。
 明後日ザンビアに帰ります。ボツワナはリッチカントリー。ザンビアから来たというと「ノーフード。ノーマネー」とボツワナ人は言います。そのザンビアへ…。

 如何せん兄は海外出国経験が学生時代の合宿一度キリという少なさ故に想像力が貧困で,なおかつ小頭も日々の生活に追われており,過去の話など振り返る余裕は無さそうである。が,この前日しばらくメールが来ないなぁ,と思っていたら突然葉書が届き元気そうな様子が伝わってくる。本日の名言『富士サファリパークなんて,もう行けないね。…行ったことないケド』って野生のライオンがロッジの近くにいる国から帰ってきたらねぇ…。(やらせではなくロッジの前でたたずむライオンの絵はがきを我が家に送ってきました)同じことをザンビア帰りの僕の友人も言っていました。

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