2003年10月29日着 兄宛のメールよりザンビア到着直後の報告!

 このページは小頭の報告をもとに兄が編集しました。

7月16日頃アフリカの大地 我々家族に見送られ成田を発つ。成田-ロンドン-ルサカのちょっといい値段の航空コースでザンビアに旅立つ。とは言え,値段を安くすると香港を通過することになり,JICAが計画をたてた時点ではきっとSARS禍の真っ最中であったことが予想され,最良の選択なのであろう(そういうことなら税金の無駄遣いと言われずにすむだろう)写真は飛行機内から撮影したと思われる,小頭生涯初の念願のアフリカの大地展望!さぁどうなる?スットコどっこいな海外青年協力隊員!1年9ヶ月の任期を無事終了し,ザンビアに貢献し,逞しくなって帰国することを兄は希望する!

LONGACRES LODGE7月17日〜 ザンビアに到着したと言っても,すぐにザンビアの生活に溶け込めるわけではない。訓練をしたと言っても所詮は国内で過ごしていたのだ。訓練の模様も本当はこのページに載せるはずではあったが,諸般の事情がそれを許さなかったのでご勘弁していただきたい。と言うことで,ザンビア到着後はヶ月はLONGACRES LODGEにて宿泊しながら訓練。高給取りの人が宿泊する場所のようである。隊員連絡所をつかえば無料ですむはずなのに…。必要な訓練であったということにしておこう。そしてどうでもいいが,何故そのロッジの写真が白黒なのだ!まぁ,きっと持参したデジタルカメラの機能をフルに使ってみたくなっただけなのは,言われなくても長〜い付き合いでわかってはいるが,実際にやられるとやはり鬱陶しい。またこの訓練期間中にアグリカルチャーショーという8月の第一月曜の農民の日(ザンビアは南半球にあるが,季節は雨期と乾期と言うことなので,収穫祭のようなものなのかもしれない)というべき国民の祝日を楽しんだらしいが,『特設遊園地とかもあってアグリカルチャーというのとは程遠い感じがしたよ。』とは本人の談。

8月25日頃ザンビアのトカゲ 任地に引越し。学校はターム休み(春休みか?)だったので,住める環境になるように張り切っていたらしいが,ダニにやられたのもこの頃。また,家に侵入したトカゲ(写真のものがそうだと推測されるが,どうしたらこの色の動物がザンビアで生息できるのか想像不能!)を半日かかっても駆逐できなかったことや,パソコンが壊れるなど,どうにもこうにも生活が落ち着いていない。結局この辺りの疲労が急性腸炎を患う原因になったらしいが,小頭が腸炎を患ったと知ったところで,日本にいる我々にはどうしようもなく,しかも知ったときには既に回復していたらしい。まぁ元気だ!ということでヨシとしよう。

おまけザンビアのハイエース車内  ルサカ(ザンビアの首都)市内の主要な交通手段は恐ろしいことにハイエース(頑張れ日本車)を改造して人が20人くらい乗れるようにしたものだという。大体ハイエースに20人も人が入れるものだろうか?という常識を軽〜く打ち破る,全員着席のバス車内の写真には説明を見てビビった!まぁ窮屈そうなのは間違いないが…。私の知っている限りハイエースの許容量ギリギリいっぱいに挑戦していますね。しかし,繰り返すがこれがハイエースとは…

バオバブの木とザンビアの人々 右の写真の後ろの大木はバオバブの木であります。本人的にものすごく気にいったらしく10枚以上写真を撮って送ってきたが,日本にいる兄は写真を見ているだけなので,同じような写真を説明無しでその枚数見てしまったので,正直やや食傷気味。ちなみにこの写真はその中にあって珍しく人間が写っているもの。後ろの木が特別に大きいのではなく,そこらへんにホイホイ生えている感じでした。ちなみに右端が小頭。さすがにアフリカ人に混じると白く見えるが,あと1年半でどれだけ現地人化するかが,今から楽しみ!

外交官パスポート おまけとしては,小頭のグリーンパスポートを説明しないわけにはいかないであろう。左の写真で小頭が持っているのが通称『グリーンパスポート』(ちなみに私たち一般人のパスポートは赤) 海外青年協力隊員は外交官用のパスポートで出国するのだ。つまり扱いは外交官。治外法権がまかりとおるのであろうか?が,それゆえにこのパスポートにはあまり自由がなく任期期間中はたとえ休暇がとれたとしても出国するのがかなり困難であるらしい。(と思っていたら半年も経たないうちにザンビアを出国するコトになるのだが)が,つまるところは日本代表?俺もそんな肩書きがつくようなことをやってみたかった…

ジャガランダ 右の写真の紫色の花は,(以下原文転記)ジャガランダといって、とてもきれいに咲き乱れていました。日本で言う、桜みたいな感じ。でも、花びらはらはら・・・、と散らずに、ぼとっ、って落ちるから風情はないなぁ。今年はすごくきれいだったって。(以上原文)と言うことである。これも本人の心を捉えたらしく,けっこうな枚数写真を送ってきた。日本で言うと藤の花の色に似ているところもあるが,大きな写真で見ると本人の言う通り微妙に風情にかけるきらいがあり,なんだか大雑把な感じが否めない。

逃げるゾウ そして,今回の目玉はやはり逃げる象であろう。いつ撮影したか未だもってこちらでは不明であるが,野生の象という響きにはなにかたまらないものを感じますな。

 今後も随時CD-Rに写真を取り込んだものを送ってくれるらしいので,兄の想像力を働かせる余地があり過ぎる,写真集は2005年3月まで随時更新されるようである。

またこの頃の小頭の状況を日本ではどう見ていたのかというと以下の通り。

8月20日頃 この時点で既に日本から持ち込んだPCが壊れている。液晶画面が見れないものになっていたらしい。ややいっぱいいっぱいの模様。

8月27日頃 ザンビア到着後初めて日本に向けて手紙を出す。結局兄の手元にそれが届いたのは9月10日だった。借家に付属のベッドマットの中のダニにやられて全身ジンマシン状態。9月08日の任務開始に向け生活面の充実に専念するも,結局は引っ越しするという結論に至るのをこの頃の小頭は知る由もない。ちなみに右の写真は日本よりも遥かにセンスがあると兄が思ったザンビアの切手シート

9月27日 ネタを仕込みに兄が『JICAボランティア家族連絡会』に行く。出席した他の家族のあまりの真摯な態度に途中から完全にいたたまれなくなったのも普段の兄の不真面目さ故か?ここで小頭の任地がPrince Takamado Prev. Schoolであるという情報を兄のうろ覚えの記憶で報告しておく。(何故メモを取らなかったのだ!と言われると,返す言葉もない。正しい情報が入り次第訂正します)ザンビアより7月に帰国した隊員OBによると日本の学校よりも綺麗だ。と言っていたが,映像を見る限りでは日本の学校の標準レベルな気がする。が,我々兄妹は小学校から比較的新設されたばかりの学校に通っていたために基準がわからない。昨年のJapan Dayの映像であった為(OBの方が小頭の前任者と仲が良かったらしい)なのか,生徒は全員目にも眩しい白いシャツに赤いネクタイと言う制服を着ていた。彼等の肌の色がシャツを非常に白いものに見せていたのかもしれないが,清潔感あふれ日本で言うところの荒れた感じも全くなかった。首都ルサカからは近いが,ザンビアのある程度大きい地図をそのうち入手してこのHPにアップをかけようと思う次第。この前の週まで急性腸炎にかかって弱っていたという情報をこの後得るが,そのメールの内容は既に復活しただけはあると言う内容だった。

10月15日 こちらから送ったパソコンが届く。はしゃぎ過ぎである。メールを開通させたところまでは褒めてやってもいいのだが,はしゃぎ過ぎて実家と兄が持つアドレスのうち2つにほぼ同じ内容のメールを送ってくる。つまり都合3通同じメールを読む羽目に陥った兄の気持ちに少しは南半球で想いを馳せてほしいと思う。

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