自分たちのサッカー
W杯予選はホントに難しい。去年のオマーン戦をフラッシュバックしたような試合内容と結末。
ようはまだまだ日本はナイーブだということ。先制点が早々にはいってしまったのも、ひょっとすると硬さに拍車をかけてしまったかもしれない。とにかく、失点するまではメリハリのないプレーをしてしまった。
全体的にも、畳みかけようとしているのか、それともじっくり料理しようとしているのか、中途半端な様子だった。
おまけに緒戦の堅さがみんなにある。特にボランチから後ろのメンバーは硬かった。
宮本なんか味方と重なってチャージしたり、むりにスライディングに行ったり最後までなんかしっくりいってなかった。
一番顕著に現れたのは、パスの強さあるいは長さ。調子のいいときの日本代表と比べると、10%ぐらい(別に測ったわけではないが)パスが弱い気がした、短い気がした。
なぜ?慎重になりすぎたか、ビビッたか。必要以上に自分たちにプレッシャーをかけてしまったか。だから相手の足が届いたり、相手に引っかかったり、パスの受け手がスムーズに次のプレーの判断をできなかったりしたような気がする。そうなると、相手のプレッシャーをまともに受けてしまい、さらに判断が遅くなり、慎重になっていく。そんなリズムの悪さだった。
欧州組はさすがだ。そのへんをわかっていたのか、一つひとつのプレーの判断を速くすることを自分がボールを引き出すことで示した。そのリズムの変化がチームに好影響をもたらした。特に俊輔がはいってからは見違えるようなボールの動きになった。彼は動いた先でボールを受け、動きながらボールをさばくように心がけていたように見えた。
みんな立ち止まっているところにパスを出していたからだ。
決勝点に近づいているというのはプレーしている選手たちも感じただろうし、スタンドで一喜一憂している我々にも伝わってきた。当然TVの向こうのサポーターにも。
そして歓喜の決勝点がやってきた。ヤキモキさせやがって、コノヤロー!
よく選手や監督が「自分たちのサッカーをする」と言う。それってどういうことなんだろうか。つまりは自信を持っていつものリズムを奏でることができるかどうかだ。
この日の日本代表は、その「自分たちのサッカー」をすることができなくなっていた。
緒戦の緊張感をまといながら、リスクを抑えるために慎重になりながら、それでも自信を持って自分たちのリズムを創り上げなければいけないということだ。
それができないと、いくら両チームの力に差があったとしても何が起きるかわからないということだ。それがサッカーという競技の面白さだ。
経験が大事だと人は言う。欧州組の違いはその経験だ。リズムが悪くなったとき修正する能力だ。ゲームを読み切る力だ。高原と俊輔は日本代表の本来の良いリズムを思い出させたのだ。彼らが海外で何をつかんできているのかがよくわかった試合だった。
去年の同じ2月、オマーン戦では、欧州組でさえナイーブさの中に埋没していた。今は違う。彼らの存在感は予選を戦うごとに大きくなっていくような気がする。
北朝鮮は自信をつけただろう。彼らにしてみればナイスゲームだった。
「行けるかもしれない!」と今後の予選に明るい兆しを見たはずだ。
楽な相手などひとつもない。だからこそ面白い!!
最後に。この日の日本サポーターはすばらしかった。北朝鮮国歌吹奏後に場内は拍手で包まれた。誇らしく思えた瞬間だった。
しばらくお休みしていたRyo's Eyesはいよいよ始まった最終予選を契機に復刊させようと思います。よろしくです。
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