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自分で考え創造するサッカー/日本サッカーの新しいステージ

(Jun.30,2003)

自分で考え創造するサッカー/日本サッカーの新しいステージ

日本のサッカーコンフェデレーションズ・カップはフランスの2連覇で終えた。フランスの優勝には特段のコメントはないなぁ。むしろ、ピッチで突然倒れ、そのまま息を引き取るというショッキングで悲しい出来事が心に残った大会だった。カメルーンのフォエ選手には哀悼の意を表したいと思います。黙祷・・・。
さて、少しさかのぼって、今大会の日本代表だ。
コロンビア戦後のスポーツ紙1面に「ジーコ辞めろ」の文字が踊っていた。なんて短絡的なんだと、憤りさえ感じた。コンフェデは確かにFIFA主催の公式戦だ。結果も欲しい。確かにDF陣に致命的なミスが出た。FWは点が取れない。フランスは2軍だった。ネガティブな要素はけっこうある。
でも、評価に値する3試合だった。それは、自分たちで試合を創造していこうとする空気が感じられ、なおかつ期待以上に雄弁だったからだ。そして、攻撃陣はしばらくこのメンバーで行こうじゃないか、と誰もが思えたからだ。
トルシエ時代は欧州で活躍できていた選手は中田(英)だけだった。だから、トルシエはノウハウを教え、当時の日本のレベルで列強と相対するためには戦術に選手を当てはめていかなければならなかった。トルシエ自身そういうアプローチの方が得意だった。あのときはあれで良かったんだ。トルシエは、個々の力が劣っていても、戦術と戦う気持ちがあればW杯でベスト16に到達することができることを示し、自信を持つことが重要だということを残して使命を終えた。
日本代表は次のステージに踏み出した。それは、戦術ありきではなく、選手個々の個性と能力を最大限に発揮して戦いきるサッカーへの移行だ。それは、日本のスタイルの模索とも言えるものだろう(僕は決して南米スタイルの移植だとは思っていない)。そしてそれを実際に探求し、回答を提示できる選手がトルシエ時代に比べて増えている。中田(英)、俊輔、小野、稲本、高原らが欧州で格闘してきた財産が代表に還元され始めてきている。それも、欧州のコピーではなく、欧州の中で日本のスタイルを模索した結果としてだ。
ジーコを支持するかどうかはもう少し時間が欲しいと思う。でも、中田の発言は支持する。まったく同じことを僕も考えたからだ。
「僕たち選手が変わらないといけない。考えてプレーを作り上げなければいけない。そうしないとジーコがやろうとしているサッカーはできない。そしてそれができなければ、日本のサッカーは今以上のレベルにはなれない。」
誰かに教わってサッカーをするステージに、もはや日本はいない。フランス戦の中田と俊輔のプレーを見て、そう確信した。中田が発言したことを代表選手だけでなくJリーグの全選手が自分のものとして日々プレーしなければいけないだろう。
トルシエ時代は、高校生か大学生が教師に教わりながらサッカーをしていたようなものだ。ジーコ時代は、自分の個性を仲間の個性と融合させながらサッカーをする大人の集団にならなければいけない。Jリーグ10年で、教わるサッカーから卒業だ。次の10年は選手が自ら考えてプレーを創造していこうと格闘する時代だ。そう、ようやく日本サッカーのスタイルが創造されていく段階にはいったのかもしれない。その先導者が中田(英)と俊輔だ。そのことを強く感じた3試合だった。

 

 

                  

 

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