付加価値はなかった。ラスト15分で効いてきたボディブロー。 グループリーグ突破(=ベスト8)によって必達目標は達成しました。それ自体はほ められていいでしょう。戦い方も堂々としていました。 でも、アメリカに勝ってベスト4に進むことで、もう1ステージあがれると考えてい たので、日本代表に付加価値がついたかというと、まだまだだと言わざるを得ません。 そういう意味では、結果が残せたとは言えないオリンピックになったと思います。 これまでにも、年齢別の世界大会(ワールドユース)ではベスト8以上の実績が日本 にはあります。 93年のU17と95年のU20は松田やヒデ、宮本が活躍してベスト8。 97年のU20では、柳沢、俊輔、明神らの活躍でベスト8。 そして99年のU20では本山、稲本、高原らが準優勝を勝ち取っています。 このオリンピック(U23)も年齢別世界大会の一つです。 当然他の国の選手たちも、多かれ少なかれこれらの大会に出場していたはずです。 とすると、彼らの頭の中には「ベスト4以上」があったはずです。 だからこそ、アメリカには負けてはいけなかった。かなり悔しい敗退です。 僕たちがこれまで手にしたことがないような、スキルが高く、クリエイティブで、攻 撃的で、見ている側も前がかりになれる、先制されても逆転してくれると信じられる チームだったからこそ、1ステージランクアップしてほしかったのです。 もちろん時の運、審判の運ということもあります。次につながる4試合ではありまし たが、「結果を残せた」というよりも「いい経験をした」という感じなのが悔しいで す。 試合の方はというと、延長も語ると長くなる、PK戦は語ってもしょうがないので、 90分の戦い方を見たいと思います。 結論から言うと、アメリカのランニングサッカーに屈する形になってしまいました。 前半引いていたアメリカに対して、途中いやな時間がありましたが、まずまずのリズ ムで試合を進めていました。柳沢に初ゴールが生まれたときには、これでムードがよ くなると喜んだものです。 後半追いつかれても、交代によるシフトチェンジで俊輔が真ん中に入りいくつか形が できて、突き放すゴールも首尾よく奪いました。ここまでは、今まで見てきた日本で した。 しかし残り15分になってから、日本の足がだんだんと止まり始め、波状攻撃を跳ね 返しても前でキープすることができなくなりました。それがPKにつながったと言え ます。 戦術的には、斜めの深いロングボールをDFラインの裏へ放り込まれ、体力にものを 言わせて飛び込んでくる戦術に弱点を抱えている日本のフラット3でしたから、あの 体力勝負に対し右サイドの中沢と酒井が持ちこたえられなくなってしまいました。 そういうリスクは承知の戦術を採っている日本ですから、本当は3点目4点目が必要 だったのです。 ただ中盤も、アメリカの運動量がボディブローのように効いてきて、 守から攻への切り替えが遅くなり、最後は足が止まってしまいました。前線へのフォ ローがなく跳ね返しては相手にボールを奪われる連続になってしまいました。 ゆっくりボールをまわし、残りの時間をリズムを抑えて消費するという術も、彼らは わかっているはずなのにできませんでした。連戦の疲れもあったかもしれません(中 2日で4試合はきついよ、アメリカは休養が1日多い)。 こう考えてくるとアメリカが、よく日本を研究して臨んできたと言えます。 次はアジアカップ。こちらの目標はファイナリストです。決勝進出が目標です。優勝 できるかどうかはそれこそ時の運です。この魅力的な五輪代表を母体にしてA代表が 2002年へ向けて本格的に動き出す第一歩になります。 オリンピックは終わったけれど、次のお楽しみは10月12日から、レバノンで。 もうすぐです。 |