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  • 更新日Jun 15, 2018

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2018.06.15 作曲家協議会(JFC)副会長退任

毎月1回は更新しようと思いつつ、どんどん伸びてしまう。意欲が欠けているんだね。特に変わった話題もない。生活はほとんど同じ。
・5月9日:日本作曲家協議会主催のアンデパンダンがあって、僕は「ロシアの詩による4つの歌曲」を出した。ソプラノ斉藤京子さん、ピアノ武内俊之さん。稀に見る好演だった。すみだトリフォニーホール。
・5月12日:小野光子先生を偲ぶ会。表参道カワイコンサートサロン「パウゼ」
日本・ロシア音楽家協会の元副会長であられた小野光子さんは昨年9月90歳で旅立たれた。先生のお弟子さんが中心となって偲ぶ会を開催した。かつて日・ロ運営委員会に出席された際には事務局はお茶を準備するのだが、小野先生にはいつもビールを準備いたしました。実行委員代表に間宮芳生さんのお名前があり、お目にかかれると思っていたが、欠席でした。
・5月16日:日本作曲家協議会(JFC)理事会。総会に向けての話し合いその他。将来構想に向けて二人の副会長が退任し、若返りを図ろうと提案した。
・5月17日:日本・ロシア音楽家協会運営委員会。こちらは現事務局長から退任希望が出て、次の事務局長を決定。
・5月18日は高尾山へ山歩き。今回コースは一番外側の尾根歩き「稲荷山コース」朝5時半には家を出て、7時頃から登り始め9時前には山頂に到着。下山後高橋家でお蕎麦。温泉で汗流して着替えて帰宅。
・6月5日:日本・ロシア音楽家協会総会。小松佑子新事務局長を選任。
・6月14日:日本作曲家協議会総会。新副会長に菅野由弘氏、川島素晴氏を選任。2012年から副会長を担当し、松下体制をサポートしてきた。松下会長はあと2年で退任したいというお考えのようで、いっぺんに会長、副会長、そして事務局長が交代するのは良くないと思い、先に副会長交代から始めようというわけである。あと2年は理事としてサポートし、その後は理事も辞退しようという方針でおります。

2018.04.06 春爛漫・・・と世間はいうけど・・

 月1回は何か書こうと思いながら、3月はパスで4月となってしまった。
 2月5日、広島にいた。ひろしま美術館で尺八奏者の福田輝久さん、杵屋子邦さんのコンサートがあり、拙作<枕詞と、あいの詠>があって出かけた。飛行機でのとんぼ返り。あとはなんだかダラダラと過ごして2月は通過。とは言いながら、プールは16回行って、脳のリハビリにとバッハの平均律とフーガ1日1時間再開。これは13時間になった。
 3月に入ってやっぱり気持ちが進まない。プール21回、リハビリ16時間。どうも脳が退化始めているみたいだ。自分の年齢が72歳と思い込んでいて、よく考えたら71歳で、それでもおじいさんなんだね。
 昨年12月に2週間で書き上げようとしたピアノ小品集は結局3ヶ月かかってしまった。タイトルは<8枚のキルト>ピアノのために とした。8曲あるので8にまつわるタイトルをと思いあれやこれやの一つに「コスコモス」も入っていた。この花って花びら8枚なんだそうだ。でもバルトークのミクロコスモスを想起させるのでおじゃん。この作品は今年11月に新潟で初演。奏者も決まった。
 その後、これは昨年書いたがいろいろ問題があって、編成替えを思いついた作品の書き直しに入り、終わったところだ。タイトルは<ノトス〜南風>ソプラノサクソフォーン、マリンバ、チェロのために。今年の9月末に岡山で初演予定。
 プールで歩きながら次の作品どうしようかと。一番孤高な編成はなんだろと思って、ふと弦楽四重奏曲にたどり着いた。この分野傑作揃い、さらに1曲加える必要があるのだろうかなんて考えると意気消沈する。
 ボーッと過ごしているようだけど、雑務が毎日湧いてくる。こなして1日が終わる。虚しいな。
 体重、今朝57.6キロ、血圧78-128。中性脂肪はお薬続けても、なお基準値越えのまま。

2018.02.05 演奏旅行同行から戻って・・・

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1月15日に出て、27日に羽田に戻った。拙作は尺八と、ヴィオラによる「フリギアの樹」、尺八と、ヴィオラ、箏による新作「オイロス東風」、他に前田智子さん作品や、箏曲「千鳥」「乱れ」その他である。
連日尺八の田嶋直士さんが「リハーサル※時、※号室」と号令かけて本番に備える日々だった。一つ公演終わると、翌日に前日の反省で工夫を繰り返す。 国際的に活動するプロの演奏家とういうものはこういうものなんだね。観光気分の旅とは異なる。街歩きも少々。
四国の大きさに200万人口のスロベニア、戦争の傷跡残るサラエボ(ここはイスラムの香りが大きく漂う)、大都会ハンガリー・ブタペスト=夜のライトアップが大変素晴らしい。さらに大都会のスペイン・マドリード=ゲルニカも見たし、プラド美術館も行った。体力的にここまで。
 27日に戻って、時差ぼけは田嶋流移動で感じなかったが、スペインから風邪もらってきて、周りに「スペイン風邪だ」と吹聴し、お医者から4日間のお薬頂戴して、結局1周間よーく寝た。1日12時間の日もあった。その間に誕生日が来て、71歳!!! 考えられないお年寄り。まだ頭の中に外に出たがっている音符たちがひしめいているようだから、順序良くカタチにしていきたいと思う。
 1週間が過ぎ、やっぱり時差ぼけだったかな・・・明日から頑張るぞー!!!

2018.01.04 新年あけましておめでとうございます

昨年の更新はたった3回になってしまった。フェイスブックへ写真その他移行したら、こちらが面倒になってきた。相変わらず、曲を書くことへの強迫観念に襲われ、日々を送っているわけで、特に毎日変化があるわけではないです。
携帯目覚ましは5時にかけたまま。大抵鳴る前に起きているけど、ダラダラ6時頃まで NHKのニュース見ながら過ごしていることも多い。体重計に乗る。57キロ台死守で1日の食事量を考える。
7時に朝食。メニューはほとんど変化ない。ピアノ防音部屋に入り午前中はここで過ごすつもりだけど、いつも書けているわけではない。はかどらなければ見切りつけてプールで歩く。歩くうちに閃く事も多い。
午後は買い物、プール、 種々の書類の整理その他。
時に図書館に返しに行き新しい本を借りる。昨年は60冊くらいかな、大したことはない。
夜、読書や、溜まった留守録TV、時にDVDに落とした映画。
時間はたっぷりありそうで、あまりない。気づいたら1日が終わっている事も多い。
これから先の人生そんなに長くないのだから、無駄なく過ごしたいのだが、何が無駄で何が無駄でないのか、時々混乱する。

  15日からスロベニアの首都リュブリャナに4泊、ボスニアヘルツェゴビナのサラエボで2泊、ハンガリーのブタペスト2泊、スペインのマドリード3泊の旅に経つ。拙作新作も含めた3人の奏者、尺八の田嶋直士さん、お箏の阪本沙有理さん、ヴィオラの岩木保道さんのヨーロッパ公演に同行する。
田嶋さんは関空から、阪本さんとお母様と僕は羽田から。フランクフルトで合流してリュブリャナに入る。
岩木さんはここに住んでいる。リュブリャナからサラエボは東京大阪くらいの距離なのに、一旦ウイーンに出て、それからサラエボである。プタペスト行きも一旦ウイーンに出てからだ。ブタペスト→マドリードはフランクフルト乗り換えとなる。陸続きのヨーロッパとはいえ、様々な障壁が待ち構えている。
マドリードからはミュンヘン乗り換えで羽田へ。
毎日気温見ているが、札幌と思えば良い。不安とワクワク感が交差している。

2017.11.18 もろもろ・・・

8月以来更新せず、ひょっとして病気なんじゃあないの〜?というお電話いただいたりしました。
9月はメチャクチャに移動し、行った先々のイベントはフェイスブックに写真入りであげております。

以下9月からの行動記録:
9月1〜3:札幌へ。北海道作曲家協会のコンサートで新作初演、そのあと積丹半島へのバス旅。
4日:JFC理事会
7日:神奈川かなっくホールで、尺八の田島直士さんリサイタル、拙作フリギアの樹のヴィオラヴァージョン初演。
9日:大阪の教会で7日と同じ。
12日:日ロ音楽家協会運営委員会、会報についての話し合い。
20日〜22日:韓国大邱で韓日歌曲交歓演奏会。二宮さんが14年も続けている韓国との交流、「現代音楽書く人も調性のある歌曲を書こうよ」企画に40年前の作品で参加。「今つくっているうた」シリーズから「静かな雨の夜に」。 若者たち朝まで飲んでいたって!付き合えないので、それでも1時半にホテル戻り。
28日:大阪でチェロソロ作品の初演。かなりいいですよ。
10月5日:日ロ音楽家協会ピアノコンサート、豊洲シヴィックセンターホールで、ビデオ収録担当。
10月15日:「越の風」木管五重奏作品のリハーサルで新潟へ。
10月27〜30日:広島東アジア音楽祭に参加。拙作三絃と尺八のための作品。往復フライト。
11月2〜3:JFC主催アジア音楽祭のリハーサル及び本番、そしてビデオ収録担当。
11月11日:福岡で日韓歌曲交歓演奏会。9月の大邱の日本コンサート。同じ曲の人もいるし異なる人もいる。僕は別曲。やはり40年近くも前の「今つくっているうた」シリーズから「雨」「時は過ぎ行く」
「雨」は評判良かった。韓国の声楽家が譜面欲しいと。アルファベット入れないと・・
12日:新潟「越の風」演奏会。「紡ぐ」とタイトルされた木管五重奏曲の初演。スコアの書き直し発生。
前日の福岡から新潟へ、プロペラ機。天気が良く安定していて、素晴らしいフライトだった。安定していればプロペラ機は僕向きだよ。空気の中を泳いでいる気分だ。
11月16日:JFC作曲賞リハで芸大へ。増築増築校舎で迷路みたいだ。久しく踏み入れてなかったから、まるで浦島太郎。
11月17日:現音に出すピアノ連弾作品「クリスタライズ」のリハ、拙宅。
更新・・ 書き出すとすらすらなのだけど、ソフト立ち上げるのが億劫になってきている。

17.08.16. 久しぶりの更新、1曲完成! 

 2月から半年の久しぶりの更新。5月に木管五重奏曲、6月チェロ独奏曲、8月尺八+箏+ビオラ作品と書き上げた。このあと某楽器によるduo〜trio作品を予定している。
時間かけると、凝った複雑系の譜面に変身するので、短期間で書き上げるようにしている。それでも各楽器パートを横に追っかけていくと、目が止まるところ多数あり、ここかしこ改善箇所が増える。奏者がこういう質問するだろうなというところを方策講じる。それでも予期せぬ質問に出会うことがある。奏者の経験不足もあるだろうが、大抵は譜面の要求が不透明なのだ。
僕の知らないところで演奏されても、僕の要求通りになるのがモットーだ。生きているうちはまだいい。いずれいなくなるでしょ、そんな未来ではない。もう古希越えなんだ。
 午前中譜面に向かう。仕上がりが近づくと、どんどん朝が早くなる。通常5時起きなのだが、4時に目が覚め、ある種の恐怖で起き上がる。3時半のこともある。11時に作業中止。お昼の支度。

 ここ1年間朝は、リンゴ一個と人参120gのジュースが定番だ。栄養豊富なカスを捨てずに、すりごま小さじ山盛り2杯、干しぶどうを加え、山椒の粉をふりかけ、マヨールを加えてかき混ぜる。マヨールとは、こんにゃく原料のマヨネーズなんだ。少し値が張るけれど、毎日なので使っている。サイドに豆乳原料のヨーグルト、魚や肉。
魚はイワシが中心である。スーパーで頭、尻尾、ワタを取ってもらって2分割。これを圧力鍋で15分煮込むと骨まで食べられるようになる。1尾(ふた切れ)ずつ、小分けして冷凍。
肉、豚肉カレー用を1センチ角程度に分ける。山椒の味・醤油・みりん等で味付けして圧力鍋5分、放置3分。ふた開けて煮汁がひたひたになるくらい煮込む。これも小分けして冷凍。
 お昼は僕のディナーみたいなもんだ。玄米ご飯、タンパク質・野菜をあの手この手で取るようにしている。おみおつけは中身たっぷり。しめじ、えのき、葉物野菜(ときにもやし)、お味噌は九州の麦味噌、フンドーキンというメーカーさんの500g400円台のが僕の味覚にぴったりだ。
だし汁は、水1Lに対し、真昆布・根昆布で取って、鰹節加え、砂糖15cc、薄口醤油15cc加えてひと煮立ち、即冷やす。冷蔵庫保存。
10食品群チェックシートに記入していくと、イモ類の消費が少ない。ポテトサラダを時々作る。
玄米:鋳物屋製作のの圧力鍋使用。うち鍋に入れてすぐにガス点火。自動消火で消えるのを待つだけ。消えたら15分蒸らす。本当に美味しく炊ける。玄米だけでは見た目が寂しいので、赤米加える。最近はもち麦20%の配合にしている。100gと60g台と二種類に小分けして冷凍保存。
大豆をどう取るか・・・煮豆はしない。一晩つけて圧力鍋で5分蒸らし2分放置。豆の甘みが増している。これも小分けして冷凍保存。サラダのトッピングにしたり、そのままドレッシングかけて食べてもいける。
夜は量を減らす。夜の食事量で、翌日の体重が変化する。現在の57キロ台は絶対に死守したい。
塩分の管理に神経を使っている。その結果かどうか、血圧120を下回っている。
料理アイディアはNHK東京の昼11時半からの「かんたんごはん」である。留守録している。
取り溜めすぎて時々大掃除する。調味料分量は書いている通りに1回はやってみて、あとは味覚との相談である 。
午後、プール行ったり、事務処理片付けたり、居眠りしたり・・・もちろん料理はこの時間帯。
夜、読書したり・・・あと何しているんだろ。朝早い日はもうトロトロで使い物になりません。

17.02.26 広島にて

学生時代の友人テナー伴奏で広島に来ている。
彼も古希、僕も古希、同級生は一緒に歳とります。これにてステージでのピアノ弾きは終了ですね。あまりにストレス多すぎて、やはりピアニスト向きではないんでしょうね、性格的に。
本番はテナーさんの調子があまり良くなくて心配していたが、冷静にサポート出来ました。
僕のピアノに魅入ったという方がおられ、密かな努力は報われたかな。
歌の伴奏者はソリストを引き立てる影武者ですね。簡単な様で実はとても難しい。
作曲家も本質的に演出家であって、これには慣れているのだが。
東京からの移動:飛行機(行き1万4千円、帰り1万円少々)。新幹線より安い。

 1月いっぱいで新作書き終えて、これが終わったら次の新作、今度は木管五重奏の予定である。一番苦手な編成なのだが、チャレンジ精神は発揮したいので。色々プラン練っているが、プラン通りに仕上がった試しがない。5人と言ったら多すぎますよ。でもダブルリードのオーボエとファゴットを組み合わせ、フルートとクラリネットを組ませて、仲人みたいにホルンが絡んでくる様にすれば、対話形式も面白くなるかなあと。

16.12.25 今年も終わり

 10月の韓国大邱行きからめまぐるしい日々ガ過ぎた。
10月22日 新潟へリハーサル往復
10月26〜27札幌へ 真貝さんカスタネットリサイタル。拙作品あり。
10月28日、東京で福田輝久さんリサイタル。拙作品初演。
10月29日、徳島で「中国四国の作曲家」in徳島。ピアノ連弾作品初演。1番が松浦綾音さん、2番が僕。
10月31日、東京で、真貝さんのカスタネット公演。
11月17日、東京で、日ロ音楽家協会作曲部会演奏会。ヴァイブの新作初演
11月25日、新潟で、越の風コンサート。「ロシアの詩による4つの歌」全曲初演。

 特に厳しかったのはヴァイブ新作。本番4日前に楽器の限界に気がつき、深い表現を伴う部分を大幅にカット、スコアを書き直した。

 そのあと、来年初演予定のハープとギターによる作品の徹底した直しを敢行。2001年に初稿上がったものを直すのは苦労が伴います。15年も前の自分には戻れません。元はと言えば、ご夫婦になったピアニストとギタリストのお二人のために書いたのだが、その後の環境の変化でお蔵入りになった。ピアノの部分をハープに書き直すことを思いつき、かつギターのパートが冗漫に思えたので、こちらも書き直した。
要するにスコアを一から書き直したのだ。音量のバランスが難しい編成と思う。

 年内もう1曲と思って、ある編成のものを書き始めたのだが、行き詰まって年末です。

六十肩のマッサージ治療は終了。2年かかると思ったが、半年で終わった。
他に健康状態は特記事項なしです。体重57キロ台をウロウロ、血圧:70台〜110台、立派なもんでしょ。1回40分のプールでの水中歩行を月15〜20回。相変わらず、朝5時には眼が覚めてます。
以前からの課題、中性脂肪値を下げること、これは上がったり下がったりで、平均すると数値を超えている。要するに体質なんでしょ。

16.10.14 韓国大邱で<線の転写>ヴァイオリンとピアノのためにの海外初演

 12日に大邱に来た。今年の4月からLCC t’Way航空が成田からの直行便を飛ばしているので、直行となった。機内サービスは水だけ。荷物の機内持ち込み制限10キロはどこでも同じですね。僕のは6.5キロしかないので、「どうぞどうぞとなった」
 毎日韓国料理の接待があり、多分2キロは太ったかな。
作品は「線の転写」ヴァイオリンとピアノのための。2013年の作品。僕のストップかけながら聴衆に静寂さ、無音状態を求めるスタイルが、韓国で通用するのかどうかと思ったが、演奏者も十分理解し、お客さんも静まり返っていた。譜面に誤解を受けるところが見つかったので、帰ってから修正しよう。

 この大邱でのコンサートは若い作曲家・二宮毅さんのご紹介によるものである。彼にとって大邱は故郷みたいなもので、もう200回ぐらい来ているというから思い入れの強さがわかります。韓国語をどこで勉強したのか90%くらいはわかると。韓国が投資する文化予算は日本の倍額あり、国家予算規模で1%。日本はなんと0.1%!!!!人口は日本が3倍だから、6倍近くの予算が使われている計算となる。羨ましい話である。

16.08.28 札幌で北海道の作曲家展参加 道立近代美術館でポーラ美術館展

 1994年に作曲したハープのための作品<タイムヴァリアブルズIII-β>の本番である。22年前の作品、まだまだ自分探しに右往左往していた頃のものである。選んでいる音は今とあまり変わらない。しかし目指す方向手法に、周りが気になって仕方ないという、もがきが散見される。技術的にもかなり難しい。
 ハーピスト鈴木貴奈さんのリハに2日間参加した。ゲネプロでコチンコチンになっていたみたいで「誰も知らない曲なんだから緊張しないこと」「少しのんびりと」とアドヴァイスしたら、本番豹変した。
練習があまり好きでないらしい。しかし練習は裏切らないよ。頑張ってほしいな。

 道立近代美術館でポーラ美術館展があった。あの箱根のポーラ美術館である。71点もの印象派以降の作品があった。ポーラ美術館の売りはルノワール、ここだけが拡大されるので、あんな幸せな色使いは興味持てないと関心無かったのだが、行ってみれば誰でも知っている作家がすらりと並んでる。色彩と形の苦悩と発展史である。
 打ち上げに出て、深夜帰宅。なんで27日のホテルが取れなかったのか、みんなで首をひねった。ようやく気がついたのは、北海道マラソン大会が28日開催されること。一万人は参加するそうで、「犯人これだ!」

16.08.04 台湾高雄往復 その後の肩、回復順調

 なんだか忙しく、今日になってしまった。手帳を見ると5月24日JFC理事会、6月2日日本・ロシア音楽家協会総会、6月15日JFC総会、6月16日日・ロ発送作業、6月17日松浦さんと10月徳島での連弾のリハーサル、6月28日〜7月1日台湾高雄で、マリンバ作品の演奏会、7月6日日・ロ運営委員会、7月8日JFC理事会。毎日あるわけではないが、その間も様々な用事が入る。

懸案の六十肩。台湾に行く前に貼り薬をやめて、マッサージに通い出した。探せば町内会、いくつも整骨院がある。駅の下にある、「保険ききます」という整骨院に飛び込んだ。その後週1回30分コースで通っているが、マッサージが効き出して、痛みは薄くなり、可動範囲もずいぶん広くなってきた。思った以上に早く回復するかもしれません。
マッサージの先生から、筋肉の質が大変よろしいといわれて嬉しくなってしまった。多分プール歩きのお蔭ではないかと思う。それから日常生活の優先順位1番が、水中歩行と相成った。それでも脳の退化は致し方ないと思う。随分ミスが増えている。

高雄は連日35度。今の東京では似たような気温だが、まだ梅雨寒もある東京からだったので、暑いのなんの。趣味の街散歩も出来なかった。ひたすらホテルと会場の間をてくてく歩き。
台湾、香港、中国、韓国、日本の打楽器作品が集められていたが、中国のはまるで京劇みたい。台湾はどちらかといえば南国風だ。香港は明らかにヨーロッパの文明を透視している。日本はといえば、四季の細かい変化がどの作品にも聴こえてくる ことがわかる。
 誰もお国を背負って作曲なんかしていなくて、自分の内面を覗き込む結果が、作品になっているのだと思うが、国民性や民族性がムンムン漂う演奏会だった。
 ホテル目の前に百貨店。入ってみれば1階は化粧品売り場。日本と同じですね。おまけにメーカーがアルファベット表記になっていて、新宿のデパートだって、何やらヨーロッパ風だから、どこにいるのかわからない。上の階にに食堂と言おうか、レストランと言おうかこれも新宿と同じだ。値段は日本の半分くらいかな。台湾ラーメンは薄味でした。
 入国の手続きに手間取った。両人差し指指紋を撮られるのだが、何度機械に当ててもN0と出る。指紋が薄くなっているんだよー。
 7月に入って、ヴィブラフォン独奏曲を書き出して、1ヶ月で終えた。日・ロの11月の演奏会用のであるが、依頼した梅津千恵子さんから「ヴァイブの曲」と言われていた。残響に頼る作風が多いので、これは避けようとあの手この手である。難しい譜面になってしまった。ごめんなさい。

16.05.21 コンサート終了 その後のアイタタタタ・・

 18日に「クラリネットと、ヴィオラ、ホルンのために」の初演を終えた。演奏家に緊張を強いる作品だった。一瞬の気の緩みがミスを発生させる。クラリネット有馬理絵さん、ヴィオラ甲斐史子さん、ホルン竹内修さん。うまかったなあ〜。感謝感謝!!

 その後もらった、知人からのメッセージその1:
今までのフリーズの間とは、またちょっと違って、空気が凍てつく空間ではなく、響き自体を確かめて聴く時間になってました。演奏家にも聴き手も、体に染み込む時間でした。
あと、何と言っても美しいこと。
純正和音もそうでしたが、クラの高音ロングトーンの後の各楽器が動きながら余韻と空気も使って全体で一つの響きを作る所、また、クラの重音とヴィオラがハーモニーを奏でる繊細な配置!クラの重音って単に音響効果的な使われ方が多い中で、あんなに美しく響いたのは初めて聴いたかも。
曲の長さも感じず、良い空気感のまま終わったのも良かった。
甲斐さん、有馬さんも上手かった、ホルンの竹内さんも素晴らしかった!演奏に気になるところは自分にはあまり感じませんでした。作曲者からはいかがでしたでしょうか。
ということで、充実した作品と姿勢を聴けてまた刺激を頂きました!

その2:
勿論止める音楽はとても素敵。それから3人だけの奏者で演奏しているのに、オーケストラに聞こえる。凄い、何か秘密があるんでしょう…そしてシャープなのに時々、数秒超色っぽい!豊かな音楽だった。

その3:
発見に満ちた時間をいただきありがとうございました。
現代の音楽では、鑑賞時に「予期―満足(不満足)」の連鎖が起きない(にくい)と言われてきましたが、先生の作品では、それが十分に可能であり、とても楽しむことができたので、面白い!と感じました。先生がおっしゃっていた通り、演奏者には緊張が強いられて大変だったと思います。
演奏会後、頭が活性化し、元気が出てきたので、今日からまた頑張ります。

その4:
やはり色彩の豊かさに感銘を受けました。
誤解を恐れずに言わせて頂きますと、ハリウッドやディズニー映画的なゴージャスさを感じました。

今、日本を牽引している若手作曲家からは、「先生のお歳で自分を変えていこうとする生き方はすごい。自分がその歳になったら、出来るのだろうか」とのコメントももらった。

 アイタタタタ・・・の続き。痛みで熟睡 3時間で覚めて、うつらうつらで朝が来る。連日睡眠不足に陥り、当然昼間使い物にならない。作曲家二宮毅さんから、「トゥルースリーパーにしたら治った」と聞いた。二宮さんは昨年やられたそうだ。早速ネット購入、枕もつけてもらった。眠りは改善されつつある。これで日中の居眠りは減らせるだろう。五十肩で・・と言ったら「サバ読んでますね」と言った作曲家がいた。こりゃまずいや、これからは六十肩になって・・にしよう。来年になったら七十肩!!!!そのうち八十肩、九十肩なんて出てくるかも。百肩まで来たら国宝だ、世界遺産だ!!!
 「ワルトシュタイン肩でねえ」と言ってみたけど、こりゃダメだ。なんでワルトシュタイン?ベートーベンのピアノソナタワルトシュタインので出し、アィタタタタタタタタタタタタタタ・・・に聞こえるでしょ。

16.05.09 フローズンショルダー続き・・・

 耐えられず、整形外科医に行った。「五十肩・・・」「これは江戸時代からの言葉でねえ、長生き病とも言われたんだ。フローズンショルダーが世界に通用する病名だ」
 急性期に2週間、慢性期に半年、回復期とあるそうだ。もうとっくに2週間は過ぎ、慢性期なんだろう。かかりつけ内科からロコアテープを処方してもらっている。「効かない」と思っていたら、テープがきれたら、ひどく痛み出した。痛みゼロにならないから「効かない」のは勘違いで、軽減されている。
 このロコアテープ、今年になって発売開始されたもの。袋に「1日最大2枚まで」と大きく印字されている。よほど強力な薬なんだね。シワつけずにテープを貼るのはかなり難しい。たいていシワだらけ、かっこ悪いな。薬局からの副作用注意として「虚脱」があって、五十肩そのものにも「虚脱」があるらしい。左腕がダルくて仕方ない。おまけに痛みで熟睡していないので、集中力は欠け、いつも眠くてたまらない。
 薬局の元お姉さんからは「私もなりました。必ず治りますよ。春は来ますよ・・」励まされた。経験済みの知人に電話すると、ゲラゲラ笑う。他にかけたらやっぱりゲラゲラ。この病気は世間を楽しませるみたいだ。必ず治るから・・・というけど、とてもそう思えない。助けておくれ!!!

 末期癌は痛むという。モルヒネ使って緩和ケアを実行する。この肩の痛みどころではないんだろうなあ〜なんてことを考えたりする。五十肩でモルヒネはないね。
  18歳大学1年の夏に右足の、アキレス腱の移植手術、および整形大手術を敢行した。全身麻酔から覚め、その痛かったこと。夜はもう心臓が飛び出すくらい痛みが体を襲う。ナースコール押して痛み止め打ってもらっても、何も効かない。2週間くらい殆ど一睡もしていなかったと思う。あの時のことを思い出すと、まぁたいしたことはないと思うのだが、当時は若かった。今は急に老け込む恐怖に襲われる。

 ネット検索すると、発病から回復までの苦労話が出てくる出てくる。2年かかった人もいる。その間あの手この手で痛みと戦っている。注射、鍼、整体・・どれも対処療法、抜本的な治療ではない。あーでもないこーでもないしているうちに回復してくるようだ。

  プールには行っている。水中で歩く限り、何も問題ない。多少左腕が控えめになってはいるが、いつものメニューに多少の変化をつけてこなしている。週4〜5日、1回40分。おかげかどうか、血圧125/70、これは30代の正常値範囲だ。体重は56キロ台。学生時代が55キロだったから殆ど同じ。でもウエストサイズは大きく成長した。といってもメタボにはなっていない。

16.04.14 今更四十肩

 1月中旬から左肩がおかしくなった。かかりつけ内科の先生一言「四十肩だよ」僕「もう70近いですよ」「こういうのは四十肩というんだ。お薬効かなければ整形外科に行きなさい」
知人に話すと、誰でも同じことを言う。「整形外科は行っても意味ない」「1年たてば自然に治る」要するにぎっくり腰の肩バージョンだ。骨をつなぐ筋肉の劣化が原因だから、ジタバタしても始まらない。
youtubeで「四十肩」を入れると幾つもの体操が載っている。ためしてガッテンでもやっていた。要するに沢山の人がやられて困り果てているということだ。肩甲骨の管理が重要らしい。近くに「痛み専門」と銘打った整骨治療院もある。ネットで見ると整骨院では「五十肩」は保険の対象にならないと。
 濡れタオル湿布。「ガッテン」の猫ストレッチ、ペンギン体操。起きる前にベッドで両手上げてのぶらぶら体操。寝る前にと思ったけど、ベッドに入った途端、強力睡魔がやってくるので朝だけにしよう。
 昨年は「眼」今年は「肩」か。壊れると思っていた右足は異常なく、他のパーツの劣化が先にやってきた。プールで週4日40分ずつの水中歩行、その他日常生活でも歩け歩け。体重は56キロあたりをうろうろで、BMI21。全部足の劣化を警戒しての生活であって、眼とか腕の付け根とかは強化されていないんだね。

読書歴(2月から)バラバラの読書傾向。探すタネ本は・・・
1)筒井康隆「創作の極意と掟」この本に載っているタイトルは全部目を通そうと。
2)NHKひるまえほっと、月1回の水曜日のブックレビュー、中江友里さんオススメの本。
3)図書館に返しに行ったついでに、目にとまったもの。(大抵ハズレ)
4)読み損ねた傑作、誰でも知っているタイトル。(今は川端康成)
図書館にPCから予約を入れる。本によっては2百何番目ということもある。1年以上待たされますね。
興味を持てないものはさっさと飛ばし読み。借りることの良い点ですね。すぐに返せばいいんだ。

・一晩置いたカレーはなぜおいしいのか 稲垣栄洋/光の家協会/2010
  調理、食材の科学的考察・・・だからどうということもないです。
・水を抱く 石田衣良/新潮社/2013
  主人公にも描き方にも共感持てず。読むのは時間の無駄かも。
・美術館の舞台裏 高橋明也/ちくま新書/2015
  中江友里さんオススメの本。裏話の数々。
・ゴーストボーイ マーティン・ピストリウス/PHP/2015
  「12歳で原因不明の病気にり車椅子に。10年たった頃、あるセラピストが気づいた。マーティンの一部が目覚めていると。そして両親も、息子の知性が少しも損なわれていないと知った。 病に倒れる前の記憶がないマーティンは、車椅子に座り、話すこともできない。しかし、コンピューター分野で素晴らしい才能を発揮。あらゆる困難を乗り越えて恋に落ち、結婚し、ウェブデザイン事業を立ち上げる。」という内容なんだが、飛ばし読みで読了、僕向きでない本。
・韓国人が暴く黒韓史 シンシアリー/扶桑社新書/2015
  ストーカー反日国家の内状。特に新しいこともない。
・不思議なキリスト教 橋爪大三郎×大澤真幸/講談社現代新書/2011
  理解するのが難しいね。
・どうして私、片づけられないの? 毎日が気持ちいい! 櫻井公子/大和出版/2004
  大人の発達障害の本。
・「食べない」生き方 森美千代/サンマーク出版/2013
  世の中こういう人もいる
・天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇 米窪明美/新潮社/2015
  軍部より質素な日々の食卓、身支度、お風呂、トイレ・・・
・十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争 峯村健司/小学館/2015
  習近平は中国を完全に押さえた。筆者の峯村健司氏。朝日新聞[アメリカ]総局(ワシントン)特派員。この人が素晴らしい。
・松下幸之助成功の金言365 松下幸之助/PHP/2011
  今更・・・若い新入社員向けかね。
・女か虎か フランク・R・ストックトン/ハヤカワミステリー/2009
  筒井先生ご推薦の小説。省略の例。
・男と女の悲しい死体 監察医は見た 上野正彦/青春出版社/2003
  3時間で読了。特に感想なし。
・片腕 川端康成/新潮社/1968
  64歳の作品。シュールだ。出だし「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」
・眠れる美女・ちりぬるを 改版 川端康成/新潮文庫/2006
  36歳の作品。「たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ」
・雪国(新版)川端康成/新潮文庫/2002
  「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」この二つ目のセンテンスが素晴らしい
・百歳の力 篠田桃紅/集英社新書/2015
  人生の予測は立てられない。全てなりゆきまかせ・・・
・たんぽぽ(未完) 川端康成/講談社文芸文庫/1996
  久野(男)とその恋人の母親との会話で成り立つ、最後の作品。新聞掲載途中で川端は自殺した。
 秋山駿氏の解説から。昭和9年に書いた文学的自叙伝に次のようにある。
「私が行を起こすのは絶対絶命のあきらめの果てである・・・自作は絶対に読まない・・・自作の嘔吐感に近づくのがいやだ・・・」共感中の共感の言葉だ。

16.02.28 ヘルシンキにて <凍てつく星明りの夜>ピアノのために

 26日にヘルシンキに着いた。2011年の時はスムーズにパスポートコントロールを通過しているのに、今回は何人もの人が止められて、ひどく時間がかかっている。僕は特に絞られるわけでもなく、「何日泊まるの?あっちこっち行くんだろ」難なく通過。アトで聞いた所ではテロと移民問題で厳しくなっているらしい。
 松浦綾音さんが迎えに来てくれた。元勤務先の大学のクラスにいたピアノの優秀な生徒さんである。普通の優秀な生徒さんは大学院行くのだが、それを蹴ってシベリウス音楽院に留学されている。
シバトモコンサートであるが、シベリウス音楽院の日本人留学生・卒業生の作り上げた現代日本作品のコンサートである。拙作の他、塚本一実さん、小林聡さんその他の作品が並んでいる。

 気温は0度前後をウロウロしているが、歩道の雪は殆ど溶けて、夜は凍る。歩くの怖くてトレッキングシューズに杖ついて、へっぴり腰で歩いている。

 会場リハを終えたが、ホールの響きが余り良くないです。無機質系のデザインであるが、木が余り使われていない。多種の照明が取り付けられているので、むしろ音楽よりも他のパフォーマンス系ホールにも見える。
 キアズマ現代美術館に行ってみたが、ビデオアート中心のインスタ系で、こういうものについては東京の厚みを感じてしまう。余り脳の刺激にはならなかった。
 フィンランド最大の「アテネウム美術館」にも行った。ロダン展とJAPAN MANIA展を開催中である.
ロダンは東京上野西洋美術館に山のようにある。特に新しい発見はなかったが、何故か上野の西洋美術館と東京藝術大学が共同制作した、塑像からプロンズ像を作り上げる製作過程を撮影したビデオが流れていて、これは面白かったですね。日本語で文字説明がされていて、違和感なく見ていたのだが、よく考えてみたらここはヘルシンキだ! こちらの人も座っていて妙な気分だった。
JAPANの方は浮世絵と、その影響下の作品を並べて展示していたが、ゴッホも含めて色のどぎつさに少々うんざりする。歌麿、広重、国芳、etc.名だたる浮世絵作家のものが並んでいた。
その他にはゴッホ、ゴーギャン、いずれも若いころの作品。ムンク、モネもあった。ハンマースホイが3点だかあった。フィンランドの画家には特に惹かれるものはなかった。

 本番の日、満席売り切れとなった。2011年に来たときはガラガラで寂しい演奏会であったが、今回はスタッフが頑張ったとのことである。松浦さんは素晴らしい出来映えであった。ピアニッシモからメゾフォルテを行ったり来たりしながら、フリーズは山のようにあるし、また残響のコントロールはしつこいくらいあり、ようやく最後はクレッシェンドがかかる作品であり、ボーッと聞いてて、「迫力ありますねえ」作品ではないので、こちらのお客さんがザワツキ出したらどうしようとヒヤヒヤしていた。所が会場水を打ったように静まりかえり、同じ様な音型が続いても飽きることは無かった。松浦さんは、自分の動作で会場がフリーズすることが、弾いていて楽しくて仕方なかったとか。

16.02.06 気付いたら69歳 なんてこった

 1年前も老いる自分を信じられなかったのだが、今年も更に信じ難い思いで誕生日を越えた。未知の世界へ突入、人生の〆切が音立てて近づいてくる。怖い。ひとりぼっちだ。
まだ、大した作品も書いてないのに、もう閉店間近なのか・・・
 もっと早く諸々決断すべきことがあったのに、ノソノソしていて遅れ遅れになってしまった。学校辞めたのが救いか・・・
もう何十周もの周回遅れ・・・

 正月越えてピアノ連弾作品を作った。同じ4手でも2台ピアノは格闘可だけれど、連弾て楽しむものでしょ。そのような面白さに視点を変えた。上下に2パートを書き込んだスコアを仕上げたが、これでは演奏は無理で、左右にパート譜形式の楽譜に作り替える必要がある。上側を1番と呼ぶが、1番が高音演奏している時に譜面が左ページにあったら、首がおかしくなります。
 レーザープリンターを修理に出して、まだ戻らず五線紙が作れない。実はフィナーレで五線紙を作っているのです。これを思いつく以前は、張り付けした五線をコピー取って使っていたのだが、鉛筆がノラず、いい思いをして来なかった。用紙を試したら、長門屋の中厚紙のノリが最適で、この用紙ではローソンに頼めないので、フィナーレを買い直し、五線紙だけ作ろうと思い至ったわけです。
 10歳位下の世代では、浄書はフィナーレ、又はシベリウスと、PC利用であるが、僕はヤッパリ手書派、苦労して書いた記憶が財産だ。

 水中歩行は今年から40分に。5分増やすだけで、ハーハーゼーゼーである。行かないと再開後疲れが倍増するので、何が何でも週4日、月16回を目指してます。時々ビヤ樽オバさん集団に出合い、目をそらしています。僕の体重56.1キロ。

前回からの読書:
・村上春樹短編集 めくら柳と眠る女 2009/新潮社 全24作品が載っている。要するに、死とか、セックスが絡む話しが面白い。
・人生がときめく片付けの魔法 近藤麻理恵著 サンマーク出版…モノ別に片付けよ、場所別はダメ。ときめかないものは処分。このくらいかなあ参考になったのは。
・石黒宗麿のすべて 人間国宝第1号の陶芸家である。1月いっぱい渋谷区の松濤美術館で開催していた展覧会のカタログである。
この人も複眼なんだね。行き詰まると別な道を探す。
・人口蒸発「5000万人の国家」日本の衝撃 日本再建イニシアティブ編著/新潮社/2015  煽り煽りの恐ろしい本である。日本の終末を描いている。処方箋は、僕にはピンと来ない。
・やってみました1日1食 船瀬俊著/三五館/2014 食生活改善アイディア満載
・食べない健康法 石原結實著/東洋経済新報社/2008 「40過ぎたら1日1食」という過激な健康術。りんご+人参ジュースを朝1杯。これはやってみてます。「食べなくても良い」は慧眼。但しこの著者、タバコOKとあるから、どこか胡散臭いね。
鋭敏な感性を鍛えるために、小食はしばらくやってみよう。覚醒剤に頼る馬鹿な人も世間にはいるけど・・・

15.12.07 高雄へ

 新幹線で高雄へ。台湾第2の都市である。こちらでは「ハイスピードトレイン」と言ってます。台湾新幹線は日本の輸出であり車両は700系の改良型である。要するに日本の新幹線に乗っているのと同じ。1時間40分乗って5千円くらいだから随分安い。
 ホテルはアンバサダー。高級ホテル。午後から香月さんと、海岸を見に行った。遠方にタンカーがズラリ。見た事のない光景だ。その向こうに大陸中国があって、もしかすると、大砲打ち込まれるかもしれないと思うのだが、実にノンビリしている。
 地下鉄で移動して会場へ。新国立劇場にオペラシティーを加えたような、新しいアーツセンターが建設中である。打楽器演奏会。日本からは大前哲さん、金子仁美さんが参加された。
演奏水準は今イチ。金子さんは全く気の毒だった。打ち上げ御馳走になり、帰宅12時半。
この3日間睡眠4時間未満。早く帰って譜面書きたい。
 収支決算:保険料3千円強。1日5千円予算が、全て接待で、4千円も使っていない。台湾作曲家の団体の長である方のお父さんが日本びいきで、資金援助をしておられるという事である。謝謝!!!

15.12.06 台北本番 フルートとクラリネットのために

 台湾師範大学の小ホールでのコンサートの日。午前中あいていたので、香月さん、大前さんご夫妻とで台北最古のお寺、龍山寺に出かけた。ホテル近くからバスで移動したのだが、バスは遠回りしている様で車内の案内掲示と、電子表示が異なっていて、不安だらけだ。おかげで台北市内見物が出来た。バス代一人15台湾ダラー、日本円で60円。人人人…土曜日だ。豪華ないかにも中国風の小さなお寺。帰りはMRT(地下鉄)で戻った。チケット購入でウロウロしていたら、親切な女学生が教えてくれた。80円。
 第一部演奏会に香月さんのヴァイオリン独奏曲がある。名演でしたよ。4時から僕の作品のリハが別室であった。フルート、クラリネット、若い奏者である。演奏しながら入場し、演奏しながら退場する作品であって、この部分はお能の橋懸かりを行き来するイメージだ。まず摺り足歩行練習。それから多数の現代奏法について。フリーズの仕方について。アーティキュレーションの明確さについて。コントラストの取り方について。山のようにある要求(誤解の産物)をどんどんぶつけて行った。思うようには行かない。次第に暗い気持ちになった。僕が死んだら誰も言えないよね。
 1時間後会場リハである。ゲネプロになったら格段に進歩していた。重音奏法は相変わらず思うようには行かないが、ピッチコントロールは充分出来るようになっていた。実は純正律に合わせるピッチコントロールは無視されるかもしれないと思っていたので、まずは合格。
 本番前に解説をして欲しいという事になり、フリーズについて話す事にした。教わったばかりの中国語「ワダ・ミンズ・ジャオ・エンドウマサオ」(わたしの名前は遠藤雅夫です)を言ってみたのだけれど、笑いは取れなかった。日本語→三好泉さんの英語→蔡さんの中国語と通訳が流れている。この間考える暇があるので、お客さん顔を見ながらのワンポイント解説である。
 本番は上出来でした。奏者は「この曲好きだ」と言ってくれている。
その後打ち上げで近くのイタリアンに入り、雑談大会。12時過ぎ帰宅。

15.12.05 台北着

 成田から台北に。以前は羽田からだったのだが、帰国便が高雄からなので成田発着となった。成田に行くルートも今では様々ですね。一昔前は成田エキスプレスしか思いつかなかった。日暮里から有料特急に乗り代えたのが先回。今回は羽田空港→成田空港を行き来するアクセス特急を使ってみた。新宿から都営地下鉄で馬喰横山/東日本橋で乗り換えれば30分に1本やってくる。都営の無料パス持っているので、しめて1170円。お得ですね。時間的にはどのルートも新宿からは1時間半前後であまり変わらないです。
 同行は香月修さん、三好泉さん、それと僕である。台北桃園空港は17度。夏支度の身には少し寒いな。
作曲家・馬定一さんの車で市内へ。ホテルはHoward Civil Service International House 福華国際文教会館である。いつも思うのは漢字で書かれた名前と、英語化されたものとが一致しないことだ。ここは2011年にも泊まった。部屋にあるのは日本製のエアコン、パナソニックテレビ、NHK BSがそのまま放映されている。
 夜、我々3人に、関空からやって来た大前哲さんご夫妻、台湾の馬さん、蔡さん、呂さん(皆さん作曲家)も加わり潘皇龍(パンハーロン)さんご夫妻からのご招待の一席があった。潘皇龍さんは、台湾作曲界の長老である。何料理ですかってっ聞いたけど、よく分らなかった。北京ダックが出て来た。大変おいしいです。

15.11.24 春の流れ ラフマニノフと拙作 さらいまくったピアノ

 お疲れの11月第3楽章終了。11月20日、日本・ロシア音楽家協会主催の公演。チャイコフスキー、ムソログスキー、ラフマニノフの歌曲と、その翻訳詩に新作を付けるという、日・ロならでは企画演奏会だった。僕のソリストは天野加代子さん。元曲はラフマニノフ。自分で弾こうと決めた。
 ラフマニノフが難しい。この人自分の指が大きいものだから、やたら分厚い和音を書きなぐる。自分以外のピアニストが弾く事を想定しているのだろうか。

 4月から練習を始めた。音階・分散和音の練習に30分。2分もかからないラフマニノフに時間かけて、合計1時間のメニューだ。目的は指の腰の強化。これなくして分厚い和音は弾けない。9月になって知り合いのピアニストに「上達しているとは思えない」と言ったら、「1時間でうまくなるはずがない」と言われ、2時間に増やした。ラフマ編曲の「愛の哀しみ」が格好の教材となった。これまた難しい。バッハの平均律、前奏曲とフーガも追加した。10月中旬からは2時間半に増やした。全ては音質感の向上と、腰の強化のため。それでも弾けない所があるので、遠藤省略ヴァージョンを断行した。
 リハーサルは合計6回行った。本番の日のリハーサルで、岸本さんにバランスチェックをお願いしたら「ピアノうるさい!」初めから最後までソフトペダルを踏み続ける事とあいなった。
 楽譜には f 、fff がタップリ書き込んである。所が歌の伴奏の場合、楽譜に書かれた音量指示は、歌手の声量によってあくまで相対的なんだね。器楽の場合、音量が奏者によって全く異なるという事はあり得ないが、歌の場合当然あり得るのだ。
 思い切り控えめに弾くと、歌の細やかなニューアンスがピアノの位置までクリアに聞こえて、これで丁度良いという事なんだ。すっかり忘れていた。後で聞いた所では、名手ボールドウインは、思い切り音の数を減らしていたそうだ。減らすって省略ですよね。どこカットしたのだろうか。
 大問題が発生した。ライトが右から当てられて真上にはない。黒鍵の陰が白鍵に映り、黒鍵が倍に見えて弾けなくなった。焦った。他の人はどう対応しているのか。苦情が来たという話しは聞いたことがない。

 様々な困難を乗り越え本番に入り、あれだけさらった最後のヤマ場でやっぱりはずした。後味悪いねえ。「この曲をちゃんと弾けるなんて滅多にないよ」とは別なピアニストの言である。

 「音色が豊かだった」二宮毅さんの言葉である。さらった効果があったかもしれない。
本番終わったら、虚脱症状に陥った。演奏家って虚しいもんだね。紛らわすには本番が続けてあって、終わった舞台を考える暇がないこと。飲みまくって忘れる事。
 たまに弾く本番、アト2回で人前で弾くのは止めようと思っているけど。そしてアルコールをやらない僕には上手い方法が見つからない。

 10月中に仕上げようと思った新作がまだ途中で、11月末をメドにと思ったが進んでいない。来年5月初演だからまだまだ間に合うのだが、さっさと片付けないと落ち着かない。時間かけると、アレやこれや詰め込み過ぎてすっきりしなくなる。

この間の読書:時間が取れなかった。
・目の見えない人は世界をどう見ているか 2015/伊藤亜紗著 光文社新書 身体の使い方が相当異なっているらしい。
・止まった時計 2015/松本麗華著 講談社 麻原彰晃の三女の手記 極悪非道でも娘から見ればたった一人の父親。

15.11.19 最高の名演 相川麻里子さんと武内俊之さん <線の転写>

 怒濤の11月第2楽章が終了した。11月18日現代音楽協会のアンデパンダン展初日、拙作<線の転写>ヴァイオリンとピアノのために が、オペラシティリサイタルホールであった。ヴァイオリンは相川麻里子さん、ピアノは武内俊之さん。信じられないような崇高な世界が実現されていた。このお二人藝大附属高校からの同級生で、このクラスは優秀な人材を輩出しているが、そのうちのトップ中のトップであろう。
 相川さんは、拙作3作目であり、僕のしたいことを十二分に理解していた。音がスーット伸びること。停止する時フレーズを閉じないこと、音程を綿密にピアノと合わせること、弓の配給すなわち、ダウンアップだけじゃなく弓先、中程、手元の使い分け等、ヴァイオリンの技術の根幹をなす右手の使い方が絶妙にコントロールされていた。また音そのものの魅力、ことにヴィブラートをかけない音の美しさは、もうこの世のものではない、天上の声です。当日のリハーサルから本番まで4時間近くあったが、急激な成長を遂げていた。
アトで伺った所では、この間ボウイーング(右手の弓の上げ下げ)を徹底的に見直したとのことである。
 武内さんは5月に福岡で独奏曲を初演をお願いして、今回2曲目である。ピアノの技術そのものに優れている。リズム感テンポ感はもう天賦の才能そものもだ。音を断ち切るときの清潔さとその後の何もない静寂さ。控えめなペタルの巧みなこと。ヴァイオリンとのバランスの取り方の絶妙な駆け引き=こういうのは無意識に表現されるものであって、意図的だとうるさくなる=このはまり具合がまた実に美しい。実はこうした表現は運動神経及び耳が抜群に良く、頭脳明晰でないと対応出来ないのです。一見控えめに見えるピアノパート(低音は殆ど無い)が、実に豊かに発言していた。

 知人からのメールメッセージに
「何の不純物もない、真っ直ぐなそして全く嘘のない、ごまかしもない美しい時間でした。」とあって、これは最高の褒め言葉です。

相川麻里子さん略歴:第4回「ヴィニアスキー国際コンクールジュニアの部第3位。第62回日本音楽コンクール第3位。東京藝大附属高校→東京藝大→パリコンセルバトワール卒。もちろん満場一致の1位。

武内俊之さん略歴:第63回日本音楽コンクール第1位。東京藝大附属高校→東京藝大→同大学院→ドイツカールスルーエ音大大学院修了。現在福岡教育大准教授。
 福岡に引っ込んだままにならないで、東京に頻繁にでて来て弾いて欲しいな。

15.11.09 キャナルシティ博多

 広島でのコンサートは無事終了した。全部で13ステージ。チョイ疲れます。拙作マリンバソロ作品は鬼気迫る演奏に出会えました。松田亜希子さんありがとう。
 韓国からの2人の作品、これが素材になるんだと思えることからの出発である。台湾からのはまるで京劇みたい、香港からのは同じアジアを感じさせるものがある。
 時々こうして日本以外の作品に接すると、日本では考えられないような思いつきからの作品に出会う事がある。脳の刺激になりますねえ。

 横川駅から山陽線鈍行に乗った。岩国〜新山口〜下関〜門司と乗り継いで4時間半かかって門司港へ。
 あいにく曇天、たまに雨が落ちてくる。そして時々雲が開きまぶしい光がささやく。そのような車窓から、瀬戸内海沿いに進む山陽線は、景色に柔軟性があって乗って良かった鈍行列車だ。ゴトンゴトンと刻む線路の継ぎ目音は昔の旅を思い出させる。今はロングレール主流で、この音は東京の僕の行動域では殆ど接することはない。
 その音にまぶたが落ちつつ、これからの人生を思う。いつまでアクティブな、そして深い精神性を追い求めて、作品に反映させることが出来るのだろうかと・・・
 演奏家は「作曲家って死ぬまで書けるからいいねえ」というけれど、体力気力が衰えたら、生きる屍。

 レトロ門司港はがっかりだった。肝心の門司港駅はリニューアル中でテントの中。少し歩いたけれど、妙に観光地化されていて旅情に浸ることは出来なかった。今まで横浜、神戸、函館、小樽とレトロエリアを歩いて来たけれど、一番は小樽でしょうか。

 キャナルシティー博多にあるワシントンホテルに宿泊。JASRAC経由で廉価に押さえたのだが、楽天から探してみると似たようなものである。決して恩恵に預かっているわけでも無さそうだ。シングルの申し込みが、なんとベッドが4つもあって一瞬目が点になった。
 朝食は久しぶりに色のついたご飯=十穀米、野菜不足を補いたいのでがめ煮(筑前煮)を沢山。旅に出ると日頃の食生活の、玄米、野菜タップリみそ汁、などは接することが出来ない。僕の食生活は世間基準から見ると、余程偏食ということになるんだろう。
 さてキャナルシティー博多、建築デザインはアメリカ人建築家ジョン・ジャーディが担当したが、一瞬イタリア人かと思った。色彩豊かでどこかポストモダンで。曲線を多用している動線はまるで迷路の様だ。こんな商業施設は見たこと無い。また現在位置が初心者には全く分からない。曲線に沿って歩かされるから東西南北感覚が狂って来るのだ。見方変えれば迷路探索のような遊び感覚に溢れているということだ。

 今日は博多駅で相川さんと落ち合い、武内君の車でリハーサルスタジオへ。夜9時過ぎのフライトで羽田へ。深夜帰宅。

15.11.07 広島本番前

 5日から広島に滞在し、今日7日本番である。マリンバ独奏作品。リハも順調に流れ、安心しての本番となるでしょう。
こちらに来る前に新しい靴を試したら、悪い方の右足のくるぶしを痛めてしまった。暇見て歩き回ろうと思ったが諦めて、5日に広島現代美術館、今日はゲネプロ前に原爆資料館に行った。
 資料館は始めてではないが、あらためて入ると、テレビその他で東京で見るのとは全く異なっている。一瞬で人が蒸発し、その後の長期にわたる被爆被害は、他の武器ではあり得ない特殊な爆弾だ。アメリカは性能試す実験として落としたのが真実らしいが、現在も世界は危ない均衡の上に毎日が成り立っている。原発も同じだろう。核のゴミを捨てる場所が無いのに作り続ける。コストパフォーマンスというが、長期的に見て、コストには絶対に見合わないと思う。止めよう核兵器、原子力発電。

 昨日は歓迎パーティーがあった。英語・英語・英語…それだけじゃなくて話題に困る。話題と言っても難しいことではなく、フード、スポーツ、今回は日中韓の漢字の読み方の違いなど、たわいないと言えばたわいない。人を傷つけず、楽しむには持ってこいの内容だと思うが、僕のように、玄米の粗食で生きているものにはフランス料理の話しも、酒の話しもついて行けない。スポーツ観戦も今イチだからこれも入っていけない。コミュニケーションとはこういうものだと思う。だいたい香港だって、台湾だって、韓国だって何度も行っているのだが、いつ行ったかが言えない。海外の人たちは常にスラスラこういうことが口をついて出てくる。何とかしないとね。記憶力の悪さがどうにもならないのですよ。

 今日本番終わって、打ち上げパーティーがあって、明日福岡へ。一番贅沢な旅、途中下車しながらの鈍行列車での移動、門司港に行きたい。大体4時間かかりますね。所が雨模様だし、足の痛みは今イチだし、門司港での1時間以上ののんびりは無理かもしれない。

15.11.04 怒濤の11月スタート・・オーバーかな

 この2ヶ月新作が進まず、気づいたら11月に入っていた、2ヶ月ごとのカレンダーが最後の1枚となり、来年の準備と思ったら、落ち着かなくなった。
 ヴィオラ、クラリネット、ホルンの編成でであり、来年5月21世紀音楽の会で初演が決まっている。似たような音域の音色の異なる楽器編成で、上になったり下になったり、くんずほぐれつの、かたまり音楽を作ろうというわけである。所がアイディア先行で、使い古した塊しか浮かんで来ない。
チラシ用キャッチコピー:静寂な孤立。世界は深海のように見通せず、音は一瞬凍てつき、解凍する。

 11月20日に日・ロのパウゼコンサートがあり、拙作の日本調の歌曲と、ラフマニノフのやたら激しい歌曲の本番がある。ピアノの練習時間を2時間に増やし、ここ1週間前からは2時間半に増やした。もちろん本番の曲ばかりさらっているわけではない、音質感の向上と指の腰の強化のためである。音階練習、分散和音練習で30分、本番で弾く2曲、ラフマニノフ編曲クライスラー作曲の愛の悲しみ、加えたのはバッハの平均律前奏曲とフーガ。2時間が2時間半に増えたら、疲労度も増大している。

 10月24日に小学校の同級会があった。僕のポップスピアノをバックにおしゃべりしようという企画で、錦糸町の小さなクラブを借り切って、久しぶりのポピュラーを2時間弾きまくった。まだ衰えていないみたいだ。僕は高校から音楽高校に入ってしまったので、全員音楽家になっているが、小学校となるとバラバラで、蜂蜜製造に携わっている友達がいた。様々な現在に出会えるのが良い。殆どは会社定年後で、老いないようにボランティア活動に精出している人も多数いた。

 乃木坂の新国立美術館まで15分とかからないので、足繁く通うことにした。障碍者手帳のおかげで入場無料である。
第70回記念行動展、第79回新制展、第59回一期展、第69回一陽展、第79回自由美術展、第83回独立展、第69回二期展。これはというのは2回見に行った。全てが傑作であるはずは無いが、合計3,000点以上の絵画に接して、共通項を見出したとすれば、どの作品も緻密に丁寧に沢山のことを書き込んでいるということ。殆どの作品タイトルが情緒的であって、思想理念を表現しているものとは遠いこと。
 この中で果たして未来を見つめている作家が、あるいは現実を強く切り込んでいる作家がどれほどいるのかは、僕にはわからないが、毎年膨大な量の作品が製作されていると思うと、身震いする。殆どは忘れ去られてしまうのだ。音楽作品も同じに違いない。鳴った瞬間から個性的でなければならない。

この間の読書。
・城 カフカ 映画にもなっていて、YouTubeで見ることが出来る。ただしドイツ語。本の方が想像力が膨らむ。
・仕事が速い人と仕事が遅い人の習慣 山本憲明著/2013明日香出版…二流のビジネス本。後悔
・本能寺の変431年目の真実 明智憲三郎著/2013文芸者文庫 
  光秀の子孫という著者。あまり興味持てず飛ばし読み。
・日本人が知っておくべき嘘つき韓国の正体」SAPIO編集部/編 2014/小学館 
  ネットで書かれているこのての情報に特に加えるもの無し。半分無駄後悔
・新井満と語る威厳を持った老後と哀れな老後と 2004/新風舎文庫 
  インタビューは1992年からのものである。古いですねえ。この間の死生観は随分変化したように思う。
・ロミオとジュリエット 言うまでもなくシェイクスピアの傑作。マトモに読んだことが無く昔々買って放置したままになっていたので読み返した。人間関係図式を書くようにしたらスラスラと読める。
・半島へ 稲葉真弓著 2011/講談社 志摩半島での1年を書いた内容だ。筒井康隆氏ご推薦の色気ののある本。自然描写の何と豊かなことであろう。行ったことの無い志摩半島だが、訪れてみたい。
・海松(「みる」と読む)同じ稲葉真弓著 2009/新潮社
・明暗 夏目漱石著 2009/ちくま文庫 明治元年生まれの夏目漱石、全然古くない。未完の大作、文庫本で633ページ=完了まで辿り着かずに漱石は没した。
新婚の津田・お延部を巡る醜悪な人間の百鬼夜行。筒井康隆氏によると「会話のすごみ」だそうだ。
・続明暗 水村美苗著 2009/ちくま文庫 著者は漱石の続きを知りたい、ならば書こうと、文体を漱石に似せて書いたそうだ。もちろん当たり前だが似て非なるもの。大変面白い。こちらも長い417ページ
・天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々 メイソン・カリー著 2015/フィルムアート社 161人のクリエーターたちの食事、睡眠、趣味、習慣など。思った以上に朝型が多いし、「天から降ってくるのを待っている」人も少ない。
 ベートーベンは毎朝正確に数えた60粒の豆を挽いたコーヒーを飲んでいた。試しに60粒数えてみたら8グラムで、90度150ccの熱湯で淹れてみたが、濃いめの普通のコーヒーである。僕はいつも薄めのをブラックで、砂糖ミルクなど入れずに飲んでます。
大変面白い本である。この本は買うべきだ。

15.09.05 気づいたら2ヶ月半過ぎていた。ダラダラ・・

 6月の旅を終え、残務整理をして7月8月と過ぎ9月になってしまった。5月に書き上げた「三本の尺八のために」を福田輝久さんに演奏上の問題点が無いかチェックしていただき、OKが出たのでパート譜を書き上げた。
 歌を2曲書いた。3月に「九つのロシアの詩による日本歌曲←ロシア歌曲」の後援のために1曲書いたのだが、ふと思い立ちアト2曲ソプラノ用に書いた。3月のはメゾソプラノ用だが、これをソプラノ用に書き直した。2010年にプーシキンの詩で1曲書いたのも修正加えて、ソプラノ用に移調し、合計4曲。これで1ステージ分となる。並べてみたら、4曲とも似通った作品となり、うんざりした。1曲ずつ書くと、その中に全ての思いを投入し、そこで完結してしまうので、どれもこれも似た曲になってしまうのだ。気づいて単純化の修正を施した。来年秋に新潟で初演の予定である。
 8月9月で1曲と思ったが、8月の暑さでやる気が起きずダラダラ日々が過ぎて9月となってしまった。
図書館から本を借りるということを思いついて随分時間が経地、読書量は増えて来た。
最近では筒井康隆の「創作の極意と掟」が、とても面白かった。返すのは惜しいのでAmazonから購入。この中に参考として出てくる本を片端から読もうと。。。まあ無理とは思うが。
ニコルソン・ベイヤー著「もしもし」・・・電話の対話だけで成り立つ小説。こんな書き方もあり得るんだ。
レーモン・クノー著 朝比奈弘治訳「文体練習」・・・どうということない単純な文章を、なんと99の文体で書き換えている「小説」だ。誠に面白い。小説というより、詩集に思えた。やはり返すのが惜しいので購入。借りたのとは別の訳で、松島征、原野葉子、福田裕大、河田学らの訳、水声社刊。Amazonで中古。
 カフカの審判も借りて来た。変身しか読んでいなかったのでどこが「20世紀を代表とする作家」なのかが、読みどころである。その後「城」を借りて来ている。未だこれからだ。その前に借りた、アマンダ・リプリー著「生き残れる判断 生き残れない行動」今これを撃破中。
「大人の発達障害」に関する本も何冊か読んだ。僕も引っ掛かるのでは無いかと思ったから。しかし該当することは少なく、やはり以前から自覚しているPTSDが僕を圧し潰しているのだと思う。
 銀座の隣にある京橋からすぐの所に「東京国立近代美術館フィルムセンター」があって、2度ほど出かけた。見た映画は「どですかでん」「飢餓海峡」。こういうのは大スクリーンで見なければダメだね。
 8月に入ってパソコンが壊れた。余り使っていないiMac24インチが、ハードディスクを読み込まなくなった。「?」マークが点滅する。ネットでアドバイスされている6つくらいの方法全て試してみたけれど、ダメだ。直す価値があるのかどうか。見た目は大変美しい。家具としても部屋に調和している。OSが10.6で更新出来ず、スピードも遅い。使用5年。数万円以上かけて、直す価値あるかどうか。引き取るサイトもあって調べたら、A店8,000円、B店2,000円〜4,000円。思案中である。

15.06.19〜22 旅する作曲家の今年前期の旅最後に 札幌〜新得町

 6月19日東京曇雨、札幌晴。8時20分のフライトである。ラッシュに引っ掛かったらまずいと早朝羽田に向かった。札幌新千歳空港から新さっぽろ駅のアークシティホテルへ。荷物預けて札幌へ地下鉄東西線で大通りで下車「ごまそば」を食べた。普通のそばに細かく刻んだ黒ごまが練り込んであるのだが,だからといってごまの香ばしい香りがするでなく,B級グルメの一品かな。
 大通りから時計台へ。札幌と言えばここの写真。懐かしさ満載の建物である。思い出せば学生時代の芸大の教室と同じ香りがする・・・一番面白かったのは小泉文夫先生の東洋音楽史だった。内部の見学もした。
 赤れんがで有名な北海道庁旧本庁舎(国の重要文化財)はパスして,緑のオアシスの中をボーッと歩こうと北大植物園へ。ハルニレの巨木があちらこちらに点在している。ライラックの並木道を向かったらハシドイと書かれてあって混乱した。日本に元々あるのがハシドイでヨーロッパ原産がライラックなんだって。
ハシドイじゃ気分出ないね。疲れてホテルに戻り休憩。夕方藻岩山に登るつもりだったが,ダウン。夕飯はやっぱり札幌ラーメンかなとホテル近くで。そのお店はコクはあるのだが塩味が利きすぎて,僕向きじゃないです。
 札幌の街はきちんとしていて迷路に出会えない。京都の街並を参考にしたらしいが,街並に京都のような趣が出て来るには1000年はかかるであろう。
 新さっぽろは中心街から地下鉄で20分くらい行ったところ。カスタネット奏者の真貝さんのご自宅がここにある。明日9時半に彼の車で新得町へ。2時間くらいかかるそうだ。
 万歩計:15,291歩

 6月20日新得町晴れ。真貝さんご夫妻(実は奥方は芸高以来の同級生なんだ)と、長ーいトンネルを抜けて新得町へ。町一番のお蕎麦や「みなとや」さんに出演者全員集合で町からのオゴリで,お蕎麦を頂戴。新得町は寒暖の差が激しく,こういう土地にはうまい蕎麦が育つそうだ。コシがあってとてもおいしかった。 会場は20数年前に廃校になった新内小学校の音楽室を改造したもの。音のとても良く響くホールに変身している。ここの教育委員会主催でコンサートで,今回100回記念だそうだ。リハはすっきり終了。くったりレイク・インに移動。アルカリ低拡張温泉。効能:神経痛,冷え性,消化器症,皮膚病,婦人病,高血圧症,糖尿病。どれも僕は持っていない病ですね。
 万歩計:3,859歩

 6月21日新得町快晴。9時に車で会場に移動。最終リハである。1時から本番開始。100回記念ということで3グループがそれぞれ30分の持ち分で出演。その後合同演奏で全員〜ソロまであり拙作はそこでの上演である。演奏前に意図を説明した。
 カスタネットとヴァイオリンは演奏しながら入場し,少し演奏してはフリーズし,ピアニストもフリーズしながら入場し・・・で本体に入り,もちろんこの部分はフリーズのオンパレード。真貝さんからいただいたヴィデオを仔細に研究して書いたカスタネットパートは,真貝さんからは「やったことのないフレーズが沢山ある」と言われている。最後はやはり演奏しながら退場する・・・
 面倒な指示が沢山ある楽譜の意図を、ピアニストの小杉恵さん、ヴァイオリニストの山本聖子さん,もちろん真貝さん、瞬時に理解し演奏に反映されていた。感謝の気持ちで一杯である。
 フリーズさせたら,お客さんがざわざわ騒ぎだすのではないかと,いつもハラハラするのだが,今回も水を打ったように静寂に包まれていた。手に汗握っていたので気がつかなかったけれど,「(近隣の)牛が反応して合奏してたよ」と後で言われた。
 アレンジされたラヴェルのボレロがあった。原曲の3分の2くらいの圧縮版だが,小太鼓は2小節パターンで合計120数回繰り返す。後で,パート譜はどうなっているのと聞いたら,チョンチョン(繰り返し)マークで書かれているわけではなくて、全部書き込んであって、きちんと追っかけていくのだそうだ。でないと錯覚が生ずるとのことである。実際勘違いでパターンを間違えた演奏を何度か聞いているそうだ。
 アンコールに唱歌「ふるさと」を全員のアンサンブルとお客さん皆で合唱して、4時間半を越えた演奏会は終了した。この「ふるさと」という曲,歌っていると何故かジーンとしてくる。長調なのに不思議な曲だ。
 写真撮影の後,真貝さんの車で夜の帳が降りる中,2時間かけて札幌に移動。この間全く光のない原野を走り抜ける。この景色、本州では見られないだろうな。必ずどこかに光があるものだ。ボーッと眺めていたら昔ルーマニアを旅した時のことを思いだした。あの時は満天星空だったなあ。天の川も見えていたっけ。
 ホテルに9時頃到着。明日は11時40分のフライトだ。15時から日本作曲家協議会の総会がある。
 万歩計:6,847歩

 6月22日札幌曇り。不眠症なのか,単なるオジイさん病なのか,朝4時半には目が覚める。昨日は12時過ぎに寝たから4時間半。起きてみれば頭は帰宅モード。帰ってすぐ3軒隣のJASRACで会議有り,打ち上げあり・・・書きかけの新作の清書上げないと・・・・ 
 ホテルエミシア朝食:洋食系中心のメニュー。こっちに手を出さず,専ら和食。
・にしん切り込み・・・生の鰊を細切りにし、塩と米麹で漬け込み熟成させたもの。大変おいしい◎
・岩のりクラゲ・・・こりこりした食感がおいしい。ネットで見ると,どれもこれもソルビン酸が入っている。こりゃダメだ。

予約入れていた図書館から取置のメールが2件。
・なぜ、「おなかをすかせる」と病気にならないのか?
・がんが自然に治る生き方 余命宣告から「劇的な寛解」

 次回の旅は11月になりそうだ。

15.06.04〜07 旅する作曲家の旅半ば 広島 中国・四国の作曲家

 6月4日晴。6月1日に帰宅して,4日に広島に来た。「中国・四国の作曲家」第2回演奏会より準会員として参加し,今年で僕としては7回目のコンサートである。
 午前中に事前リハを入れていただいた。かなり困難な作品であるが,フルートの万代恵子さん,クラリネットの末永祐美子さんは,「合わせを重ねるごとに面白くなって来ました」。 クラリネットにスラップタンギングという特殊奏法の指定が山のようにあり,「リードを何枚も壊してしまった」とのことで,なんだか大変申し訳ないです。
 最初に演奏しながら入場し,最後に同じように退場する。お能の橋懸かりをイメージしての演出であるが,これは会場を見ないと,スピード,歩く方向など確定出来ない。
 リハ後,市内の川端から船で宮島に行った。神社はパスして,目的地はロープウエー経由で厳島中央の弥山(標高535m)頂上まで行くこと。たかが片道30分の頂上までの道のりだが,階段が多く,ホントに山登りだった。頂上からは瀬戸内海が360度展開している。
 下山して干潮時歩いて行ける大鳥居や社殿を見ていると,改めて海に社を造ろうという奇想天外な発想に驚かされる。満潮時の幻想的な神の世界の映像を日頃見せられているが,干潮時は築営時の原風景だと思うが,1400年前の政権担当者の透徹した眼力を感ずる。
 広島に来たらお好み焼きを食べて行かなけりゃと思い,有名なお好み村に入ったが,25軒もあって目眩がした。どこが一番おいしいかなんてわかるわけがない。入ったすぐの店は外人で満杯。場所の勝ち!かな。
人気のあるのは混んでいる店,とは思うが,お腹が空いていたので待ち切れず,暇そうなお店に入った。イマイチでした。
 法華クラブ広島に投泊。こじんまりとしたビジネスホテル。朝食はおいしい。地産地消をめざし,日頃とは異なる食感,味覚に出会うのが嬉しい。とくに「がんす」という練り物は大変おいしい。

 6月5日雨。ホテル近くの頼山陽記念館,隣の,原爆でも倒れなかった旧日銀広島支店地下の展示会を覗き,お昼にエリザベート音大の名誉教授で声楽家の同級生内田陽一郎君と会食。内田君も僕も2年後には古希だ。彼は記念コンサートを計画していて,そのうちのカンツォーネ(学生時代僕は得意面々になって伴奏していた)のピアノは僕担当だ。今でも気だけはお互い若いが,あちこちよれて来ている。
 明日の本番に仕事で来れない内田君を連れて,会場リハーサルに出かけた。音の良く響く流川教会。拙作は奏者は客席後方から吹きながら,停まりながら舞台へと移動する,最後は同じ道を退却する。そのような仕掛けがあるのだが,これが結構難しい。音楽のテンポと歩くテンポはどうしても合致して単純になってしまう。最後まで微調整に明け暮れた。 

 6月6日晴。内田君が9時40分に車で迎えに来てくれた。広島現代美術館に行こうと思っていたが,館内メンテナンスのため休館,県立美術館を訪ねた。「民芸運動の旗手たち ―河井寬次郎を中心に」河井寬次郎のものが特に良かった。
 隣は日本の歴史公園100選の一つ「縮景園」である。もちろん原爆で全て飛ばされ復興したものだ。しばし時を過ごし,お昼は内田君行きつけのお好み焼き屋に入った。ここはおいしかった。やはり地元の人に任せるのが一番かな。
 午後から最終リハがあり,歩き方練習。テンポが落ちないようにetc〜。夕方から本番,フルートの万代恵子さん,クラリネットの末永祐美子さん,お二人は頑張り抜いた。とてもよい演奏だった。作品の評判も上々である。
 その後打ち上げ,がんすを期待していたがそのようなものは出なかった。呑み屋の料理は大体どこでも同じ。呑まない僕には太るための料理としか思えない。我慢したくても食欲は更新するんだ。呑み屋の料理とはそんなもの。ホテル帰宅深夜。

 6月7日晴。朝食終えて,ようやく乗るコツを覚えた広電でサッサと広島駅へ。早めの列車に変更し構内のお土産点を覗いたら「がんす」を売っていた。
広島・東京間で新幹線と飛行機が相打ちかなあ。時間&経費の比較で。

15.05.26〜06.01 旅する作曲家の旅の始まり 福岡〜有田 JFCアンデパンダン

 5月29,旅の始まり。日本作曲家協議会アンデパンダン展福岡公演があり,拙作があって,また責任者として福岡に泊まった。福岡ガーデンパレス,私学共済の宿だ。家族連れの宿泊客は見当たらず,ロビーは静寂である。朝食メニューは豪華とは言えない。しかしこれで充分だ。なんせ500円。
 那珂川に近い。昨年92歳の生涯を終えられた,詩人那珂太郎さんの生まれ故郷である。那珂川からぺンネームを頂戴したそうだ。そんなことを思いながら早朝散歩をした。
 初めて知ったのだが,江戸時代まではこの那珂川を挟んで東側を博多といい,西側を福岡という。明治になって合併して,JR駅に名前が博多が残った。

 着いた29日は蒸し暑く,おまけに2・3日前から下痢気味で体調に不安を抱え,まちかど見物予定を止めてしばしホテルで休み,その後近くの県立美術館へ行った。規模の小さな美術館。石川博己写真展が良かった。廃坑を中心としたものであり,とても興味深かった。通過して来た日本の青春を思い起こす。

 30日。あいれふホール。演奏会前半に拙作品があり,後半にこちらの責任者二宮毅さんの作品があり,前半の司会を二宮さん,後半の司会を遠藤が担当した。
 拙作は新作ピアノ独奏曲である。ピアノは武内俊之さん,昔々の教え子さん。芸高・芸大・同大学院を通過し,その間日本音コン1位を取り,カールスルーエに留学して,現在福岡教育大の先生をしている。集中力・音色・残響コントロール抜群。僕の作品には適任のピアニストと思った。もっと活動して欲しい。

 5月31日。武雄温泉への移動日。第一プラン;博多から吉野ヶ里古墳を見て武雄温泉へ。しかし吉野ヶ里公園で途中下車する程でもないことに気がつき,第二プラン;太宰府の九州博物館に行ってから武雄温泉へ。ホテルのフロントで色々尋ねると,困難な点がいくつかありこのプランも撤回。まず重たい荷物転がして太宰府の駅から九博までは無理だとのこと,駅のコインロッカーは数が少ないなどなど。
 そこで第3プランの博多周辺の市内見物に決めた。博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事,5月の博多どんたくで有名な櫛田神社,そしてその周辺。やっぱり疲れて,程よく切り上げ博多駅へ。
 暇つぶしのため,特急で1時間10分くらいの,おおよそ80キロくらいの距離を,ワザワザ鈍行で移動,博多〜鳥栖〜佐賀〜肥前山口・・・武雄温泉へ。3時間かかったかな。
ホントは鈍行の旅好きなんだよ。見えない景色が見えてくるから。

 6月1日。田中秀範・百合子ご夫妻の車で有田へ。秀範氏とは40余年ぶりの再会。フルート吹きの百合子さんは東音大の教え子で,僕は二人のキューピットだったんだね実は。
 秀範さんは東京理科大を出て,電通に就職,クールジャパンの売込みを担当し,「富士山を世界遺産に」の仕掛人でもある。経歴はざっと次のような具合である。
 電通USAデジタル・コミュニケーション・ラボ所長兼 スタンフォード大学CSLI企業研究員、プロジェクト・プロデュース局シニアプロデューサーを歴任し、2008年6月末に退社。
(財)マルチメディアソフト振興協会企画委員、杉並区アニメーション振興戦略会議委員、(財)地球産業文化研究所ツーリズム研究会委員、NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議事務局長などを歴任。その後故郷の有田に戻り,町からの委託を受け有田焼きの世界戦略に関わっている。
 地元の名所,一人旅では行けない場所を案内してもらった。しん窯では70歳というご主人と小一時間話が弾んだ。僕みたいな作曲家を羨ましく思うらしい。「遠藤さんは強いお方なんですねえ」「有田ではそんなに勝手なことは出来ないんです」

 その後長崎空港に送ってもらって,羽田に戻り,バスで新宿に向かった。バスは国際ターミナル→ANAターミナル→JALターミナルを経由するのだが,空港出たのが11時10分,何と新宿に11時半に着いた!!!小田急に乗り換え自宅まで1時間でついてしまった。噂どおりの早さである。

 その前5月21日,日本作曲家協議会主催のアンデパンダン展,東京公演が終了した。僕は司会インタビュー担当。
司会者として肝に銘じていることがある。
1)主役は作曲者であるということ。当たり前だが,時々自分の知識をひけらかしてるインタビュアに出会う事がある。よく勉強していてその通りだから,主役は「ハイ」「そうですね」だけで終る。聞いていて腹立たしくなる。自分が知っていることも全部主役にお話頂く。
2)直前リハーサルは聞いている。だからといって「こんな曲ですよね」の問いかけはしたくない。お客様の聞く方向を誘導する事になるでしょ。→評論家的に話すインタビュアがいた。上から目線みたいで見苦しい。
3)プログラムに書かれていることを聞いても仕方ない。作品の背景や作曲者の人となりや,思いもかけず苦労した裏話が聞けると,聴衆は理解が深まるに違いない。プログラムあるキーワードを探し,面白い,もっと聞きたいと僕が思ったことを聞くようにしている。
4)話しだすとやたら長くなる人がいる。これは止めたいですね。かつて7分くらいの曲なのに,10分もしゃべっていた人がいた。予め2分くらいでと,申し上げておけばそんなに長くはならない。
5)長ーいおつきあいの仲間で,内輪話に終始していた例があった。聴衆は二人の関係を聞きたいわけじゃない。

要するに黒子に徹すること,聴衆の一人としてここは聞きたいな,と思えることを話題にしたい。

 5月16日にアマチュアマンドリンアンサンブルのコンサートが終了した。原譜にギターを加えた新ヴァージョンである。この曲では複数の拍子が同時進行する遊びがあちこちに仕込まれていて,演奏者は細心の注意と運動神経が要求されるのだが,よくこなしていた。旋法を用いた作品だが所々三味線風に聞こえる所もあるらしく「和テイストですね」とは古い友達の発言。リズムが面白くワクワクして・・・というコメントもあった。23年も前の作品で,今とは異なる自分がそこにあった。

15.05.15 あっという間の3ヶ月!!!

この3ヶ月,何をしていたのかなかなか思い出せない。
 3月に歌曲を1曲。秋に日本・ロシア音楽家協会のコンサート企画なのだが,ひとつの詩をロシア語の作品で,日本語翻訳詩を我々が作曲して,両方を同じ歌い手が歌うというのがあって,僕はラフマニノフが作曲した「春の流れ」に決まり,2日で書き上げた。ピアノは自分で弾きたいと思うので,ラフマをさらいだした。とにかく難しい。歌曲の伴奏譜をこんな具合に書かれたら迷惑そのものである。12度にわたる左手の和音,コンチェルトのソロのような,スピード感+華やかで激しいラスト。
 4月に入ってある演奏会で,この曲をプロのピアニストが見事に外していた。これで僕の態度は決定。プロに弾けないものが僕に弾けるわけない。ジッと見れば見るほどにオーケストラ譜のピアノリダクション譜に見えてくる。こういうものを自分流に編曲するのはお得意なんだね。遠藤ヴァージョンにして遠目に楽譜どおりに聞かせる手を思いつき,それでさらっている。本番11月だというのに,今から何焦っているのかとも思えるけれど,良い音質,確かなタッチなんて,一夜漬けの世界ではない。
 拙作の「春の流れは」日本の春が順番に時間かけてやって来るように,穏やかで,音数も多くはない。ラフマとの対比で,いいだろうと思う。
 歌を終えて,「三本の尺八のために」という作品に取りかかった。依頼者の福田輝久さんから「簡単に書けるでしょう」と言われたが,悩み事多く4月末までかかってしまった。一番考え込んだのは3者の「関係性」だった。協調,戦い,伴走etc. 単線が3つ重なる日本式の路線でありたいことと,3者が異なる線で対話するヨーロッパ方式との兼ね合いをどうするか。
 3本は,基本管のd管,ひとつ上のe管,長管のA管にした。三木稔著の「日本楽器法」には基本d管の運指表,トリル表その他が載っていで,これを参考に,e管,A管用をを作った。普通移調楽器は記譜上の運指は全部同じで,移調譜で対応するのだが,尺八5線譜では実音を書くので,便利な様で不便な点が多々ある。
 そもそも尺八は五つ穴のと七つ穴のとがあって,現代音楽で5穴は無理なので,当然7穴管使用である。音階は基本管は西洋のB dur(変ロ長調)で,e管はC dur(ハ長調),A管はF dur(ヘ長調)に穴が作られている。西洋の楽器のように全てが同質の音を出せるかと言えばそうでは無い。もし均一なら尺八らしさから離れて行く気もするので,それぞれの特徴を出すことを心がけた。
 5月に入り,先のロシア⇒日本歌曲をもう2曲書いて,曲集とすることを思いついた。2010年にこの企画で1曲書いていたので,合計4曲,既にある原作はメゾソプラノ用でなので,ソプラノ用に書き直した。
今取りかかっている所である。いつものことながら,「簡単に書こう」「ひらめいたら即実行」と思うのだが,思い通りにはいかないです。

 だんだんこのブログを書くことが重くなって来て,怠け心に満たされてるようだ。毎日作曲で悩み,要するに特段変化の無い日々。提案したい話題もあまり無いのだかから困った困った。

15.02.27 カメラマンのイトコの死

 イトコに遠藤政史というカメラマンがいた。会ったことはなかった。歳は僕より少し下。僕の父親のすぐ下の弟の三男。遠縁に当たる別イトコからの連絡で知った。ネットに名前を入れると出てくる。国際的な政治カメラマンを目指していたらしいが,食べて行くためアダルト系映画を随分録っていた。カメラマンという仕事はパファーマーじゃないから,どこかで自分を消さなければならない。ストレスも溜まるだろう。
昨年10月に,帰宅した息子に発見され,検視の結果脳出血だったらしい。半身不随にはならなかったから子孝行。
「葬式はやらず、誰にも来て貰わず、遺骨は葉山の海に散骨するように」…仕事に関わった人も沢山いたろうに。親戚付き合いは全くしていなかったという。
 会いたいと思ったときに会っておかないと,機会を失うトシにとっくになって来ている。人は「まだまだですよ」というけれど。
 いつどうなってもいいように,シンプルライフに徹しよう。作家活動も10年はないだろう。下手すると5年。ヒト見てそう思う。たまに例外の人もいるけど,自分が例外だなんて思っていない。
 終活はとっくに始めている。本,写真,衣類,食器などなど。沢山あっても覚えていられない。忘れて済むものなら不要品だ。おまけにモノには新陳代謝ってもんがあるもんだ。ゴミ行きだけでなく,バサー,図書館リサイクル,友人知人へ譲渡など無駄にはしていない。それでも見た目はあまり変化がない。
 人付き合いは相変わらずあまりいい方ではない。アルコールをやらないのと,体重維持のため,夜のお付き合いは殆どゼロに近い。今更飲みニケーションで仕事を取るトシでもなかろうし,たまに付き合うと1キロは増えている。戻すのに苦労する。

 今月は確定申告を終えて…やっぱり住民税ただみたいだ。フルートとクラリネットのための作品はほ完成。前半は予定どおり静寂感タップリだけど,後半は我慢が出来なくなった。1曲終わったらいつも思う,どこか一人旅へ…家族いないから当たり前だけど,思うだけでなかなか実行に移せない。
今したい旅…鈍行の旅。でもなあ温泉に一人で泊まってもねえ〜食べて太ってまた1週間ひもじい思いをして…それでプラン倒れになる。

15.02.01 誕生日だ68歳!

 68歳になってしまった。ここまで生きて来れるとは思わなかった。10代の頃は28歳でオシマイと思っていた。28越え,アトは残り,好き勝手に生きようと思ったが,世の中甘くはない。30代に入り,間違い婚をしてシャニムニ働いた。解消に戸籍上15年かかった。49になって私学の専任になって,70定年の遥か手前,64で身を引いた。やっぱり15年だ。それから4年。今一番したい事している。初めて作曲家らしい生活なんだろう。残るは最終コーナーをいかに効率よく突っ走るかだ。課題は体力・気力,いささか不安である。
 昨年は加齢黄斑変性に引っ掻き回されたが,今年はどんな落とし穴が待ち構えているのか。
事故が怖い。先日新橋の横断歩道で転んでしまった。右からタクシーの急ブレーキが聞こえた。今後こういうことが増えるだろう。下り階段は手すり必須。体力維持のための水中歩行35分は,平均すると月15回,要するに2日に1回。これも加えて1日8000歩の歩行,これだけは維持しよう。

 1月10日新潟で<クラリネットとヴィオラのために>の初演を終え,続いて1月23日東京で<2台のチェロのために>の初演も終えた。
このところのタイトル…一言で作品の思想や方針を伝える言葉,イメージを現す単語,誰でもこういう言葉探しをしているのだろう,僕もそうだ。所が種切れになって来た。情緒的なタイトルは避けたいと思い,フリーズシリーズでナンバリングの予定だったが,飽きて来た。半ば仕方なく,しかし簡単明瞭を心がけ,使用楽器名のタイトル化となった。3人ぐらいまでなら大丈夫だろう,4人以上となったら,やたら長いタイトルとなりヒンシュクものだ。

 今は<フルートとクラリネットのために>を書いている。静寂な音楽を書きたい。静寂で飽きさせない様に,眠らせない様に。

14.12.30 今年もオシマイ 

 今年は6曲,よく書いたもんだ。
2月完成:「プレリュードとアリア」テノールサキソフォンのための作品
4月完成:「民謡風即興曲」ヴァイオリンとピアノのための小品
5月完成:「2台のチェロのために」
8月完成:「クラリネットとヴィオラのために」
10月完成:「凍てつく星明かりの夜」ピアノ独奏作品
12月完成:「カスタネットのために」カスタネット,ヴァイオリン,ピアノの編成による
 傑作は次回作と念じて取りかかる。ひとつの作品で語るべきことはひとつだけ。とかくアレもこれも詰め込みたくなるのだが,思い切り削ぎ落とす。袋小路に迷い込む悪いクセを改善して,どんどん紡ぎ,ツナギはアトでの工夫,まあこういう具合だ。「老化との戦いだ」って言うと皆笑う。何がおかしいのか分らない。人は必ず老いる。いずれ体がいう事聞かなくなる。その前にするべき事全部してしまいたい。
 タイトルが単純になって来た。楽器の名前の書いているだけ。今の気分には合っている。
次は「フルートとクラリネットのために」と決めている。

 11月には,副会長している日本作曲家協議会主催のアジア音楽祭があった。拙作,99年の尺八とオーケストラのための作品もあったのだが,さっさと忘れひたすらバックアップに回った。
朝8時出勤,夜11時頃帰宅の生活が1週間続いた。元々朝型だから朝早いのは苦にはならない。問題は混んだホームと一杯の通勤電車だった。課題は英語だ。出来ないんだよー。
「カントリーレポート」各国の報告なのだが,この司会が僕だった。仕方ないから原稿書いて翻訳頼んで,発音練習,ブレスの位置を教えてもらって本番臨んだ。背筋を伸ばして,堂々としていたと思いますよ。これは義務だ。読み上げるからと言って背中丸くしてたら場を仕切れない。

 写真,カメラはソニーのミラーレスカメラNEX7。僕が撮れないときは委員の小川類さんにお願いした。撮った枚数3000枚。本番は会場で撮れないから,親子室だの,スポット室だのに潜り込んでガラス越しに撮影する。カメラの設定に問題があったらしく,アトで見直すと,あまり美しくないです。途中でパソコンに入れて見直せば良かったかもしれないのだが,疲れ果てて,電池の充電,交換で手一杯だった。
13ギガ越えていたものを5ギガに整理するのに1ヶ月半もかかってしまった。

 12月5日に日本・ロシア音楽家協会創立30周年パーティーが,表参道カワイパウゼであった。副会長の岸本力氏の歌があり,この伴奏担当が僕だ。1曲はラフマニノフ編曲のヴォルガの舟歌。これは楽譜通り弾いた。次の3曲,道,聖なる湖バイカル,2つのギター,これらは和声変更を初めとして即興的に変えまくった。リハーサルに岸本さんがうちに来られたが,弾く度に変化していく伴奏に目を白黒させていた。こういうのはぼくはうまいんだよ。

 加齢黄斑変性の治療は一応終了した。眼球への注射計7回。NHKためしてガッテンで放送されていた最新治療だ。歪みは完全には直ってはいないが,日常生活問題無しである。一時期入って来なくなった光が元に戻った。来年2回程検査して一応終了予定。「ためしてガッテン」で,病気にかからない方法として黄緑野菜,というのがあったが,あれは間違いです。ぼくは充分摂っていたけれど病気は襲って来ました。

14.10.21 この3ヶ月・・・慌ただしく

 夏を越え秋が深くなりつつある。夜明けが東京では6時に近づいて来ている。と言ってすぐ明るくなるわけではない。夏は夜明け前から明るく,すぐに朝の光が降り注ぐのに。夜明けとともに起きようとの生活習慣も面倒になって来た。グズグズいつまでもベッドの中にいたい。

 この3ヶ月,手帳を見ると,6月30日に学生時代からの戦友みたいな気分でいた,マリンバ奏者の岡田眞理子さんが多発性ガンで亡くなられた。知ったのはかなり時が経ってからだ。ご葬儀には参加出来なかった。寂しいもんだ。お悔やみ申し上げます。

7月17日(木)目の検査。日大駿河台病院の田中先生が「良くなってますねー!」と小躍りされておられた。

8月7日,<クラリネットとヴィオラのために>完成とある。

エアコン水漏れが発生し,修理に来てもらったけど,16年も使っていて,もうダメですとあいなった。この暑いときに・・・昨年トラブって,これが多分最後の修理です,早めに更新をと言われていたけど放置していた。9月12日に工事があり,2系統3台とも入れ替えた。しめて75万の経費!

8月18日(月)5回目の眼球への注射。

8月25日,日本・ロシア音楽家協会の夏恒例の屋形船納涼会。浅草橋から下流に出て,折り返しスカイツリーまで上るコースである。

9月8日(月)思い切って上高地日帰り一人旅を敢行。7時20分の新宿からのバスでお昼ごろ着き,4時半のバスで戻った。

里見さん2.JPG9月13日(土)ピアニスト里見暁美さんが,肺がんで亡くなられた。4月にお見舞いに行ったが,ご主人の「あと半年かな〜」の,その通りになってしまった。写真はその時のもの,ご主人里見清司さんと。お通夜9月15日。お悔やみ申し上げます。

9月16日(火)6月1日に亡くなられた詩人那珂太郎さんを偲ぶ会。如水会館で。90歳越えて食事が通らなくなり,奥様は大英断で胃瘻にふみきり,2年とのことでした。3月20日の国立能楽堂での那珂太郎作・現代能「始皇帝」は,録音を撮り先生の耳元で聞いて頂いたが,嬉しそうにされていたそうである。
耳が聞こえなくなり,目も見えなくなり,老衰とのことです。僕が様々に影響を受けた詩人にお一人です。お悔やみ申し上げます。

9月29日(月)東京會舘で芸術家会議に出席,懇親会では国会議員の先生方21人がおこしになられました。

10月1日(水)新作ピアノ作品を完成。タイトルは<凍てつく星明かりの夜>ピアニッシモに支配される音楽。9分くらい。和文タイトルは,どことなくドビュッシー風で気に入らないのだけれど,英文はFREEZING STARIT NIGT 翻訳すると <凍てつく・・・>となる。

10月2日(木)から岡山へ3泊。中国四国の作曲家in岡山。拙作<プレリュードとアリア>テノールサキソフォンのための 初演である。4日(土)に本番があり,とっても良い演奏でした。初演者米倉孝さんにも気に入っていただけました。
リハの空き時間を利用して,岡山後楽園に行って来た。力の象徴として,奇岩があちこちに配置され,また回遊に従って景色がドンドン変わる,素晴らしい庭園であるが,一人で行くもんじゃないね。
県立美術館では,「光琳を慕う中村芳中展」が開催されていた。とても良かった。

5日(日)その岡山で,大学同級の内田陽一郎君のコンサートを聴いて,台風に追われる様に新幹線帰宅。70になったら古希記念引退コンサートを広島で開催とのことで,その一部に僕のピアノ伴奏のステージが入るのだそうだ。その時は僕も70だ。指が回るかどうかわからないよ。
内田君のお弟子さんであり,血は繫がっていないものの,従妹の奥さんに当たる植田さんともドッキングした。

この間を利用して,ブラインド7枚の清浄,修理を依頼した。16年間の汚れ,ひもが切れたり。曲がったのを修理しようとすると,1枚ずつ入れ替えになるそうで,日焼けしている他のと色が合わなくなるだろうと思い,諦めた。経費三万五千円。出張費7千円込みでだ。安いもんだ。

10月20日(月)6回目の眼球への注射。加齢黄斑変性治療が効果を発揮して目はだいぶ戻って来た。歪みはまだあるが生活に支障はない。あと1回で終了予定。通っている日大病院が新しくなり,カザルスホールの隣にあるのだが,スマートに受付〜支払いまで流れる様になった。タッチパネルでカード支払いも出来る様になり,1階には喫茶コーナーも出来て,居心地の良い病院へと変身した。その1階はガラーンとした空間である。端にある受付会計の他何もない。もったいなあと思うのだが,この広い平面は大震災などのときに多数のケガ人を運び込む,戦場としての利用を念頭に置いているに違いない。

 この間もうすぐ行われる,アジア音楽祭の様々な準備に追われている。ボーッとしていて誰かがしてくれる状態ではない。少ない資金でイベント実行するには,人的貢献が必要不可欠だ。

 血圧125−75の基準値当たりをウロウロ。体重57キロ台をキープ,体温計ってみたら36度でびっくりしている。ずっと36.6でやってきたのに…
プールでの水中歩行は週3ー4回は行っている。要するに健康状態に問題無しだが,鏡見ると額の面積がだんだん拡がって来ている。まあ仕方ないか。

写真はフェイスブックに掲載。御覧頂ければ嬉しく思います。

14.07.09 高知県四万十市にて

 バスで徳島から高知へ。深い山を移動していると,大江健三郎に出てくる不思議な森林の世界を理解できた気がした。同氏は愛媛県出身だ。山の植生が日頃見ている関東と異なっているように見える。照葉樹林帯というのだろうか,光り方が明るい。暖かく植物は育ち易いのだろうか,密集した木々の群落に見える。

 高知から四万十市(旧中村市)へ。今年中学校を定年退職した昔々の教え子亀谷君と落ち合った。台風余波の梅雨で雨雨雨…条件は悪いが,この3日間彼の車で竜串海岸,足摺岬,四万十川探索など満喫した。見残し海岸は台風対策で船が運休し,今回も見残す。ここらは40年程前に山陰〜四国の一人旅をしていて,来た事のある観光地である。あの頃はまだ道路事情も悪く,細い山の道を道をスピード上げて走る怖ーいバスに乗った記憶があったが,道路は走り易く,自殺の名所足摺岬は,今や昔と整備されていた。
 魚の旨い事,ウツボの刺身なんて初めてだ。あおさの天ぷらも旨い。
台風にドンピシャぶつかりそうでヒヤヒヤしていたのだが,ノロノロ運転していて今日9日のフライトは問題なさそうだ。
 フライトを変更して早めに戻った。羽田70番ゲートから荷物受け取りまでダラダラ歩いて来たら,もうターンテーブルに僕のが回っていた。何と早い事!!

14.07.06 徳島にて フリージング・ヴォカリーズ 公演終了

10429306_625094410921548_1431663203756878178_n.jpg 6月27日原宿のアコスタジオ,7月5日徳島市の21世紀館での拙作は終了した。ヴァイオリンは桐朋高校からヘルシンキのシベリウスアカデミーへ留学し今年卒業した藤田有希さん,ピアノは東音大からシベリウスアカデミーへ留学し,まだ在学中の松浦綾音さん。ヘルシンキ仲間だ。チャイコフスキーの「メロディー」,シベリウスの「5つの小品」,ショーソンの「ポエム」に続いて拙作の「フリージング・ヴォカリーズ」である。後半は松浦さんの独奏でバッハ「イタリア協奏曲」があり,サラサーテ「ツイゴイネルワイゼン」,シマノフスキー「ヴァイオリンソナタ」で終了し,アンコールはタイスの「瞑想曲」である。好演であった。
 東京での6月の25,26,27の午前に拙宅をリハに使ってもらった。25日は僕の手料理「カレーライス」お出しした。煮物は一晩寝かせると美味しいので24日に作っておいた。喜んで頂いたようです。26日お昼はサバの煮付けを食べて頂いた。後での話によると,僕の生活はとっても不思議なのだそうだ。曰くエプロン姿,完成度の高さ,家の植物管理・・・だそうだ。でも料理ならもっと上いってる作曲家を知ってて,僕のはあくまで趣味の霞み料理。
 7月4日に徳島入りして,5日が本番。朝の散歩で紫色の茄子の花を初めて見た。代々木上原では絶対に見れない光景。徳島プログラムはアコと同じ。
音楽専用ホールが取れなくて,「多目的室」である。設営に参加したが,反響がピョンヨンヨン・・・と聞こえるエコー的ディレイで,丁度良い所を探すのに苦労していた様だ。
大変な好演でした。僕の面倒な作品はもちろん,その他の曲も。松浦さんのイタリアン協奏曲の2楽章アリアは左手右手が自立した2頭だて馬車のような曲なのだが,巧みなうたい回しが大変光っていた。藤田さんは音程の制御,音色の美しさ,ポルタメントの酔わせ方,どれとっても素晴らしい。
 東京とヘルシンキと離れて住む事になったお二人が,ユニット活動を継続される事を期待しております。

 今日から高知だ。台風8号が来ている。9日に高知空港空からのフライトが心配になって来た。

14.07.02 臨時福祉給付金

 渋谷区から臨時福祉給付金のお知らせが来た。「消費税引き上げに際し,所得の低い方々への負担をの影響に鑑み,暫定的・臨時的な措置として給付するものです。」とあり,「区民税・都民税が課税されていない」方が対象となっている。65才未満で1人1万円,高齢者は5千円加算される,つまり1万5000円だ。別に困っているわけじゃないから辞退しようかと思ったが,もらって使えば商店街も少しは潤うかなと思い,受け取る事にした。説明が日本語の他に,英語・ハングル・中国語(大陸)で書かれている。つまり日本国籍でなくとも,住民登録があれば貰えるという事だ。韓国・中国でこういった場合どうしているのか全く知らないが,山のように問題ある日本の福祉でも,気持ちの広さはあるんだね。

14.06.22 終わって戻って…東京は梅雨空

 昨日の北海道作曲家協会主催「北海道の作曲家展」はフルートとピアノによる公募があって,僕は応募していた。東京生まれで東京に育ち,大学,大学院まで東京でまかない,勤務先も東京と,要するに東京引きこもり人生だった。3年前に勤めを辞めて,これはイカンと思い,全国どこへでも自分の曲が演奏されるなら出かけようと思うに至り,こういう公募作品には積極的に応募している。2作品,僕のと木下大輔氏の作品が取り上げられる事となった。
 演奏は鬼気迫るものがあった。フルートの按田佳央理さん,ピアノの小山雪絵さんお二人は北海道教育大で学びその後ヨーロッパに留学されている。この曲はフルートに現代奏法がふんだんに取り入れられており,そのため大変難しい。「技術向上音楽です」と演奏前のトークで申し上げたが,按田さんへの「もう他の曲は怖くないよね」との司会者の突っ込みに「はいそうです」とけなげに答えられていた。ただサライまくって吹き終えたというレベルではなく,この作品の特徴をしっかり把握して,表現につなげていた。ピアノの小山さんも僕の乾いた音楽の特徴,とくにペタル残響に頼らない奏法を把握していた。いつもピアニストには無意識のペダルに対して,事細かに注意をするのだが,殆ど説明が不要であった。
 コンサート内容は,調性音楽あり,無調あり,またテナーホルン,チェロと自作自演もあり,バラエティーに富んでいた。普通こういうコンサートは焦点ボケ,バラバラになり易いのだが,上手く調和していて,良い演奏会だったなあと思う次第である。
 知り合いで聞きに来られた方々…同級ヴァイオリンの真貝さん,ご主人が元札響ティンパニストなのだが,お二人で来られた,また同じ同級で元札響チューバ奏者の香川さん。元教え子で現札響のヴァオリニスト河邊俊和君。皆さん有り難う。箏奏者の国澤秀麿さんから「先生ひょっとして…」何と,かつての勤務校のクラス生徒だった。世の中狭いねえ。
 辛かったのは打上後の2次会。一切飲めないからひたすらウーロン茶で飲んだフリをするが,吞ん兵衛はみんな声がデカく,僕の耳はパンクしそうだった。
 札幌東急インホテル評価:繁華街のメインストリートに面した部屋であったが,防音抜群,一切外の音は入って来なかった。広さ13.8平米,ベッド幅140cm,ネット回線はひどく遅い,動画は止まりっぱなし。
ビュッフェ朝食は可もなく不可もなく。おかずの種類は多いが,味付けに個性的なものは無い。ご飯は白米と,チラシご飯と2種類。ご飯の炊き方は柔らかめ。最近は五穀米置いてる所もあるがここはなし。
楽天トラベルネット予約で1泊9150円。総合で再度の宿泊無し評価。

14.06.21 札幌にて 北海道の作曲家展 参加

 慌ただしかった日々が過ぎて気がついたら2ヶ月経ってしまった。この間チェロ2重奏作品を仕上げ,次のヴィオラとクラリネットの作品に手を付け難渋している所だ。20日から札幌のホテルに滞在中で,21日に演奏会,拙作「風の門」がある。午後からリハ,本番,打上とある。取ったホテルは「すすきの」という北海道最大の歓楽地にあって,会場打ち上げ場所は徒歩圏内なのだが,散歩の情緒は無い。本番前にホテルで更新している。
 今年は小品も含めて既に3作書いた。もう充分かなと思いつつ,何か追われる気持ちでピアノに向かっている。だからといってはかどっているわけじゃない。いつも「1日1分スケッチ取れば10分10日で完了」と思っているのに,そうなった事は一度も無い。1分も長いので,20秒単位にして3パーツで1分。いつもこの様に組み立てるのだが今回も遅々として進まない。
 楽しい人生,楽しい老後が叫ばれてて長生きの秘訣だそうだ。「楽しい作曲」「楽しい成果」を今後の目標にしようと思うだけれど,鉛筆持つと重苦しい1日の開始となる。朝このところ4時半に目が覚める。FIFAを意識しているわけじゃない,日の出が4時半前なのだ。睡魔に襲われ遮光カーテン締め忘れている。ダラダラ5時が過ぎ6時には起きて町内会一周散歩。6時47分からのNHKまちかど情報室はおもしろ番組なので見るようにしている。朝ご飯は7時。最近は簡単メニューでおしまいです。それから鉛筆を持って…と相成る。
 これで順調に書ければ理想的人生だ。先輩の超高名作曲家氏は「遠藤,日記を書くように書くんだ」と30代ぐらいに言って,それから軸足変えていないが,僕は日記なんて人に見せたくないです。あるべき理想を書く事も止めた。理想の世界が見えなくなったからだ。思索の結果を全面に打ち出すのは…僕は哲学者・理論家ではない,無理がある。感性に頼って曲を書く…これは正解でありながら,一番危ないやり方に見える。どこかに確たる骨組みを持たせないと,犬小屋程度で終わってしまう。また表面上の本能的情緒に終わりかねない。

14.04.28 日本・ロシア音楽家協会 ラフマニノフ企画終了

 20日にラフマニノフ企画が終了した。730の座席数に対し640名のお各様がお見えになり,我々としては画期的なことであった。
 2回分のコンサートを,1日で終えるのだから大変だった。2台のピアノ調律で会場リハは午後からとなり,一人4分,ようするに位置の決定とピアノのタッチ状況をホンの少しだけ確かめて,ぶっつけ本番なんですね。苦労したのはソフトペダルの使用。本来のヴォカリーズは踏み続けて弦のイメージを表現した方がいいと思うのだが,僕には「カッ」とした音色のがあちこちにあって,ここはソフトペタル無しの所だ。徐々に移行する所の切り替えが問題だった。
 佐藤さんとは4回もリハを重ね,呼吸をピタリと合わせた。上手くいった。
本番1週間くらい前から虫歯が痛みだした。夜中の2時頃痛みに目が覚める。痛みを麻痺させようと正露丸をかじる。終わってからお医者に行こうと,放置した。
所が,20日の晩,終わってから痛みはピタリと止んだ。僕としたことが神経が尖っていたんだ。

以下,頂戴したメールのコメントから…
・破れたセピア色の家族写真,破れ,滲んで判読不能になった恋人への手紙…失われた安息、記憶…そんな風に聴こえました。
・ラフマニノフのニュアンスを残しながら現代の空気を醸し出していて,聴きやすかった。フリーズするとき,空気がフワッと持ち上がるようで,音との対比が新鮮で,それが繰り返すごとに,まるで空気が濾過されていくようでした。
・途切れ途切れの曲だとはつゆしらず,不思議な感じでした。ジャズ風のコードをもっと聴きたいと思いました!まろやかで空気感のある音でしたね。
・最初先生が間違えたのかとびっくりしました。タイトルを見て,文章をよんで納得しました。面白くて,先生らしくって,私の耳と目と心に刻んで帰りました。今もびっくりヴォカリーズ,聞こえてきます。
・とても素敵な,よく考えられた,でもさらりとした作品で,私も主人もとても好きでした! もう一度,聴きたい!!!
◎皆さん有り難う!!!!!

 終わって残務整理が山とあるのだが,何故か虚脱症状に襲われ,この1週間ボーッと過ぎてしまった。これはまずいと,今日はサントリー美術館へ「のぞいてびっくり江戸絵画」展へ足を運んだ。
江戸時代に入って来た遠近法やら,今の時代なら当たり前のものが,江戸後期にはさぞかし新鮮だっただろうが,正直「だからどうなんだよ」の気持ちで30分で引き上げてしまった。
 まずいと思って国立新美術館「中村一美展」に寄った。「絵画は何のために存するのか」「絵画とは何なのか」とキャッチコピーにある。「音楽は何のために存するのか」「音楽とは何なのか」と置き換えて一巡した。感動を惹き起こすというより,煮えたぎる生へのアジテーションだ。

 3回目の注射が4月7日に終わった。水溜りがまだまだ引いてない様だ…との説明である。
内心もう直らないなと思い始めている。老化だからね,仲良くしていかなけりゃぁと。老化って滑り台方式かと思っていたが,こうやって階段方式で襲って来るんだね。

14.03.04 2回目の注射終了 改善しているらしいが…ねえ

 第2回目の注射が終わった。まず血圧検査,120−71立派なものでしょう。大抵こういう所来るとドーンと上がるもんだ。視力検査,眼底検査と続いて,1回目と同じ注射。「改善されているようには見えないんですが」「データでは充分改善されているよ,しぶといなあ」「それって僕の性格ですかね」。
 今回は麻酔の位置をしっかり覚えて帰って来た。まぶたの上辺りだ。チョットチクッとして溶液が天からおりて来て終了。1回目にあった黒い二重丸は今回は見えない。
 不都合には随分慣れて来た。しかし常に左右の焦点を合わせないようにしているので,パソコンキーボードの打ち間違えが頻発している。ピアノを弾くのは余り問題なさそうである。要するに長いお付き合いで鍵盤の位置が肉体と同化しているんだね。一々鍵盤見て弾いているわけじゃない,むしろ鍵盤は殆ど見ないで楽譜にかじりついているっというわけだ。

 明日から2台チェロの作品を書き始めよう。思いついたのは,グニャグニャ世界の表現だ。歪んだ世界と,そうでない世界と,今やどちらが真実なのか分からなくなって来ている。ホントは世界は歪んでいるのではないのか…
 回復してしまったら,グニャグニャ世界とはお別れだ。だったら一時的にでも覗き込んだ変形した世界を,自作に取り込んだら面白いのではないか…と。
 「失楽園」を書いた渡辺淳一氏は「80才になって体調が変化して,老人の作品が書けるようになった」と,どこかに書いていた。これだ!!!!

14.02.25 病状に変化無し 不便に馴れて来た 1曲書き上げ,旅への夢想

 ルンルンで戻って来た3週間前だったが,病状改善の兆しはない。たった1回の注射で直る程甘くはない。合計7回注射の初回が終わっただけだ。病状は更に進行しているようにみえる。次第に不便な状況には馴れて来たが,怖いのはATM銀行振込だ。画面チェックでミスが発生しそうな気持ちになって,うろたえる。今週末からまた事前点眼が始る。来週3日,2回目のミニ手術(と思うことにした)

 1月から書き始めたテナーサックス独奏曲は複縦線を引いた。タイトルは「プレリュードとアリア」だ。底本にしたのはバッハの無伴奏チェロソナタの最初のプレリュードと,ご存知G線上のアリアである。初演担当の米倉さんから,ジャズ奏法についてお教え頂いた。要素はあちこちにバラまかれています。どのように料理したかについては聴いてのお楽しみ!!!
 といっても夏に音出しして貰って,それからまた大幅改造がなされるだろうと予測している。本番は10月。なのに10月の作品をもう書き終えた…急げ急げと,どこからか囁き声が聞こえてくる。

 3月に入って上越教育大のG君の所に行って気分転換の予定である。最短距離の移動じゃつまらないから,特急あずさで松本へ。それから大糸線を鈍行で移動。電化されていない南小谷から糸魚川に抜け北陸本線で直江津に出て,信越本線で高田へ。9時間以上かかる。
 上越市に行く最短ルートは上越新幹線で越後湯沢経由,ほくほく線で直江津へ(新宿から2時間40分)。池袋から高田行きのバスもあって乗ったことがある(6時間)。新幹線が開通すると上越妙高まで乗り換え無しで1時間35分。
 でも一番の贅沢は時間をかけての旅だと思う。どこかひなびた普通列車に揺られていると,楽想も涌いてくる。9時間越える非日常的ボンヤリ旅は,精神を活性化させるものがあると思う。
 昔東京→大阪を普通列車で移動したことがある。東京駅を夜の12時半に出る有名な列車だった。今はなくなり,サイトを調べると20通りを越える方法が書かれている。ファンが結構いるんですね。

14.02.03 治療開始!気分はルンルン でもすぐ直るわけじゃない

 眼に注射?怖くない?あちらこちらから言われた。
ベッドに寝かされ,シャワーキャップみたいなのを頭にかぶせられて,顔に保護シートが貼られ,左目の所だけハサミで開けられた。健全な右は何も見えない。瞳孔を開く点眼はとっくに投与されていて,ボヤッとしか見えていない。水で眼が洗われ麻酔点眼が入る。ちょっと間をおいて今度は麻酔注射の出番だ。今思い出してどこに注射を打たれたのか,記憶がはっきりしない。
 やっぱりシャワーキャプの先生が一つずつ解説されながらの治療だ。強い光が当てられ,そこから暗い物体,きっと手と注射針だ,これが近づいて来て,痛みも無く何か入って来たなと思ったら,液体が天から下りて来た。ハイこれでオシマイですよ。一番痛かったのは保護シールを剝がす時だ。
 眼帯するわけでなく,今後の注意説明となった。左下に太い二重丸みたいなのが泳いでいる。「これは空気です」「そのうち吸収されます」「…数日で見え方がよくなりますよ」
ルンルン気分で帰って来た。まさか1回の注射で見違えるように改善されるはずは無いと思うが,これからは上昇だ。
 治療前に血圧測定や視力検査 etc.があった。血圧136−76「ここに来ると大抵の人は高くなります」この値を知人に話したら最優秀と言われた。通常は125ー72前後である。僕としてはこんなことで血圧上がるのは,心の修練が足らんのだ,と思っているのだが。視力検査は例の右!左!…の他に,数字を当てるのがあって,終わって気付いたのだけれど1,4,7が含まれていない。
 支払いはホントに35,400円だった。点数から判断すると3割で5万円越えている。
帰り,折角来たんだからニコライ堂にでも寄ってお祈りしていこうかと思ったが,入れるのは1ー3時である。では東急ハンズに寄って…先生から「人ごみに入るな」との注意を思い出し,そのまま帰宅。

 その後,作曲家の会合で,緑内障をはじめ,眼のトラブル抱えている人が結構いることが分かった。酒の飲み過ぎ→肝臓病→失明寸前,これは論外だけけれど。加齢黄斑変性症の人はいなかった。皆さん苦労して音符書いてます。

14.01.23 滲出型加齢黄斑変性 続き 気分はレッドカード

 2月3日から治療開始と決まった。眼球に注射針を入れて,薬剤を投与する。初めの3回は毎月,その後2ヶ月に1回で合計1年のプランだ。眼球に?考えてみれば恐ろしい気もするけれど,恐れ戦いている暇がない。
治療3日前から目薬4回/一日 眼を拭くのにティッシュ禁止,清浄綿のみ可。治療の日は洗髪洗顔お風呂禁止,肩から下だけのシャワー可。1週間は温泉ダメ,プール禁止。看護婦さんに「歩くだけだけど,やっぱりダメ?」と聞くと「歩くだけならいいです」
念のためにプールで意識してみた。普通コースは他の人のしぶきがかかる,歩行コースなら問題ない。シャワーは頭から落ちてくる,危険だ,水量落とせば何とかなる…と考えたが神経使うから行くのはやめよう。

images.jpg 次の説明はウェブに載っていたものである。
「滲出型」の黄斑変性症は,・ 欠ける・ ゆがむ などの症状が急激に進行するため,手遅れになると失明することがある。 滲出型の黄斑変性症は,黄斑部の一番外側にある網膜色素上皮の老化した結果, 網膜の老廃物が網膜色素上皮のすぐ下にたまり,血流が阻害される。その結果,脈絡膜中の血管から「新生血管」が発生して,これが破れて出血することで,血液や滲出液がたまって組織が盛り上がる。こうして起こるのが「滲出型の黄斑変性症」である。
 簡単に言うと,レンズの濁りは白内障,焦点ボケは近視遠視。フィルムのトラブル,毛細血管が壊れていたずらし,歪み,感度が落ちる,これが黄斑変性である。図はネットに載っていたもの,まさにこのように見えている。サンプルのような,優等生のような「滲出型加齢黄斑変性」だ。

 1年前に「おトシにしては何も問題ない,大変美しい眼ですね」と言われて,いい気になっていたのだが,まさかオプション「老化」でこんな事態に陥るとは夢にも考えていなかった。
右目は大丈夫なのか?たまたま左が狙われたのか?眼の他のパーツにパグは存在しないのか?老化なら傷んでいたっておかしくないよね。今住んでいるマンションは16年目に入りあっちこっち傷みが出て来ているが,こっちはもうすぐ築67年にならんとしている。次のダウンパーツを考えると落ち着かなくなる。
 老化とはポコ ア ポコ スモールツァンド(イタリア語の音楽用語で「徐々に徐々に消えていくように」の意味)と思っていたのだが,現実はスビット メノモッソ(同,急にテンポを落として)なのだ。
 所でその薬剤の高いこと,1回15万円,保険3割で4万5千円である。7回治療の薬代だけで31万5千円に達する。高いのか程々なのか分からない。渋谷区が73万5千円も負担するんだ!ちなみに昨年度の保険料は3万3千円弱だから,完全に渋谷区の持ち出し。
 知り合いで,C型肝炎治療のインターフェロンが毎月6万円,1年間で72万円だったと。風邪や,ドライアイ対策とはわけ違うんだ。老後を安く上げるには病気をしないが一番だね。
 医療費はその後高額医療制度が適用されることとなり,1カ所1月35,400円までとなった。4回目からは更に24,600円に減額されるらしい。現役の頃病気もしないのに,高額な健康保険料支払って来たが,今アリガタヤありがたやである。日本の保険制度の素晴らしさかな。

14.01.08 年末年始のストレス撃退,黄斑変性症,「フリージング・ヴォカリーズ」の完成

新年あけましておめでとうございます。.gif 今年から年末年始の賀状を廃止した。賀状は1枚も買わなかった。例年このためにどれほどのストレスを受けて来たことか。皆様には大変申し訳無いのですが,メールアドレスを書き込んである方はメールによる新年挨拶とさせてもらった。
 例年600枚という友人がいる。「次から次へ全部印刷だ」「三が日はこれで全部つぶれた」「手が痛い」
こうなると個別手書きコメントは無理です。結局ただの印刷物になってしまう。
もう僕たちは若くないんだ,残り少ない時間の使い方として,優先順位をしっかりつけようよ。そしたら賀状は遥か下位になると思うよ。

 2ヶ月くらい前から縦線が歪んで見えるようになって来た。楽譜を見ていると横線はまだマシなのだが,縦線がグニャグニャとなっている。ピアノの黒鍵白鍵が奇妙な形に見える。全て曲線,まるでガウディの世界に迷い込んだみたいだ。おまけにひどいガチャ目。右は正常だから日常生活に困ることは無い。
 年末に,ドライアイ対策で通っている地元の眼科で「左新生血管疑い」と言われ,専門病院として日大駿河台病院を紹介され,「黄斑変性症」と診断された。要するに老化から目の血管がもろくなり,出血し,新たな血管が出来て,悪さをしているらしい。最悪の場合失明に至ると。老化と言われ,改めて己の現状を知ることとなった。
 日大駿河台病院は,この病の日本最高医療技術を持っていて,全国から患者が殺到しているとのこと。長期戦と肝に銘じた。

 年末に<フリージング・ヴォカリーズ>とタイトルされた作品を仕上げた。4月20日に渋谷さくらホールで開催される,日本・ロシア音楽家協会主催「ラフマニノフ生誕140年+1 記念音楽祭」の新作だ。
ヴォーカリーズを定本にして,原曲通りに開始し次第に独自の和声付,時にジャズ風になり,突如遠藤節が挿入されるピアノとヴァイオリンの作品である。もちろん,これでもかというくらいに,フリーズが書き込まれている。この作品は4月に佐藤まどかさんのヴァイオリンと僕のピアノで初演のあと,6月7月にヘルシンキに留学中の若い奏者により再演が決まっている。そのヴァイオリニスト藤田さん,ヘルシンキで2011年6月に拙作<フリーズV>の初演に参加していただいた方であるが,なんと拙宅の近隣にご実家があり,来ていただいて試し弾きをした。面白い曲だなあと思います。

 この路線であと2曲は書いてみよう。次はテナーサッックスのソロ曲。10月に岡山でのコンサート作品である。バッハから底本貰って,タイトル第1案は<凍る小川> ドイツ語でバッハとは小川のことです。第2案は<フリージング・プレリュード>

13.12.02 気がつけば2ヶ月更新無し お久しぶりで…

 この2ヶ月あっという間に過ぎてしまった。10月23日にJFCアジア音楽祭2日目に拙作の<アイトプス>尺八とピアノのために があって,旧作で尺八奏者福田さんとインドネシアで初演したものだが,書き直して昨年改訂版の初演をして,今回は初演メンバーによる再演となった。当然さわなきゃならない。
 ある人から,「作曲者って全部頭に入っているから練習いらないんでしょ」って言われたことがある。そんな人もきっといるに違いないけど,僕は何もかも忘れる質だし,頭脳と耳とで書いた音符が,筋肉を自動的に動かすことはないのだ。いい艶,良い香り,リズムを表現したい。要するにセクシーな音色を作り上げたいのだ。ひたすら練習練習練習,と言っても,この曲だけさらっていてもいい音は出ません。しっかり音階練習から入って,(これは全調弾き切るのに5分かかる)シューベルトプロジェクトも少しずつ前進させながら,拙作品の練習の繰り返しである。
 11月に入って28日のカワイ表参道コンサートサロン パウゼ での日本・ロシア音楽家協会コンサートの<ヴィオラのために>と,30日新潟で開催の越の風(こしのかぜと読みます)での<線の転写>ヴァイオリンとピアノのためのリハが東京と新潟であって,ピアノはやっぱり僕が弾くので,また練習練習の日々だった。新潟と東京で遠距離リハをどうこなしたか?ピアノパートをメトロノーム入りで,区切りのいいとこずつカラオケを作った。音楽的には変に決まっているけど,相方が何をしているかを知って頂くにはこれが一番だ。
 性格の異なる両作品とも初演であったが,「ユニークな作品」というコメントを貰った。
 この間にも打ち合わせが幾つも入り,22日には石巻往復をした。先週は風邪も引き,全く声のでない日があって,電話をかけて来た友達から「スミマセン間違えました」って切られそうになった。熱は出なかったが,椅子にもたれると咳が突如出る。コンサート会場では何故か演奏が始ると,背中から飛び出してくる。背筋を伸ばすと少し良くなり,立っていると殆ど出なくなる。
 新潟本番で,本番中に咳き込んだらどうしようと真っ青になった。いっそ立って弾こうかと思ったが,まさかねえ,〜何故か演奏中は咳は引っ込んだ。
 1泊して翌12月1日は東京の東府中でウイーンホールで,コーロ・ソアーヴェというママさんコーラスから頼まれていた「由紀さおり1969」からの5曲の編曲本番があった。8時の新幹線に乗り10時半に自宅に戻った。
合唱団からお願いごととして,最後のアンコール曲,谷山浩子の「さよならのかわりに」で即興的にピアノのオブリガートを入れて欲しい〜,譜面見直したけど,反復の仕方をすっかり忘れている。
ピアノ担当の米良さんの横に座り,「いまどこ!,どこ!,どっち行くの!」って声だして,米良さんその度に「ここよ!」「テンポ落として!」と指示出してもらって乗り切った。この日も咳との戦いだった。
 終わって今日,月曜日,ようやくお医者に行った。「気管支がどうかなってませんか」…に,「音は聞こえてないから大丈夫だよ」 何種類ものお薬出してもらった。少しずつ快方に向かっている。もっと早く行けば良かった。

13.10.08 シンガポールに行って来た 気温32度

 9月20日〜24日帰国で,アジア作曲家連盟コンサート&総会のためにシンガポールに行って来た。拙作があるわけではない。
JFC副会長として日本代表である。逃げるわけには行かないです。
各国参加者は知った顔ばかりで,緊張すことは無いのだが,要するに代表メンバーが変わらないという事はそれぞれ高齢化している,と言う事でもある。
シンガポールは2度目である。空港で元教え子のシンガポール交響楽団トランぺッター池辺純君と落ち合い,ホテルまで来た。地下鉄網が整備されて,空港から都心まで20分かからない。建築ラッシュでモダンなビル群がドンドン建っている様だ。不動産か価格が高騰しているらしい。中国本土からの購入が多いらしい。中国バブルはとっくにはじけているらしく,金持ちは国外に資産を持ち出し始めている。
 朝8時半にお迎えバスが来て拉致されて,会場のシンガポール大学へと向かう。ハイレベルのこの大学には音楽学部もあって,立派なホールを抱えている。いくつかの部屋を利用して,9時からカントリーレポート,シンポジウム,総会,コンサートなどずっと缶詰にされて,夜10時にホテル行きのバスで護送される。言葉悪いけれど,こんな生活を3日間送った。
 最終日は青年作曲賞というのがあって,10カ国から1作品ずつ若手作品を提出,総合点で作曲賞を与えるわけなのだが,この審査員も担当した。今年は奏者2ー3人の打楽器作品がテーマである。作品を一点刻みで判定するなんて,こんな採点方法初めてだから戸惑ってしまった。僕の基準は,20世紀的なものからの脱却を計ろうとする意欲,取り組みを評価とした。脱却だからといって過去に戻るのは論外であって,新しい世界を創ろうとしている姿勢を評価したいと思った。
5人の審査員の足し算だが,僕の採点結果は他の審査員と全く異なっていた。作曲コンクールなんてこんなもんでしょう。
 弦楽四重奏,室内楽,打楽器コンサート,芸術歌曲と色々あったコンサートだが,奏者の音的メンタリティーが日本人と良く似ている事にびっくりした。自分が体験した韓国,台湾ではその土地の音がどこからか漂って来て,違和感と言ったら問題があるので「民族性」と言いたいのだが,シンガポールでは中国的お国柄は全然聞き取れなかった。中国人が80%以上の国なのに,全く中国人の国ではないように思える。
 地下鉄の案内は英語,漢字,マレー語,タルミ語で書かれていて,乗客にマレー人インド人が見えるのを除くと,東京の地下鉄風景と錯覚しそうだ。

 僕好みの新建築があちこちにあって,もう一度仕事抜きで来たいシンガポールだ。

13.08.09 徳島往復 パソコン購入,暑いね全く〜諸々トラブル乗り越えて…

 また1ヶ月経ちそうである。
7月下旬,徳島へ行った。松浦綾音さんという,元勤務先の和声理論のクラスの一人なのだが,演奏会で拙作を弾くというので応援に出かけた。現在ヘルシンキ,シベリウス音楽院に留学中である。拙作は前もって拙宅でリハーサルもして,同時に鳴る和音の全てを均一な音色,音量でそろえる様にとのアドヴァイスもしておいた。本番は素晴らしい演奏に出会った。
 驚いたのは他の作品,特にショパンの内声の扱いである。松浦さんの内声は即興的と思えるくらい自由に浮いてくる。今までと異なる表現方法を見いだしていた。素晴らしいねぇ。
 普通の奏者は右手の旋律にのみ集中して,他の音はその他大勢組に一括してまとめてしまうので,いつもつまらんなあと思っていた。作曲家として思うに,内声には内声の対話があって,隠し味なのだが全く蔽遮してしまったら,作家の追体験の放棄だと思うのだが,99%の弾き手は右手の目立つ旋律のみを表現の対象としている。内声を適度に浮き立たせる立体的表現を知らないんだね。指導する側も立体化をゴテゴテサウンドと毛嫌いするらしい。
 翌日は大歩危渓谷へドライブ。かずら橋を渡り,大歩危舟下りを楽しんだ。40年以上も前に山陰四国の3週間の一人旅をしたのだが,時間切れで通過した所。

 MacBookAirを買った。OS10.6から10.8.4へのアップだが,オッカナビックリでタイムマシン経由で移行させた。案の定動かないソフトがいくつかあった。デスクトップ操作も異なるし,当初後悔した。まいったのは古いソフト,アップルワークス初期ヴァージョンで作った書類が,全く読み込めなくなった事である。ラストヴァージョンはPagesで読み込めるのだがそれ以前のは全くダメだ。
仕方なく旧MacBookでラストヴァージョンへの置き換えを遂行した。何日もかかった。
 楽譜を書くソフトFinaleは2005で止めてしまっていた。手書き派だからそれで良しとした。所がこれも10.8.4では動かない。知人はPDFに全て置き換えたらと助言する。まだ作業してない。アップグレード価格が16,800円。投資すべきかどうか迷っている。もうフィナーレはやる気がないから。
 宛名職人ヴァージョン16もダメだった。これはヴァージョン19を買い直した。8,400円。
グラフィックコンバーターもダメだった。最新ヴァージョンはアップルストア経由となっていて,何度もトライしたけれど,「あとでやり直してください」表示が出たままである。
仕方なく旧Macで一つ前のヴァージョンをダウンロードして,移し替えて動けるようになった。シェアウェアだから,いずれ送金しよう。

自転車.JPG 自転車後輪タイヤがパンクした。見るとタイヤそのものが摩耗して交換なんだね。商店街の自転車屋に持って行ったのだけど,混んでて3日待ってくれと言われた。写真のホンダの自転車で,2002年頃には生産中止,もう作ってない。タイヤは高級品らしく,「ウチのはもっと安いのだけど」で5,000円で交換。所が乗り心地が良く無いです。タイヤって自転車でもクオリティーによって乗り心地に違いがあるんだね。


ドルチェ2.jpgドルチェ1.jpg 携帯電話の電池パック交換に出かけた。所が,ドコモショップでは,本部まで探したようであるがもう在庫がないという。2005年に初めて買ったドルチェという機種,合成皮革で覆われていてとても気に入っている。もう8年になろうとしている。8年というとみんなにバカにされる。でも気に入っているんだからあの手この手で大事に使って,出来たら一生もたせよう,なんて考えていたけれど,電池パック生産完了在庫切れは思いつかなかった。インターネットで型番入れると新品同様中古というのがあった。1個購入した。これでかろうじて1年生きながらえるね。
 新品探したけど,気に入った感触のは一つもなかった。キャリア変えればあるのかな。 
みんなからスマホに変えろと言われる。変えるならiPhoneにします。でも理由がないです。現在の携帯使用料は1800円未満であって,聞く所によればスマホの使用料は7,000円を越えるというじゃないですか。用もないのに何故使用料アップを選択しなければならないのか。

 パソコンは5年で新品に変えないと問題起こる。携帯は発売から生産終了まで1年みたいだから,部品保存期間6年を考えると,最長でも7年で機種交換。ホンダの電動アシスト自転車,バッテリー交換はネットで調べると請け負ってくれる所がある。かろうじて一生持たせられるかもしれない。
 それにしてもどうして気に入ったものが,世の中から消えて行くのだろう。電気とか通信とかが絡んでいるもの,要するに便利になったものを一生もたせようとする発想は,現代の生活では成り立たないのかもしれない。
 と考えると,やっぱりパソコンで楽譜を書く事は意地でも避けよう。突如クラッシュで,全部消えてしまう世界を信ずるのは止めよう。上手く生き延びたとして,没後忘れられ,気付いた時にはパソコンOSの変化とともに,書類が全く開けられなくなる事態もあり得る。没後埋もれたバッハがよみがえるのに80年は経っているだろう。現代ならその間のOSの変化は予測なり難し。安全と思えるPDF化だって80年後の状況は読めない。やはり紙保存,火事の恐さもあるけれど…

13.07.19 多忙だった6月が過ぎ7月下旬

0タイトル.JPG ご無沙汰しております。忙しかった6月が過ぎて7月も第2週となってしまった。中国・四国の作曲家in米子があって拙作品は「遠藤雅夫合唱小品集」で,米子北斗中学校・高等学校の中高生が歌ってくれた。
作品をよく理解して,これは指導の田中彩子先生による所が多いです。よく考えたらこの詩は中高生には少し難しすぎたかも知れません。感謝感謝です。東京に生まれて育ち小中高大大学院と全〜部地元の東京でまかなって,得た教職も地元。うっかりすると東京引きこもりになりかねない所,こうして東京外のコンサートに出かけられるのは嬉しい限りです。
 米子に行く前に出雲大社に出かけた。神代成立の〜で古い日本最大の木造建築が残っているものと思っていたら火事や遷宮で立て直し,今のは江戸時代成立で,期待していた事が大間違いであった。神殿にはもちろん入れない。そこでは宮司さん達が儀式を行っている。終わりかけていたので,敬意を表してお出になるのを待っていた。そしたら宮司さん達の若い事,その一人は木製と見える穿いておられる靴につっかかっていた。ああバイトなんだなって思ってしまった(勘違いでしたらご免なさい)。こういうのって年配の方でないと,「ありがたみ」がわかないですね。
 植田正治写真美術館にも行った。素晴らしい非日常的空間が館内広がっていた。地元「伯耆町」立というのだが,町立でこのような素晴らしい美術館を持つのは,維持するにも大変であろう。興味お持ちの方は是非出かけましょう。
写真はフェイスブックに掲載

 7月7日は琵琶湖の近く栗東(りっとう)市のとんぼ返り。フルートオーケストラ湖笛の会の第31回定期演奏会,拙作「水の島の歌」の再演である。良い演奏会でした。深夜帰宅。

 梅雨が開けて酷暑。能率上がらず全く困ったものだ。

13.05.02 挫折, 作品の流産

 昨年からずっと頭を痛めていたピアノと室内管弦楽による作品はついに流産となった.4月中旬一度諦めて,スケッチを資源回収紙束に突っ込んだが,しばらくして思い直し回収した.まだリサイクルには出してなかった.それから一念奮起して頑張ったが,やはり駄目だった.スケッチした五線紙,計画図などをしまい込んだ.当分の間リサイクルに回すのは止めて,野ざらしにしよう.

 今書きたい宇宙は小編成のものである.勝手気侭な犬ぞりの高度なコントロールである.室内管弦楽は13人もの奏者がいて,とてもとても13頭だて馬車を制御出来ないと悟った.
 諦めて挫折感満載かと思ったら気分爽快となった.もっと早めに決断出すべきだった.思うに直感的に駄目と思うものは,どう努力したって駄目なんだね.

 作曲に苦しむのはもう止めたい.楽しく曲を書きたい.うっとり夢見る気分で,一挙に書き上げたい…とはいつも思うことであっても実行出来たことは殆どない.全く無いかと言えばそうでもなく,子供のための小品,合唱作品などは,感動しながら書いて来た.先週は知り合いの若い演奏家の結婚を祝して,2人で弾ける調性のある,「美しい」2重奏を2日で書き上げた.タイトルは「喜びの歌」
現代音楽となると宇宙の度合いが深くなるのか,感性感覚だけでの作曲は出来そうにない.

 過去作品を直したいという強い願望も,不甲斐な迷い道でどこかに飛んでしまった.これはまずいな.態勢立て直しだ.

 2月から始めた図書館利用は順調である.いま借りているのは「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書」立花隆著
大変面白いです.『「捨てる」!技術』を一刀両断する という項目の中に「無駄が文化を創るんだ」という見解が述べられてて,目から鱗だね.
 この本は文春文庫から出ていたのだが,もう絶版となっている.返したくない本の一つ,アマゾンで中古で出ているので,ここから入手しよう.特に返したくない本は買うことにした.

13.03.15 図書館利用

本棚.JPG 公立図書館の利用を思いついた.今まで本というものは資料であって,買うものと決めていた.かなり高価なものでもすぐ使える様にと手元に置いた.所が生活が変わって「先生」関連資料が不要となり処分を開始してみると,もう読まないだろうと思う本が大量にある.2重になっている本棚は移動に力もいるから,前面を空にしてゆくゆくは外そうとの計画である.老化に対する備えだ.だからといってもう読まないなんて,つまらない人生は送りたくない.
 そこで思いついたのが公立図書館利用だ.某大学で教えている知人で使いこなしの達人がいる.いつでも引っ越し出来る様にと最小限度にしか置かないと言う.子供の頃のイメージで,カード検索→申し込み記入,オマケに他の図書館状況は分からず,面倒だなぁと思っていた.今では検索から予約までネットで完了.渋谷区立図書館は9つあるのだが,どこが所蔵してようと希望する近くで受け取れて,準備ができるとメールで知らせてくれる.
 返却期限が2週間というのも気に入った.買ったは良いけどついつい後回し放置するなんて,今まであったけど,期限付きではそうはいかない.版切れで入手不可能になったのだって,保存されている.
 借りてみたらどの本も新品同様だ.きっと僕が借りる本は人と傾向が異なっていて,一般的な「人気」が希薄なんだろう.高価な本も遠慮なく予約を入れる.レビューで興味もっても買うのに躊躇してきたのはまず予約.肌が合わなければ,飛ばし読みして返せばいいんだ.かつて勤めていた大学図書館で頻繁にあった「欲しいページをカッターで抜いてしまっている」なんて不心得には今の所出会ってない.
 「寄贈を受け付ける」とあったから今日は塩野七生著「ローマ人の物語」文庫版全43巻を持参した.図書館で不要な場合はリサイクルに出すという.「ご自由にお持ち下さい」コーナーが設置されている.アマゾン中古に出品する意欲はないから,リサイクル活用には大賛成だ.無駄にはならない.
 自宅を飾るのは詩集,美術書,楽譜スコア,辞書辞典事典類.これで充分である.

13.02.27 芸術家会議 with 音楽議員連盟副会長 日本共産党書記局長 市田忠義議員 &確定申告提出

 2月25日芸術文化予算に関する要望書を携えて,芸術家会議のメンバーが参議院議員会館で議員との懇談会を設けた.国会議員には超党派の音楽議員連盟というのがあって,自民党から共産党まで横断して参加されている.今回の懇談会のお相手は,音楽議員連盟副会長 日本共産党書記局長 市田忠義議員である.僕は(社)日本作曲家協議会副会長として参加した.

 前もって芸術家会議から要望書を提出している.以下はそのタイトルである
1)文化省の創設を求めて 
2)トップレベルの芸術団体への助成拡充を求めて 
3)次代を担う子どもの文化芸術体験事業[東日本震災復興支援対応]に対する手厚い施策を求めて 
4)寄付金控除の年末調整対象化を求めて 
5)公益法人に係る税額控除の制度に置けるPTS要件の廃止を求めて
「一つだって実現出来れば御の字だよな」とは陰の声である.

 よく勉強されている市田副会長の発言でショックを受けたのは,お隣韓国では文化予算が日本の4倍あること,民主党政権の仕分けで真っ先に文化予算が削られたこと(うかつにも気がつかなかった)
日本では若い世代が舞台芸術から離れていること→時間と予算が不足して行けない.
年収200万円未満の人たちが1100万人にも増えた(全労働人口は6〜7千万だよ)→とても芸術にお金を使えない.これは1985年の派遣労働法が元となりその後大幅解禁になってこうなってしまった.
 芸術どころか200万未満じゃ結婚も出来ない,夫婦で足して400万では子育てだって現在の保育所不足ではどうにもならない→ますます少子化は進んで行く→子どもに教えて生計営む事も厳しくなる.高い授業料払って音楽大学に進学する人はますます減るだろうな.

 2月26日確定申告を終えた.渋谷税務署に行ったらそのビルの一角に二・ニ六事件慰霊碑というのがあって,右翼が慰霊祭を行っていた.右翼って目つきからして右翼だ.恐ろしい.
 公的年金の控除額が65才未満の一昨年度分は70万円だったのが,65才を越えた昨年度分は120万に増額されている.当然この部分の所得金額欄がゼロとなった.なんだかんだで必要経費を計上しているうちに,所得金額は赤字となり,従って所得税はゼロ,住民税は特例でゼロ.悪いみたいだ.

13.02.21 2月も下旬となって…フリーズV 終了

2月1日(金)…誕生日.66歳になってしまった.気持ちは若いままだけど,もうおじいさんだね.おめでとうメール多数いただいて,嬉しいけど複雑な気持ちだ.大した傑作書いてないのに,もう老境か.若い頃からもっと勇気を持つべきだった.慎重になるよりも,まず手を出すべきだった.思ったらすぐ音符化出来るシステムを考えておくべきだった.でも「今が一番若い」主義だから,今からでも遅くない,頑張ろう!!!

2月2日(土)…長野県原村のペンション想い出で,ヴァイオリニスト池田敏美さんの新春コンサートに参思い出.jpeg左から僕,池田さん,お客様加.今年の雪見はこれだと思っていたら雨が降って,白い雪が汚れてしまった.天候は悪く,雪の中で閃きを探そうという目論みは外れてしまった.普通の,楽譜通り弾かねばならないヴァイリンの傑作に加えて,僕の完全即興演奏コーナー,僕ソロの部分,そして僕が編曲した映画音楽もある.こちらはもちろん即興伴奏,ピアノパートは作っていない.打ち上げで,「どうやって即興って演奏するのか?」「完全な即興を採譜して曲にしたらどうか」などの質問が殺到した.実は作品作りとは全く違う脳を使っていて,僕の現代音楽とは何ら関連性が無いんだ.
 カメラを落としてしまった.ソニーのミラーレス最高級器を買ったばかりで,望遠レンズも買い足して相当お金かけたのに.ストライプをしっかり持ったつもりが,手が滑ってしまった.ケンコーのプロテクトレンズが粉々に砕けた.本体の電子機能は維持され,撮るのに問題は無いみたいだ.

2月4日(月)…同級のヴイオラ奏者が6月に演奏会を開く.伴奏者は僕で早々とリハーサルを行った.まるでサーカスみたいなスピード感のある曲がいくつかある.「僕ら高齢者だよ.トシ考えようよ」と提案しても,彼の趣味なんだから仕方ない.
 これとは別であるが,簡単なヴァイオリン曲二つほどの移調を提案した.ヴィオラ用に完全5度下に,ではなく,それに近いシャープ系の調への移調だ.こっちの方が楽器が鳴るに決まっている.本人も試し弾きして大喜びしてた.ヴィオラパート譜は作り直すとして,ピアノパートは現状で結構,そのまま弾く.踏み外す恐れあるからベースだけは赤で記入し,和音はコードネーム記入すれば何ら問題無し,こういうの僕の特技なんだよ.

2月6日(水)…13日に日本初演の「フリーズV」のリハーサルが始まった.初日,当然落ち込んでいる.いつもの事だ.一番ショックだったのは,パート譜のミスがいくつも発見された事.初演時は仔細にスコアと対照したらしい.いくつかのミスは報告があり,直した.思い出したくもない台北での再演時,何も飛んで来なかった.だから直しは終了したと思っていた.
譜面直しという無駄な時間を,少ないリハの中で行うのは全くもってもったいない.

2月8日(金)…第2回目のリハ.だんだん良くなって来ている.

2月9日(土)…スウエーデンで開発された「エムドゲイン・ゲル」による歯周病の再生治療を受けた.3時間かかった.再生まで半年から1年だそうである.もちろん保険適用ではない,10万円支払った.インプラントだと一つ90万円というケースもあるらしい.それに比べれば安いもんだ.
今日の段階では感想無しという所だ.

2月13日(水)<フリーズV>室内オーケストラのための 日本初演終了.
リハーサル3回目から俄然良くなり,当日ゲネプロは申し分無い仕上がりになり,本番はもちろん最高のパフォーマンスとなった.指揮の安良岡章夫さんが僕の意図を100%理解し,楽員をリードした.安良岡さんに寄る所,大である.台北での悲惨の状況のリベンジが出来たというもんだ.

作曲家のKさんが次のようなメッセージを送ってくれた.嬉しい次第である.
「今宵の作品,フリーズの進化形と聴きました。これまで通り、沈黙が流れを断ち切ることもありますが音楽に複数のチャンネルの異なる音の流れが存在して,それらが,他声部にかわるがわる干渉しあい,時に流れを断ち切り‥というプロセスが推進原理になっている,と思いました.オーケストレーションは見事で作曲者の意図とは全く違う印象かもしれませんが,お能の舞台を想起させる作品でした.」
お能を意識してはいなかったが,体に充分しみ込んでいるんだな,と思う.何かとっても嬉しい気分である.
「なんだが,不思議に透き通ったような,耳の奥にまっすぐ音が届く感じがしました.それで地球の生き物が叫んでいるような…」「3Dの立体見ているみたいだった」「舞台でお人形が操られている姿を想像した」こんなご感想もあった.
関係者のご好意でビデオ収録があってユーチューブにアップされている.ご覧いただければ嬉しい.
http://youtu.be/wvPWUwVLj9s

2月14日(木)日本作曲家協議会の「アジア音楽祭2014」会議.
2月15日(金)日本作曲家協議会理事会と総会.「こどもたちへ」の企画会議.

13.01.27 ピアノトリオ初演終了

 1月16日に東京文化会館小ホールで開催された「21世紀音楽の会」で,ピアノトリオが初演された.ピアノトリオリハ.jpg
一皮も二皮も剝けた音楽だった様に思う.かなりいい曲だと思ったが,次の事で頭が一杯で舞い上がることは無かった.評判も上々だった.でもどこか冷めててね.もう過去の作品なんだよ.
昨年の9月末には譜面仕上がって,その後1曲書いて,今また別な事考えていて殆ど鬱状態が続いていて,ピアノトリオどころではなくなっている.

 写真はゲネプロ風景.ヴァイオリン:相川麻理子さん,チェロ:植木昭雄さん ピアノ:佐藤勝重さん.植木さん,佐藤さんは桐朋の高校で同級で,相川さんは芸高にいて,3人とも同い年で,同じ頃パリで学んだ良い仲間だ.植木さんは中学生の頃から知っている.

13.01.14 散々だった正月 今日は大雪

 昨年暮れに給湯器がこわれてしまった.急に止まったのではなく,ついたりつかなかったりしてたから,たまたま調子悪いんだろう位に考えていたら,完璧に止まってしまった.2日に東ガスに電話入れてすぐ来てくれたが,「寿命でバーナーが壊れてしまって,安全装置が作動した」「安全装置は迂回する事は出来ない」交換が即決まった.「7日が営業再開です」
 洗いものはお湯沸かしてしのいだ.銭湯に行こうと思ったら3日まで休業だ.いつも行ってるプールも4日ら再開.要するに三が日は全てが止まっているのだ.4日になってプールに行って水中歩行して,ジャグジーもあるので浸かった.これって快適なんだね.今まで知らなかった.8日に工事が来た.それからはいつもの様にお風呂に入れる.
 子供の頃は薪風呂だった.給湯装置なんてなかった.震災で家を失った人たちはもっともっと苦労しているんだ.こんな事考えたら,便利さを戒める気持ちになった.
このマンションに住んで14年,ガスもエアコンも寿命がある.10〜15年ごとに100万近い出費,老後計画の見直しだ.
 ジャグジーに味しめて今日もプールに行った,30分歩いてジャグジーに5分浸かってシャワー浴びて…家に戻るとちょうど1時間.これなら毎日行ける.

 朝からの雪は午後もやまず,ピアノトリオのリハーサルをどうしようかと,連絡取りあい,決行する事を決めた.
 今日はいいけど,明日の朝が怖いな.家の前は北側になっていて,いつも凍りつく.

12.12.14 三井寺〜大津フルートオーケストラ

 11月23日に大津しがぎんホールで,フルートオーケストラ演奏会があった.出演は「湖笛(うみぶえ)の会」.23人編成による新作ばかり11曲もあったコンサートだった.
DSC00988.JPG 前日京都でノンビリサイクリング,と思っていたのだけれど,京都駅前は年寄り満載,荷物預けようにもコインロッカーなんて空いていない,しばし熟考と相成った.仕方なくホテルに行って預けて,それから移動することにした.ホテルも京都市内はとっくに満室で,作曲家中村典子さん(今回のコンサートの制作者)に押さえていただいた,京都から見れば下って(東京方面に上って=ややこしいなあ)20分位の南草津駅前のホテルに向かった.それからはもう京都に戻る気はしなくなり,琵琶湖畔の三井寺に行く事にした.三井寺は比叡山延暦寺の山越えの反対側に近い所にある.翌日のホールのすぐ近くなのだが,午前中の雨予報もあったから,今日がチャンスと思ったわけだ.人も沢山いるわけでなく,こっちに来て良かった.写真はその1枚.
 翌日ゲネプロ本番で慌ただしく時間が過ぎていった.もちろん拙作は何の問題も無く素晴らしい演奏となった.11作品が全て異なる顔を持っていて,これほどに多様性に富んだ作品が生まれた事で,コンサートは大成功だったと思う.リハ風景.JPGリハーサル風景
 打上げで会長の松山克子さんとお話していたら,芸高出身だそうで,僕の先輩だ.後で知ったのだが湖南市の市議会議員をされておられるのである.芸高・藝大を卒業して議員をされているなんて何とも珍しいではないか.
その後,松山会長からメッセージを頂戴した.

「30年間、ひたすらフルートオーケストラの可能性に挑戦し、本物の音色づくりをめざして活動してまいりました。決して実力が揃っているわけではないのに、”大変なこと”を簡単にお引き受けしてしまいました。その資格があるだろうか、と自問しながらもメンバーの真摯な態度を信じ、指揮者の松村さんに,すべてよりかかって何ヶ月かを過ごし、本番を迎えました。
皆さまにご満足いただける演奏が出来たか、とても気になるところですが、湖笛のメンバーは一生懸命取り組ませて頂きました。

 所詮フルートだけのオーケストラでしょ?と言われ続けて30年。肝心のフルーティスト達からは、あまり評価されないマイナーな存在です。でも何か出来る・・と信じていろいろな可能性を信じ、挑戦していつの間にか30年だったのです。
 しかしいくら私達が挑戦したいといっても、それを引き出してくれる作品がなければお話になりません。この度のコンサートは、11人の作曲家がフルオケを様々な角度から見つめ、11様の道へ引っ張り出して下さいました。
 30年めざしてきたことは間違いではなかった、とお認め頂けたようで、本当に嬉しく有り難く思いました。
 一度にこんなにたくさんの宝物を頂けるなんて他の団体ではあり得ないことでしょう。こんな素晴らしいことは、私たちにだって2度と訪れないでしょう。幸せ者でございます。
先生方の御作品を、私たちの大切なレパートリーとさせて頂き、全国に発信してまいります。きっと羨ましがられることでしょう。(以下略)」

12.11.27 ヴァージナル奮闘記

 11月15日に,運営委員長をつとめている日本・ロシア音楽家協会,作曲部会の演奏会があった.ACMロシア現代音楽協会との作品交流コンサートである.今回僕は安田謙一郎氏の作品「月をさがしにいく」ヴァージナルとチェロによる の,ヴァージナルを担当した.作品は出さなかった.
 ヴァージナルとはチェンバロの小型版である.ピアノにグランドとアップライトがあって,住宅事情からアップライトが作られたのだろうが,チェンバロも同じような事情があって,横に弦が張ってある小型版だ.機能もミュートとか2段鍵盤とか,これは省略されている.音域はバッハのインベンション音域である.

安田,遠藤6.JPGリハーサル風景  安田謙一郎氏は,第3回チャイコフスキー国際コンクール第3位に入賞されておられる,高名なチェリストであるが,最近は作曲家としての活動も増えている.作曲は全くの独学だ.
 譜面を拝見して,専門のチェンバリストでは音楽的対応が難しかろうと思った.バロック的要素が見当たらないしっかりした現代音楽だ.楽器はカンマーピッチで半音低く,絶対音バリバリのピアニストではこれまた対応困難だろう.他にも諸々の理由があって,昔々通奏低音に興味を持ち,チェンバロをさらっていた体験から,僕が引き受けるのが一番無難だろうと判断し,引き受けることにした.

 8月から東海道線辻堂からバスの安田邸へ通い始めた.その後訪れる度に「今日のヴァージョン」が提示される.初見で合わせていくと,「大変結構です」と言われた.2回通い,その後は1時間以上かけて安田邸に練習に行くのは困難となり,10月に楽器を拙宅に届けて頂く様にお願いした.

 指のかたち,運指も大幅変更となった.そもそもピアノは黒鍵を触り頼りにして,現在位置を確かめながら弾いている.これを超スピードの感覚処理で行っているから,日頃自覚は無い.所がヴァージナルは鍵盤が軽く,少し触れただけで音が鳴ってしまう.これを防ぐには指を鍵盤に対して直角に落とす形,又は椅子を思い切り低くして,万歳する手の形にする,このかたちが一番だと思った.運指はと言えば,薬指が黒鍵に乗っかってもピアノは音が出ないことが当たり前で,指使いを決めるが,ヴァージナルで,薬指を脱力したまま黒鍵に触れない様に,上げている,なんて不可能である.当然異なる運指となる.

 11月5日に拙作<線の自画像>マンドリンとピアノのために の本番があり,ピアノは僕が弾くのであるが,こちらのさらい込みを初めて見ると,両立は不可能と思うに至り,一時期ヴァージナルのふたを閉じた.
 こちらのコンサートはオペラシティーリサイタルホールであったが,ここのピアノの弾き易いこと,トレモロ,トリルは快適に転がり,僕はいい気分だった.所がマンドリン奏者の横田綾子さんが,謝りに来た.何事かと思ったら,2本ずつ張ってある弦の一つがダウンして狂ってしまって,そこは1本で対応したそうなんだ.僕は何も気がつかなかった.マンドリンの音が客席に向かう様に座ると,ピアノの所では音が聞きにくいのである.ダウンしたのは始まって30秒くらい経過した所だと言う.その位置なら演奏止めて,チューニングやり直して,初めから弾き直してもいいと思うのだが,その判断は難しい.弦が切れたなら,客席にも分かるから止められるけど,ダウンした程度で止めていいかどうか.彼女は止めなかった.こんな事態全く気がつかず,いい気持ちで本番終えた.知り合いの作曲家が後で次のメッセージをくれた.
 「とても面白く聴かせて頂きました.どちらかがどちらかのドッペルゲンガーのようでありながら互いを補完しあっているような謎めいた音楽ですね.遠藤さんの<フリーズ>シリーズに通じる側面も持っていて,二つの存在がシュールな<達磨さんが転んだ>をやっているようにも見えて不思議な気持ちになりました.」

 ヴァージナルを再開した.1日5時間も弾いた日があった.体に奏法をしみ込ませるためには練習しかなかった.学生時代みたいにさらった.楽器のコンディションはドンドン悪化して,ならない音が出てくる,バランスが悪くなる.それでもさらった.
安田さんは,本番燃え出すと驚異的表現力を発揮する事を以前から知っていたから,どんな状況にも対応出来る様に様々な表現方法を探った.
 カワイ表参道2階のパウゼが会場で,小さいホールとはいえ,ヴァージナルが隅々まで染み渡るかどうか不安であった.あとで一番後ろの席にいた知人が,「良〜くバリバリ聞こえてた」と言ってたから,学生の様にさらったの成果があったというもんだろう.安田さんからは「大変弾き易かった」と言われた.
 練習,練習&練習.成果は発揮される.

12.10.09 フェイスブックって何じゃ?

 知り合いにそそのかされて,フェイスブックのアカウントを取った.設定が終わってクリックしたら,知り合いかも?に,ずらりと記憶のある名前が並んだ.なんで僕のプライバシーを知ってるのかって,最初は怖かった.色々探りを入れたら,スマフォに同期させると,登録してあるメルアドが赤い糸になるらしい.僕は未だにフルケー(ガラケーよりももっと前の)で生きていて,スマフォなんか持ってない.
 PCのブラウザには,「同期しますか」というのがあって,意味が分からないから放置したままになっている.クロームと,ファイヤーフォックスがそうだ.もう一つサファリも使っている.こっちには「同期しますか」なんて質問はない.

 友達を公開する.中には2000人越えている人もいる.これだけいると,厚い関係の2000人なんてワケ無いから,プライバシーも何も無関係に見える.来たものをドンドン受け入れる.外回り社員の名刺交換みたいなものか.と,ここまで思考が辿り着くのに何日もかかった.
 非公開設定にいくらでも出来る.でもフェイスブック会社は全〜部,掴んでいるんだろ.旧東側の国家管理みたいに,ある日秘密工作員がドアたたくかもしれない.僕たちの一人一人が丸裸にされ,狂った支配者が初めこっそり,次第に凶暴に管理を始める.そんな妄想も持ってしまった.
 出身大学,高校は書き込めるけど,小中がないな.僕は1学年40人しかいない高校に行って,そのまんま同じコースに進学して,友達の活動(隠居)状況は伝わってくる.やっぱりフェイスブックは若者ツールだ.

 ようやく辿り着いた僕の方針.一定の数に達するまでは友達公開はしない.写真を載せるツールとしては優れものに見えるから,これは利用しよう.と言うわけでこの文面お読みの「お友達」のみなさん,是非申請して下さい.一切拒否はしません.今は非公開だけど,巨大な友達ネットが構築出来たら,一挙に公開します.それまではヒソヒソコソコソ,プライバシー守りたいと思います.どうぞよろしくお願い致します.
 見つからないって苦情メールももらってます.僕のメルアドで検索して下さい.ここに書くとロボット検索されて面倒なことになりかねないので.書きませんけど.

12.09.23 郡山〜福島空港ビエンナーレ〜会津若松〜磐越西線〜新潟リハーサル

2福島ビエンナーレ10.jpg西村陽平<200冊の文庫本と新書>インスタレーション 9月21日新潟「越の風」(10月12日)のリハーサルに出かけた.単に新幹線で往復するのもつまらない.そこでまず郡山から福島空港に出て,ここで開催されている福島ビエンナーレを見ようというわけである.空港行きのバスの本数が限られていて,そもそも行きにくかった.行ってみれば質量ともに思ったほどではなかったが,写真のインスタレーションは宗教的な感覚を味わった.下の台に乗っているのは焼き物であろう.上は文庫本の表紙が吊り下げられている.誰もいない部屋で,静寂な時間との対話を味わった.

 郡山に戻り列車で会津若松まで移動,下車しようとしたら東京から新潟まで通しで買った乗車券が見当たらない.4会津若松1.jpg郡山で落としたんだね.窓口では東京からの全部を買い直せという.それはおかしいと話し合い,結局郡山〜新潟を買い直した.チケット紛失は初めてではない.どこか集中力を欠いているんだ.
 会津若松は何度目だろうか.気分転換に来るにはちょうど良い距離だ.いつも歩く通りの雑器店に寄ったら,前回買った小皿が置いてある.嬉しくなって,今度は同じ焼きの別タイプの小皿を買った.聞けば美濃焼だそうだ.大体こういうものは一度大量に作ってそれはオシマイの事が多い.作り続けているのは嬉しい.夕闇迫り鶴ヶ城までは行けなかった.
 泊まった,チェーン展開する駅前のT-inn,これはホテルというよりも簡易宿泊所と言った方がいいかもしれない.隣の部屋のイビキ声が聞こえてくる.朝食は喫茶店のモーニングみたいなものだった.ちょうど祭りの真っ最中で,落ち着きある近隣ホテルは満室で.次の日早いし,ホテルを楽しむ気がなかったから予約した.5,480円の安さではサービスを期待する方が間違いだ.
5磐越西線9.jpg
 翌日,磐越西線,8時14分に乗って終点新津で乗り換え,新潟に12時05分に着く.この線は阿賀野川沿いに走っていて,紅葉や冬景色の季節は素晴らしいに違いない.途中27分停車があった.単線で反対側列車を待つのかと思ったら,ただ意味もなく止まっている.15分停車もあって,この時は向こうからSLがやって来た.人家がまばらでないと煙が困るものね.つまりそのよう路線である.景色という点では南側を走っている只見線の方が遥かに上だけれど,1年以上前の土砂崩れで途中不通,バス代行となっている.今回は時間的に無理だった.写真は若松から喜多方へ向かう車窓外.すっかり稲穂が稔っている.もう季節は秋である.
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 リハのあと,後藤丹さんと旧交を温めた.後藤さんは同門で,6級後輩で上越教育大の教授をされている,優秀な作曲家だ.10月越の風のあとウイーンへ半年移住するのだそうだ.今更留学の歳でもないし,何しに行くのと聞けば,「あちこち旅行に」と返って来た.奥様同行のプラハ行きも日程に入っているのだそうで,羨ましいな.仕事する気はないけど,キーボード,パソコン持参して,フィナーレで譜面書ける,と言っていた.
 今僕は定職ないし,完全自由の身でどうにでもなるはずが,自宅で鉛筆持って譜面に向かっていないと不安で,フィナーレやシベリウスはやらないし,ピアノがないと作曲出来ないから,全く困ったもんだ.
 写真は新潟の海.買ったばかりのソニーのミラーレスカメラ.さすが高級機,よく撮れている.でもねえ,正直の所スタンウエイ買ったはいいけど,ソナチネトロトロって感じなのだ.

12.08.30 「水の島の歌」パート譜制作完了…思ったより手間かかった

 由紀さおり編曲を終えて,「水の島の歌」フルートオーケストラのための の,パート譜制作に取りかかった.まず五線紙の制作,といっても5線を引くわけじゃない.以前はB4で11段パート譜用のを使っていたのだが,最近は出来るだけA4(2ページでA3)を使っている.見やすいB4は海外に出すと規格外なんだね.
 B4版11段をA4縮小コピーにかける.コンビニコピー機は通常「文字・写真」に初期設定されているので,「文字」に変更し.1段階「濃く」に設定する.そうやって1枚コピーしたものを持ち帰り,白い字消しで,汚れの「黒い点」を丁寧に取り除いて行く.こうやって元原稿はこしらえてある.家の周辺のコンビニではファミマの紙質が好みタイプだ.鉛筆の走りがフィットする.
 どこのコピー機だって画面が汚れている.のり跡が張り付いている時もある.めがね拭きで丁寧に汚れを取り,時に店員にアルコールで掃除してもらう事もある.濃度を少しずつ増やし1枚,また1枚と試しコピーをして程よい所で必要枚数をセットする.

 パート譜作りでの失敗は,1段上や下のパートを写してしまったり,小節を飛ばしてしまったりする事である.最後まで書いて,最初の方にある「飛ばし」を発見した時の悔しさ,泣きの涙ったらないよ.若い頃はこういうのよくあった.また拍子が変わって,新しい拍子を書き漏らした事もある.これはご愛嬌だ.
 どうしたら「飛ばし」事故を防げるのか.熟慮の結果,同時に似たような数パートを書く事にしてる.今回は3ピッロコ+sop,9フルート,4アルト,4バスC+Fバス+コントラバスと,4群に分けた.次の練習番号の所まで書いたら,この間の小節数を数える.スコアには練習番号間の小節数を書き入れ,それと対照して「飛ばし」の有無を確認する.終わったら次のパートの同じ練習番号の所.そうする事によって,他の多種なミスをが発見しやすくなる.いわば事故を未然に防ぐとともに,起こった事故を素早く見つける工夫だ.

 今回は移調楽器のオンパレードである.F管のソプラノ,G管のアルト,その下にはC管のバス(といってもヴィオラの音域),F管のバス(テナートロンボーンのチョット上まで)一番下にコントラバス(音域としてはチェロ)と並んでいて,全部ト音記号で記譜するんだ.コントラバスがト音記号で書かれるなんて落ち着かない.
 初めから移調譜でスコアが書けるとは思わなかったでの,Actual soundスコアを書き,移調譜スコアを作り上げて行った.このどの段階でもミスは発生する.
長時間書いていると緊張感も薄れ,ミスが続発するから,午前中4時間,夕方から4時間という具合に作業した.もちろん50分ごとに10分の休憩.
 パート譜を仕上げて校正する気力は萎えて,あとは音出ししての発見を待つしか無いと思う.でも練習時間をミスの修正に取られるのはもったいないんだ.

 昨日午後,思った以上に時間かかってたパート譜制作は終わり,コピーまでに辿り着き製本始めたら,気分が悪くなってしまった.微熱があるし熱中症かも知れないと思って,いつでも119番出来るように携帯握りしめ横になった.昨晩は僕も会員の「アプサラスの会」コンサートがあったのだが,気がついたら夜中の12時になっていた.それからまた睡魔に襲われ,朝5時までぶっ通しで12時間眠ってしまった.今日は回復していて,製本を完了し,京都へと郵便局へ持って行った.

 パート譜は他の人に任せないの?という質問をよく受ける.それが出来たら嬉しいと思う.僕の場合,パート譜書きながらスコアの書き直しをしているのだ.作品の完成度を上げる努力だ.スコア完成したら作曲終わりではないのだ.最後の総仕上げをパート譜制作を利用して行っている.だから人には頼めない.もし人任せにしたら,もちろん経費もかかるだろうが,この10日間を別な事に使えて,もしかしたら,もっと優雅な生活があるのかもしれない.

12.08.20 由紀さおりプロジェクト…オーバーかな?

 指揮者,岡本俊久さんから4月に電話があった.由紀さおりの女声合唱への編曲依頼である.昨年10月に,僕の女声合唱作品を取り上げてくれた合唱団「コーロ・ソアーヴェ」が来年秋最終ステージで載っけたいそうなんだ.恩人岡本さんからの依頼なら,優先順位トップ,もちろん引き受けた.年内でいいよと言われたが,フルートアンサンブル作品が完成して,パート譜作りの前の気分転換にと仕事を始めた.

 合唱団から音源,歌詞カードが送られて来たが,楽譜は無いという.まず楽譜の起こしから始めることになる.これをレコードコピーという.音源をカセットテープに入れ直した.これを語学練習用の,ボタン一つでスグ戻せる,安もののラジオ付きテープレコーダーで再生しようというわけだ.ICレコーダーもiPodもある.昔買った高級カセットレコーダーだってある.なのに,以前,現音広報部のインタヴューの文字起こしのためにわざわざ買った.この時代遅れのオールドメカは,コピーのためには大変な優れものなのだ.モーターの回転スピードがピアノピッチと半音の半分くらいずれている.などの問題点があっても,レコードコピーには最適グッズである.

 何度も反復して譜面を起こしてみると,由紀さおりの上手さは半端じゃない.節回しといい,リズム感といい,どこの切り口からも聞こえてくる「ケダルサ満載」といい,最高水準の歌手なんだね.所がこの特質が女声合唱に移し替える時に,困る事になる.特徴である低音と気怠さが,女声合唱に合うとは思えないのだ.おまけに歌詞はどう見ても中年男と熟女の愛の場面だ.こういうのは低い声に限る.
 聞けば聞くほど,半端じゃない上手さが分かるようになったが,実は好きになれないのだ.こればかりは仕方ない,お許しいただくほかは無いのだが,好きになれない.知り合いにこの事を話すと全員が「わかるよなー」と相づち打ってくれる.日演連専務理事をしている金山茂人さんからは「だから男はこういうの好きなんだ」と言われた.

 うなされる様に6曲仕上げた.ブルーライトヨコハマ,いいじゃないの幸せなら,夜明けのスキャット,パフ,マシュケナダ,さよならのかわりに(谷山浩子の曲,この人の声は好きだな).
 気分転換にはならなかった.1週間で片付けようと思ったが,タルコフスキーを観に行く予定と重なり,2週間以上かかってしまった.岡本さんにさっさと郵送した.

12.08.18 タルコフスキー 生誕80周年記念映画祭

 渋谷のユーロスペースというミニ劇場で,タルコフスキー生誕80周年記念映画祭が開催された.1986年に54才で肺がんでパリで客死しているから,没後26年になろうとしている.長編全7本と中編1本が上映された.名前は知っていたが観た事が無かった.というより劇場に足を運び映画を観るという,ゆとりが今まで無かった.
images-1.jpgストーカー 「ローラーとヴァイオリン」「僕の村は戦場だった」「惑星ソラリス」「鏡」「ストーカー」「ノスタルジア」「サクリファイス」.これらを観たが,観る時間がなかったのは「アンドレイ・ルブリョフ」.
 「水,雨,光など自然を駆使した叙情的な作風により映像の詩人と呼ばれた」.どの場面もカットが長いし,カットの転換で解説説明の台詞は極力省かれている.だから難解と思われる.どの映画も登場人物は少ない.カメラの動きは緩慢だ.その緩やかな動きの先に見えてくるのは,霧に包まれた森や林.スポーツ中継の過剰な解説や,アメリカ映画にあるスピード感に慣らされた感覚からは,遠い遠い世界が広がっている.余分な音楽は排除され,必要最小限でまかなっている.要するに静寂な世界が広がっているのだ.チョットした水の滴る音が心にドキドキする.
 タルコフスキーを敬愛した武満徹は,追悼文で「自分はもうこれから駄作を山のようにかいて死ぬだけだ」書いた.

 ジーッと画面を見ていると,眼が持たない,スーッと睡魔に襲われ目が落ちる.一度ではない.転換の説明台詞の無い画面は次に飛んでて,想像力を必要とする流れがますます混乱する.映画に飽きたのではない.眼が緊張に耐えられないのだ.ノスタルジアでは,隣のおじさんがイビキかき始めた.仕方ないから,肘でつついたり,膝をおじさんにぶつけたりしてみた.その時だけは静かになる.
 DVDを探してみると,アマゾンで中古で高い値がついている.お宝なんだ.

12.07.30 新星クラブ主催 第28回星空のコンサートin原村 終了

IMG_0001a.jpg 7月28日.新星クラブ主催 「第28回星空のコンサートin原村」のために
原村の「ペンション想い出」に来ている.原村は八ヶ岳の麓,長野県側にあるペンション村である.

コンサートメンバーは,ヴァイオリン池田敏美さん,ハープ中村由美子さん,それに僕のピアノである.
16時,少々蒸している.明日は夕方一雨来るらしい.途中の農業学校のアイスクリームのおいしかったこと.今日は夜ミニコンサートがペンションであり,こちらのピアノは田中真理さんであるが,僕もピアノ弾く事になっている.昔取った杵柄だ.映画音楽から日本の唱歌に至るまで,何でもござれ,誰でも知っている旋律にコードネームつけ直して,少しはJazz風な和声も取り込み,お客様に絶対喜んでもらえる趣味のピアノである.
 池袋からコンサートツアーの新星クラブ会員の皆さんとバスでやってきた.車中自己紹介で「趣味のピアニストで〜す」と笑いを取ったのだが,弾き始めたら止められなくなって,何曲も弾いてしまった.拍手喝采,大歓迎.

 29日,昨晩雨が降って,朝は涼しかった.10時になるとそれはそれは暑い,避暑地で有名な原村も暑くてたまらん.昨日弾きすぎたせいか,今日は気が抜けている.本番今夜なのに,もう終わった気分だ.まずいな.リハが3時からあって,会場が音楽ホールというわけではなく,池田さんのヴァイオリンの音がよく聞こえない.中村さんのハープとの3人合わせもハープが聞こえない.おまけにピアノは重たい.
 ひたすらピアニッシモに徹すると,今度は池田さんから,弱い!!と飛んでくる.いつもソリストが醸し出す空気をキャッチしているのだが,それが微弱なもんだから,不安でたまらない.弓先見ていれば分かるだろう,というけれど,タイミングの細かい調整は空気で行っているのだ.空気を読め!!!!! 伝わって来ない!!!! 

IMG_0009b.jpg 僕のソロコーナーもあって,自作として「こどもたちへ」から3曲.主催者側からの注文でドビュッシーの月の光を遠藤ヴァージョンで,ということになっている.月の光は旋律譜を作り,原曲と異なるコードネームを書き込んだ.この作業が実は大変だった.いつもの様に変更しようとすると,原曲が先回りしてその和音を使っている.要するに変更する余地が余りないのだ.ドビュッシーの和声遣いがこんなにモダンだった事に改めて気がついた.結果,都会の摩天楼を崩れ落ちる月の光になった.なったのは家での練習であって,本番のピアノの重たさで「軽やかに崩れ落ちる摩天楼の月」にはならなかった.
 ハープ+ピアノ+ヴァイオリンはどうしたか.音量ではピアノに勝つに決まっている,雰囲気ではハープの勝ちだ.ピアノはひたすら低音補強(転回形の場合は根音)を最低音域で支える事に,徹した.ハープが弱い部分だ.中間音域はハープに任せ,ヴァイオリンの更に上の音域を即興的に埋める.要するに影武者だ.それでもピアノの役割が増えて,ハープはグリッサンドのオンパレードとなる.
 写真は新星クラブの面々.前列中央に僕がいて,右がハープの中村さん,そしてヴァイオリンの池田さん.30日の朝,皆さんバスに乗り込む前の記念撮影.

IMG_5558.jpg それから,近くの水野勉,和田淳子ご夫妻の別荘で旧交温めた.写真左には小淵沢に別荘お持ちの福士則夫さん.僕の2年先輩.右が和田淳子さん,そして水野さん.いくつか後輩です.帰りは福士さんの車,BMWのスポーツカーで小淵沢まで送ってもらった.

12.07.20 高尾山へ

 忙中閑ありで7月10日に高尾山に行って来た.フルートオーケストラの作曲でウナされていて,気分転換もしたかった.朝5時45分,小田急線に乗り,下北沢,明大前と京王線乗り継いで,7時15分には登り始めた.昨年7月には沢伝いの6号路を行ったのだが,今回は1号路を選択した.
 殆どの人はケーブルを利用して,一番辛い所をパスするのだが,全部登った.ケーブルカーは8時から運転始める.その前に行けるだけ行ってしまおうという算段なのだ.ケーブルの楽々組と一緒に歩くのはたまらない,追い越されぬようにとの,7時歩き始めなのだ.
 1号路は,途中まで昔都電に使われていた敷石が敷き詰めてあって,その後はコンクリート道となる.要するに車みちであって,土みちではないのだ.帰りに見たら「都道」と表示があった.そこをトレッキングシューズで歩くから疲れる疲れる.15分も行かないうちに後悔が始まった.後ろからは車がのろのろと,そして僕より年齢上の人が何人も追い越して行く.仕方ないゆったり登りだ.それでも人の倍はかからなかった.ケーブル終点駅まで40分という所を1時間だから1.5倍か.ここから先はそんなに辛くはない.ダラダラ上がったり下ったり,休み休みしながら,9時半には頂上に着いた.
 帰りは北側斜面の4号路を下りた.入り口覗くと,急な階段が延々と続いているように見えて躊躇した.知らない道なら行って見ようと,下りてみれば急斜面はそこだけで,あとは緩やかな森林浴だ.遠方には中央高速が見え隠れする.4号路の終点は1号路に合流していて.それから少し歩いてリフトで下りた.
 翌々日くらいまで,足首と,膝の裏の上部周辺が痛かった.それでもこんなもんで,思ったほどのダメージはない.初めて使ってみた杖のおかげかもしれない.1週間経ったらまた行きたくなって来た.今度は尾根伝いの稲荷山コースかな.
遠足高尾.jpg
写真,50数年前,小学校の遠足で来た時のもの.同じ場所で,写真撮ろうと思ったのだけど,見当たらなかった.1号路以外にあり得ないのだが,「薬王院」とかかれたポールは撤去されてしまったんだろうか.
 所で…10才前後の僕はどこにいるでしょう?


 フルートオーケストラ新作,タイトル「水の島の歌」が複縦線まで辿り着いた.朝4時起きで作業した成果だが,これからが神経使う穴埋め清書である.移調譜見てると頭が混乱するし,ミスの発見にピンとこないので,実音譜(もちろんピッコロは除く)と移調譜と同時進行で作る事にした.倍の時間がかかる.

12.06.25 (社)日本作曲家協議会・副会長へ,クラス会,琵琶湖ホール

 6月15日の総会を終了して,(社)日本作曲家協議会の副会長を担当することになってしまった.会長は松下功氏,もう一人の副会長は香月修氏,常務理事(事務局長)は菅野由弘氏の布陣である.420名の会員を擁する会にあって,舵取りを任される一人として,正直震えもある.しかしもうそういう年齢なんだ.
 2005年あたりから勃発した元事務局員をめぐる当時の執行部対応に嫌気がさして,一度はこの会を退会した.その後まさかの執行部総退陣→退会があり,結果退会した理由が消滅し,再入会した.この6月で小林亜星会長の任期切れがあり,役員改選を経て,まさかの副会長なのだ.
 それ迄さっと目を通していた書類などを,赤鉛筆片手に読むようになった.学校辞めておいてよかった.授業を持ちながらでは,この仕事を綿密にこなすことは出来ないよ.

IMG_0006.JPG 6月10日は芸大作曲,ピアノ,オルガン,管弦打のクラス会を行った.今年の幹事は僕である.4年前に行って,その時「毎年やろうや」という声もあったのだが,幹事の僕の都合で今年になってしまった.全員が高齢者なのだが,大学やオケの定年終えた者,現在学部長の者,副学長という人もいた.前回から一人も欠けなかった.そのうち一人又一人…寂しいけど,それはこの世の掟ってもんだ.いつか同級生の葬儀の時,「僕は全員分の香典用意したよ.皆送ってから行く」って言い放ったことあったけど,もうどうでも良くなって来た.
 その後新しい名簿のメルアドに,ミスがあったことが分かって,その結果混乱が生じて,誠に申し訳ない次第である.もう細かい校正は,僕向きでないんだね.実は僕だけじゃなくて,同級生全員が向かなくなっているのだ.

 6月17日滋賀県のびわ湖ホールに行った.フルートオーケストラのリサーチみたいなもんだ.京芸の中村典子さんが,頑張り抜いて継続して来たコンサートの一環で,実は5月の徳島で,この編成で作曲して欲しいと言われて,「いいよ」って生返事していたのだが,先のことではなく,本番11月23日(休日)と決まっていたのだ.「5分の曲をね」ということで,作戦練り始めた.タイトルは「水の島の歌」.「水の島」とは日本列島と思ってもよろしいし,この日琵琶湖を眺めていた時の,交錯した二つのイメージ,「大地がこっちで,あちらは湖」と「こちらが小さな島であちらは広い広い水の世界」,との意味も含まれている.湖畔に立っていると今自分がどこにいるのか,わからなくなるのだ.そのような夢想を背景に,「琵琶湖周航の歌」とは異なる旋律を,現代音楽的手法で乗せようと思っている.

 所で,この日京都に降り立ち,東海道線下りのホームにいた時のこと,3才くらいの小さな子が,ホームを歩き回り,線路際まで行ってふらふらしている光景が目に入った.「危ないなあ」と思っていたら,ベンチに座っていた若い父親が出て来て,なんと説得を始めたのだ.一度は手を引いてベンチに引き上げたが,また線路際をふらふらし始めた,列車到着のアナウンスが入る.父親はまたも説得している.びっくりした.まず手を離さないことが1番だろ,2番目は有無を言わさず手を引くこと,これ以外に思いつかない.こんなちびに説得とは何事だ.それも列車が迫っているというのに…
 この人が日本の将来を背負うのかと思ったら,背筋が寒くなって来た.と考えていたら,上りのホームで線路に人が転落したとかで,僕が乗った下りも含めて,止まってしまった.

12.05.14 広島県福山市へ

 本番は踏み外しも多少あったが,無事終了.阿南市から徳島市に移動して打ち上げ.その後,日頃出ない二次会へ.
 翌日,徳島にお住まいの知人の方にお願いして,市内観光.うずしおの散歩コースと,市内一望の眉山IMG_0055b.jpgご自慢の防音室,知人宅へ.午後から列車で徳島→高松→岡山→倉敷→松永と移動して福山市の知人宅へ.
瀬戸大橋からの眺望は素晴らしいものがある.瀬戸内海に点在する島々は景色に変化をもたらし,眼を楽しませるものがある.
 倉敷で途中下車して散歩.この町は何度来ても魅力あるな.気分転換にはもってこいの街だ.マグカップ購入.
 翌日は尾道にドライブ.尾道ってどこか郷愁そそる地名だなぁ.古い明治,大正ロマンが残っていそうな,しっとり感がある.町が見渡せる山寺があって,てっぺんまで行ってみたけど,大したこと無かった.町は日本全国どこにでもある景色.やたらお寺さんが多いですね.
 …眼前に広がる瀬戸内海景色は魅力的です.しまなみ街道の橋が遠方を走り,その向こうにぽっかりと島々が浮き上がり,手前には沢山の造船所が稼働し…この光景は見たこと無い景色だ.瀬戸内海クルーズがあったら乗ってみたいな.
 15日夜遅く帰宅,

12.05.11 四国,徳島県阿南市へ 豊かな潮風

IMG_0021b.jpg淡路島のSA 中国・四国の作曲家の準会員として阿南市のコンサートに参加.昨日は神戸に泊まって,マンドリン奏者横田綾子さんとリハーサル.その後彼女の車で淡路島を抜け,徳島経由で阿南まできた.ホールは大変素晴らしい.ピアノは弾きやすいスタンウェイだ.
 2月にルーテル市ケ谷センターで改訂初演したときは,ピアノは半開だったが,今回全開にする事にした.マンドリンが遮蔽されないことが分かった.全開のフルコンと,座ったマンドリン奏者では,見た目IMG_0026b.jpg阿南の海岸からIMG_0043b.jpg濃い太陽のもと,砂浜影絵まるで象とウサギだ. 弾いていると不安になる.僕の耳には,マンドリンの音,音が巻き起こす空気が,後ろのピアノまで届かない.動きは全て見えているのにだ.横田さんは,フリーズさせたピアノの残響が,楽器の箱の中で残り続けるので,カウントを見失うと言ってる.要するに二人とも不安でたまらないのだ.客席では何の問題も無いと,立ち会ってもらった作曲家の近藤春恵さんはおっしゃる.客観的にどのように響いているのかを聞けないのは演奏家の宿命だね.
 夜10時からホテルレストランでミニパーティー.東京佃に生まれ,本所に育ち,東京の小中高大学大学院まで出て,東京で働き活動している僕は,要するに「東京引きこもり」なのだが,こうして地元を離れた活動は,リフレッシュになっている.いつもと異なる空,風,色.明日頑張ろう.

12.04.11 春がめぐって…この1年…

 退職1年経過,この1年をメモっておくことにした.退職話はこれでおしまい.
 ■過去作品の改訂:これこそ目的だったんだが,思ったほどの数にはならない,70才までには終えようと思っているが,間に合わないかもしれない.
 趣味のピアノの練習時間が増えた.バッハプロジェクトは現在中断,シューベルトソナタ全曲「試し弾き」の最中であるが7・8番まで来た.完璧に弾こうとしたら1曲で1年はかかるに違いないから,止まらずに複縦線まで弾けたら,ハイ次の曲.シューベルトはホントに面白い.耳学で和声を学んだ素人の作曲家.だから変な転調のオンパレードである.展開部のなんと稚拙なこと.所がこれが実に生き生きとしているんだね.改めてベートーベン型の思考方法に馴らされて来たことを,反省している.
 音大作曲科受験生に「ベートーベン型こそ全てだ」なんて教えてきてご免なさい.でもこの型で入試臨まないと,落ちること大なんだ.矛盾感ずるから作曲受験生の指導からは撤退することにした.

 ■霞み料理:大学給与がゼロとなって恐る恐るの1年だった.所が何も困らなかった.外出が減れば支出も減る.料理の腕は少しずつ上がり,栄養管理の意味もあって外食は殆どしなくなった.魚と豆類からタンパク質を摂る毎日になっている.ひとは仙人料理というけれど,僕にはフィットしている.時として59キロまで行った体重は,55キロ台で安定している.学生時代の体重だ.

 ■ファッション:一番困ったのはファッションだ.勤めていた時は若いお嬢様ばかりだったから,気を遣っていた.やっぱりいっつも同じおじさん服じゃアね.スーツのたぐいは元々持っていないが,ジャケットはそれなりに持っていて,セーター,ワイシャツも含めて,黒系,茶系,ブルー系の3系統で着こなしていた.気を遣う相手がいなくなってみると,ジャケットはまず着なくなって,おしゃれがいい加減になってきた.ネクタイなんてこの1年,数回しかしなかったんじゃないか.オジサン化したらやだな.

 ■税金:確定申告に行って,結果赤字申告となり,今年は所得税ゼロとなった.信じられない.そこで住民税が来年度から安くなるはずと思って,納税通知書の裏読むと,計算式があった.じっと見てたら,なんと特例があって僕は該当者で,住民税も只なのだ.まさかと思って申告書持参で区役所に行って確かめたら,ホントに只なんだ.特例とは身障者,僕は手帳持っている,身障者は一定金額以下の収入で免除となっている.ついでに健康保険も相談に乗ってもらった.こちらも収入に合わせて金額が決まる.最低ランクとなった.昨年度は「文芸美術国民健康保険」に加入していた.年収に関係なく年額19万弱,これは学校に残留するよりもずっと安かった.区役所では「こちらに入ったらどうか」と提案され,早速手続きに入った,いとも簡単だった.ずっと所得税,住民税,社会保険料などで,合計百数十万円払い続けてきた.65才からの介護保険料が加わっても,これがなんと11万円強である.区役所のお兄さんに「申し訳ないなあ」ってつぶやいたら,「今までご協力いただきましたので」と言われた.予算が浮くことになって.なんだか凄くお金持ちになった気がした.

12.02.29 雪見の旅

 今年も雪見の旅に出かけた.苦労している雪国の方々思うと,ウキウキ雪見に行くのを申し訳ないと思う.でも東京生まれ,東京育ちの僕には,好奇心満ちあふれる世界なんだ.
 長野から越後川口に抜ける飯山線があって,ここは全国一の豪雪地帯である.この線に乗ろうと計画を練っていた.長野までバスで行って,長野から飯山線で十日町に出て,そこからほくほく線で直江津に.上越教育大学の教授をしている後藤丹さんと旧交温めようと.
 所が飯山線が除雪作業のため,途中までしか行けない日が続き,おまけに長野から直江津に抜ける信越線も,妙高あたりで不通となってて,要するに長野に出たら直江津に行く方法が無い.
 新幹線で越後湯沢まで行って,ほくほく線経由直江津ルートは,いつでも確保されている.トンネルばかりだから雪の影響は受けない.でもつまらないじゃない.
 毎日ネットで運行状況確かめて,最後は諦め,池袋から直江津行きのバスに乗った.関越〜北陸道経由で約6時間.高田で降り,後藤さんの車に拾ってもらった.15分も早く着いた.
 約10キロの関越トンネル抜けると雪雪雪…IMG_0030.JPG越後川口で15分休憩
行った所→野尻湖,杉ノ原スキー場,小布施の北斎館〜90才臨終に際して「アトせめて5年あれば,立派な絵描きになれたのに」…元気を貰った.長野からバスで新宿へ.長野は雪は無かった.

12.02.20 高麗者ゾーンに突入 コンサート終了 確定申告と戦い中

 2月に入って誕生日が来て65歳となった.高齢者ゾーンに突入である.前の晩まで考えもしなかった「高齢者」の言葉に腹が立ってしまった.「邪魔だよ」「もう社会から出て行ってよ」と,ささやき声が聞こえる.若い役人が作り出した用語に違いない.社会のどこかにこっそり作ってある,誰も気がつかない「姥捨て山」に隔離しようという魂胆だ.
 払う方は「国民年金」といって,受け取る方に回ると「老齢基礎年金」と用語が変わる.だまされた気分だ.65才以前にもらうことは無いのだから初めから「老齢基礎年金」と銘打って若者にアピールしておけば,覚悟も出来るというものだ.
 年金事務所に行って,「受け取る」申請書を提出した.住民票を取りに行ったら,「年金のため」では無料交付だ.自治体も気を遣っている.
 共済年金からは「減額する」と手紙が来た.年金事務所の説明だと,共済から出ていたのは,2階建ての1,2階全部で,65才からは1階の部分がセンターからの「老齢基礎年金」になるんだとか.そんなこと,どこに書いてあったのかな.
 続いて「介護保険」保険料の請求書が来た.こんなの知らなかった.半年たつと,「老齢基礎年金」から自動的に引き落としになるのだって.何んだかんだ言って,貰う年金がどんどん減る.
 確定申告の「書き方」を読むと,公的年金には70万の基礎控除がある.「老齢基礎年金」満額が79万位だから,2階建ての1階部分は,1ヶ月半程度が「収入」ということだ.僕は満額ではない.30才になるまで加入しなかった,70万を遥か下回る金額だ.昨年の共済年金も70万を下回っている.
 「高齢者」の言葉にはホント,腹立つので,「高麗者」と漢字を変えた.
いずれ来る「後期高齢者」は「高貴高麗者」って書くんだ,って友達に送ったら「なんかオカマみたい」って返って来た.

 18日,マンドリン演奏会終了.マンドリンの横田さんが好演した.ありがとう.ピアノの音色は絶品と言われた.お世辞でも嬉しいな.2回公演で,どっちもそれなりに踏み外しがあったが,特に2回目は,息が次第に上がって,普通に出来る腹式呼吸が狂い出した.修行が足らないんだな.
 マンドリンとピアノの追っかけっこが,「ストーカー」みたいだ,面白いねえ〜というコメントもあって,まあ出来の良い作品なんだろう.直してよかった.

 今日は朝から確定申告書類の作成を続けている.細かい記載に毎年うんざりしている.会計士に頼めば全部やってくれるのだろうが,自分で毎年作成している.そのお陰で,仕組みの理解が出来る様になった.以前は朝から晩まで頑張って,1ヶ月分の生活費を取り戻したもんだが,もうずっと,払う方に回っている.昨年から給与所得が3ヶ月分で途絶え,収入は激減.だからといって還付金がある様には見えないな.

12.01.31 YouTubeへ奮闘中

 前から友人から薦められていたYouTubeの利用について,恐る恐る始めてみた.DVDに録画されている映像をiMovieに取り込むのに一苦労した.「フォーマットが異なる」ということを,理解するのに手間取り,変換ソフト探すのにまた一苦労した.iSquintという,もう開発を止めた無料ソフトが良いらしいと判り,このソフト探すのに,またいらぬ時間がかかってしまった.
 編集にもまた手間取った.Macに入っているiMovie09(オーナインと読む)は使ったこと無いソフトで,チュートリアル見ると,いとも簡単だけど,実際そうはいかない.

 そうこうしてようやく完成した後の,YouTubeへアップは,いとも簡単である.
実は最初の PHLEGON for violin solo <プレゴーン>独奏ヴァイオリンのために〜は,楽譜と連動しているが,これは僕の制作ではない.知人に頼んでとっくに作ってもらっていた.しかしアップする気持ちが整わずに,だらだらと,もう2年も経ってしまった.
 アップしてみると,楽譜への連動は思ったほどのことは無いです.
楽譜が小さくてよく読めない.いまどこ弾いているのか要するに判りにくい.

 当面映像が残されているものを優先的にアップして,そのあとは音源だけのものを,画像を工夫してアップして行きたいが,時間との戦いかな.DVDからのmp4(iMovieに取り込むためのフォーマット)への変換は,要するに演奏時間分かかり,YouTubeの10分までの制限を考慮して,10分以内に分割編集するのに手間がかかり,アップ〜説明,タグの書き込む〜このHPへ記入する.なんだかんだで,今のところ一つで1時間以上かかっている.この時間はなるべく圧縮したい.

 c0mp0massa というネーミングで登録したが,本名にすべきだったかな.
このロゴは気にいってて,ついつい使ってしまった.composer masao endo をひとひねりして,oを数字の0に変えて,その他の工夫の末たどり着いたのだが…

12.01.28 シューベルト…

 バッハの平均率とフーガ I・II 巻,全48曲,プレリュードを入れると96曲を70才までに全曲つっかえずに通して弾こうと,頑張って来たが中座してしている.気分を変えて作曲家を変えることにした.
 まずベートーベン.あまりに強引で,弾いていると自分の作品に悪影響あると思い,ご辞退申し上げた.ショパンは他人の気持ちを徹底的に引っ掻き回すから,勘弁して欲しい,ということで迷っていたら,知人のピアニストから,シューベルトを薦められた.アンプロンプチュや,未完成交響曲のようなイメージしかないし,ソナタに至っては有名なAdurで辛い思いをしたので,避けていた.

 自宅には楽譜が春秋社版のものしかなく,これは作品番号付きのものだけで,そのため全体像が掴めず,また失礼だが校訂に不安があるので,未完のもの入れて21曲を作曲順に並べた,ウイーン原典版ソナタ集3冊買って来て,1番から弾き出した.余談ではあるが,僕はヘンレ版のファンではない.
 1番2番なんて18才の頃の作品だ.おまけに未完.所がこれが面白いのだ.
展開部,彼の資質からすれば余計なことなんだろうが,一生懸命,したくもない展開をがんばり,無茶苦茶転調をしては予期せぬ所で戻る.古典和声や受験ソナタで,がんじがらめにされた記憶の残る学生時代は.変な音楽と思えていたが,今はとても新鮮に映るのだ.
 緩徐楽章の美しさと言ったら,夢心地の世界が広がっている.強引さはなく,今で言えばヒーリングかな.だから僕の仕事の邪魔にはならない.
 完成度はまあまあにして,21曲全部弾いてみる気持ちで,今はいる.

11.12.12 皆既月食,台北コンサートの裏事情

 10日夜中の皆既月食を見た.ネットでも中継してて,実はこちらの方がくっきりしている.ベランダに出て探したけど,見つからない.変だなと思って真上見たら月がいた.こんな高い所にいるとは知らなかった.日頃もっと低い所で,もっと大きく見える.道路に出てみたけど,街路灯が煌煌としてて駄目.商店街も駄目.結局ベランダが一番だった.
 少年時代,天文学者を夢見て,こんなイベント時間かけて調べあげて,ときには友人と都市明かりのない郊外に繰り出したこともあったが,今はそんな気にはならない.天文少年は過ぎた.
 それにしてもネットで中継とは素晴らしいものだ.沢山あったらしいが,二つ切り替えた,一つは解説おしゃべりが長々続くの,一つはただただ月を映しているの.もちろんこっちの方がいいに決まっている.右にツイッター投稿が掲示され,これがやたら面白かった.てんでんバラバラに,「曇っちゃった」「雨降ってて駄目だ」「最高だ」など猛烈なスピードで流れて行く.ツイッターってこう使うと面白いな.それにしても現実の天上よりも,ネットの方がはっきりしているとは,妙なもんだ.

 台北の裏事情が見えて来た.要するに予算不足なんだ.クロージングパーティーでの台湾会長の話に,「退職金の半分注ぎ込む事になりそうだと,妻に話した」というのがあって,最後の最後まで寄付金が集まらなくて,苦労に苦労を重ねたということだ.だから拙作演奏会は学生オケで,指揮者もきっとギャラの安い人,使わざるを得なかったんだな.日本でも昔こんな体験したことがあったことを思い出した.指名は伏せるが,「お得なギャラですよ」と言われてお願いしたけど,駄目だったことがあった.
 ギャラの高低と演奏レベルのそれは,一致しているとは限らないが,合致していることが多い.演奏レベルとは,単に上手にバイオリンやピアノが弾ける(運転がうまい)といった,技術力だけじゃない.作品の理解力洞察力(このドライブ旅行のポイントはここだと把握する力)があって,一流の演奏家はまずここが違う,そして,それを実現するための腕を持っている.

 理解力洞察力と腕について考えてみた.
1)理解力洞察力抜群,腕がない→こういう人にあまり出会っていない.多分こういう人は演奏家をやめる.
2)理解力洞察力不十分,腕はある→こういう人はそれなりにいるみたいだ.サーカスみたいに楽器を操縦する.あまり聞きたくないな.
3)理解力洞察力不十分,腕もない→そもそもこういうケースでは,演奏する場が与えられない.世の中には,圧倒的にこちらの人たちが溢れているが,舞台に登場しないから存在力がない.
 してみると,音楽家の腕とは理解力洞察力も含めた腕なのだ.当然人数は少ないから,需給関係でいえば価格が上がり,釣り合いが取れる様になる.

 全ては予算次第.世界的にそうだ.

11.12.07 爆睡&爆睡+歯科・内科・眼科治療中

 戻ってからやたら眠い.たかが3泊4日の旅であったが疲れているのか.久しぶりにピアノ1時間さらって,歯医者行った.このところ中性脂肪たたきの内科,ドライアイ退治の眼科,虫歯&歯周病の歯科と多忙なのだ.
 歯の消耗が激しいからと,マウスピースを作った.ハギシリはどうかと言われても,シングルの身ではさっぱり判らない.以前作ったことあったけど,熟睡出来ず止めてしまった.今回は覚悟出来ている.眼の方はドライアイだけで,白内障も緑内障もなってない.「大変きれいな若い眼ですね」って言われていい気になった.いっつもきたないもの沢山見ているのにね.眼薬は1日6回とかなりのストレスになっている.6回なんて忘れるに決まっているから,携帯アラーム設定して,ブーッと鳴ったら目薬時間である.
 中性脂肪はもう20年来の友である.ありとあらゆる努力して,当時代表的なベザトールという薬飲んでも効果無く,今回トライコアに変えたら,あっという間に正常値になった.だからといってすぐやめるわけではなく,こいつも長期戦だ.
 そろそろ普通のペースの生活に戻さないと.

11.12.04 in台北(台湾)4日目 晴れ時々曇り 気温20度/東京14度 帰国へ 誤解も理解のうち

IMG_0014−1.jpg台湾芸術大学のキャフェーから,左のビル群が市内 終わってみれば,今年第29回だったが,ACLアジア作曲家連盟現代音楽交流コンサートは,今後も続けるべきだと思う.演奏に泣かされても.おいしい食事の提供に長けてる台湾支部.日本だと演奏レベルは素晴らしいものがあるが,この規模の食事の提供までは予算的に無理だ.各支部それぞれの事情を抱えている.腹立つことがあっても,交流を続けなければ理解は生まれない.
 僕の参加は初めてではない.何人もの人たちから「久しぶりだねえ,元気かい」って声かけられて,ブロークン英語でも,笑顔があふれる.特に若い人たちには参加して欲しい.アジアの一員であることの自覚を持って欲しい.利便性という意味では世界トップクラスの東京が,実は基準ではなく,世界にはまだまだ不便なことの裏にある,何か,きっと大事な何かを大切にしている国や地域がある.
 「誤解も理解のうち…」を,しばらく忘れてた.

 故宮博物館に行った.25年前の印象でルーブルや大英博物館の規模をイメージしていたが,さほどのことは無かった.302号室にある,白菜と豚肉印鑑が有名展示だ.陶器に優れものが多い.行きはタクシー捕まえて,600円くらい,帰りはバスがいて,入り口広かったので,メトロ駅に行くのかって聞いて飛び乗った.なんと45円.地下鉄乗り換えて空港へ80円.なんでこだわるかって,この安さが不思議でならないから.松山空港の免税ショップはたいしたことない.お土産買うなら市内で買うべし.
 イミグレ通過前はPCはワイフィーでつながり,通過したら駄目だった.このネットの世界ってすごいね.世界どこでも繋がれば,孤独や不安から逃れられる.

特に体調問題なし.睡眠時間はやはり不足していたが,健康に過ごした.
フライト時間,行き4時間弱,帰り2時間半弱.この距離でなんでこうも違うのか.

11.12.03 in台北(台湾)3日目 晴れ時々曇り 気温16度 本番居心地悪し

 弦楽器の編成を一人ずつに減らすのは言える.所が,授業でトレーニング積んで来た学生たちに,集団からソロにと変更して,うまく行くワケが無いのだ.バランスから音色まで急な変更は,彼ら,そして指揮者の実力では無理と,瞬時に判断し黙った.リハーサルがたった1回では試してみることも出来ない.それでも言うべきかどうか.
 他のコンサートでも陰で泣いてる作曲家がいたらしい.ここ台湾では実力以上の曲が選ばれているんだ.台中で総会に出席してた日本作曲家協議会事務局員のMさんに,舞台に呼び出されたら「アカンベしてやろうか」って愚痴った.
龍山寺.jpg 午前中龍山寺観光.日本語使いのおじさんから「お線香只だよ,もらって,あっちに1本,こっちに1本,願い事かなうよ」.でも「今日の演奏がうまく行きます様に」なんて願掛けしなかった.午後からリハ,遅刻して着いたら,違う曲やってて,「順番逆だってさ〜」言ってくれればのんびり出来たのに.今日も1回通しておしまい.注文つける空気も無い.
 4時半本番.舞台には出ないことになってて,客席で立っての挨拶.立つの止めようと思ったけど,M事務局員嬢から「丸く収めて下さい」と説得されて,立ってすぐ座った.
 コントラストが無い.純正化する音程要求が全く無視されている.ストップモーションは単なる休符.3度を2分割する微分音は全く出来ておらず,フル編成の弦になれば,音程の乱れは当然拡大する.フルートは相変わらずブレージングが出来ない.
 終演後のクロージングパーティ,あっちこっちに愚痴をこぼして歩いた.中に指揮者の友達って言う人がいて,あきれかえって,「会ったら言っておくよ」ホントに言ってくれたらうれしいな.どうも今回の指揮者は,嫌われ者らしい.
 何故か電子音が専門という,大学の先生から「あんたの曲は面白いねー」「線が交差しながら上がり下りしてるなんて魅力的だ」とコメントもらって,面食らってもいる.電子音楽からは最も遠い所にある音楽だと思っていたのに.
 オクターブ超える音程を頻繁に使って旋律を書くのが,現代音楽の特徴であったと思うのだが,それを止めて最小単位の音階を並べる.その音階はアナログの線なのだが,それらをデジタル式に点に変換して,スビード,カーブなどをコントロールし,旋律としようと考えて来たものだけは,伝わったようだ.線は1本じゃつまらないから,複数が絡み織りなす様に,設計されている.ピアノ鍵盤の最小単位は半音であるが,これだけでは単調になるから,3度の2分割,半音の2分割などの微分音が,ここで非常に重大な意味を持つのである.きちんと訓練してもらわなければ困る.
 しかし指揮者も,教育した大学の担当者も,意味を理解しなかった.(今日の指揮者と教育を施した先生とは別だってことがわかった)
 3管編成が標準になってしまった習慣は,もうやめるべきだ.小編成で耳を鍛えるべきだよ.奏者沢山並べて,打楽器ガンガン,「迫力」の暴力に慣らされた耳では,21世紀を生きられないよ.

11.12.02 in台北(台湾)2日目 雨 気温17度 無理解のリハ悲惨

 朝食はおいしかった.洋食,中華で,もちろん中華.固い豆腐と+車麩の煮付けが極上.あの中華風の味付けベースはなんだろう.ヌードルやら,お粥やら,並べてあるものの半分は試してみた.日本のホテルなり旅館なり,朝食はもっとメニューは少ないし,味付けが僕好みでないことが多い.(京都の某ホテルのおみおつけの味付けは最高だったけれど)
 外はシトシト雨.気温=最高17度,今16度.暗い.起きぬけ散歩と思ったけれど,今日はリハまでホテル滞在かな.
二日目お昼.jpg お昼になって,昨日目をつけた鍋料理屋に行ってみた.写真は一人分,どう見ても二人分だと思う.左のポーク巻いたの,半分で撤退.具材の下に隠れている,たっぷりのキャベツも半分で終了.最近こんなに沢山食べたこと無いな.若いボーイの英語が理解出来ず,トンチンカン会話を楽しんで,気の毒に思ったのか色々サポートしてくれた.コーリヤ?ジャパニーズ,トウキョウからだよ.
 もたもたしていると日本人に見られない.昔オランダで,ペキンから?って言われたことがあったのを思い出した.東京の隅田川河口の佃で生まれたチャキチャキの江戸っ子なのにね.
 これだけ並んでNT$427, JPY1100円.やっぱり安いなァ.今夜は,チャイニーズオーケストラコンサートで,松下功氏の2尺八をソロにした作品があるのだが,その前にレセプションディナーがあって,出る様に言われてる.今晩は軽食程度でおしまいにしよう.

小沢征爾.jpg楽屋にあった小沢征爾さんの写真  午後からリハで出かけ,夜コンサートで遅く戻った.リハは最悪.弦が一人ずつのハズの編成が,何故か通常のフル編成になっている.考えられない事態.指揮者はスコア理解してないし,勉強してない.協力的でもない.腹が立つ.授業で練習積んで来たとの学生オケに,山の様にある誤解,ミステイクは時間かけないと直らない.キーポイントとなるフルートのブレージー奏法が全く出来ていない.全体のコントラストが全く平凡になっている.おまけに1回通しておしまい.愛情が無い.こんな無理解の演奏で明日の本番がうまく行くワケが無い.僕の世界観が,誤解されたまま聴衆に伝わるのかと思うと,死にたくなる.

11.12.01 in台北(台湾)初日

 いつもながら旅行直前鬱に襲われ,まずいなと思い,5時に起きてしっかり朝食取り,さっさと羽田に行って,自動チェックイン,というこれまた優れもの機械のお世話で,あっという間に手続き完了.すぐにイミグレーション通過した.ずっと2時間前と思っていたけど,機内で手続き方法に眼を通すと,45分前までで良いとある.いつの間に変わったのだろう.
 台北まで4時間.気温20度(東京は今日8度予想である).入境(って書いてある)してバッゲージ取り戻して,ゆっくり厚手のコートをしまい,ゆったり歩いて銀行で台湾ダラー買い,のんびり地下鉄を探した.英語でどこ?って「i?」のおばさんに尋ねたら,正しい日本語が返ってきた.
 タクシー使うのは止めた.土地に慣れるのはやっぱり地下鉄だろ.チケットの買い方判らないから,窓口で路線図見せて行き先指さしたら,プラスティックコイン渡された.どうやって自動改札通過するのか判らず,おろおろしてたら,若い学生さんから,タッチせよと言われた.
 どこ見ても漢字漢字,当たり前だよね.日本国内のどこかに行った気分の同じ顔顔で,違和感ない.駅名だって意味分かる.2度乗り換えて(全部エスカレーターだから困ることなし)ホテルの駅まで到着.ここまで30台湾ダラー(78円).そこからタクシー拾えとホテルの指示にあったけど,どう見ても歩いて10分の距離だから,歩いた.東京じゃこのくらいの距離しょっちゅう歩いてる.
 夕飯は近くでラーメン屋見つけて済ませた.写真指してこれ! 260円.街にはセブンイレブンあり,サブウェイあり,バーガーキングあり,困ったらこれだな.セブンイレブン入ってみた.おにぎりの代わりにハンバーガーが置いてある.あとは日本と同じ.おでんもあったよ,具は異なってるけど.
 ホテル=といっても会議室がある研修センターの宿泊施設みたいなものだ.2,000ダラー5,200円/1泊朝食付き・ネット使用料込み,ホテルの名前は英語でHoward Civil Service International House,漢字で福華国際文教會館.福華がどうしてHowardと読むのかさっぱりわからない.音訳でも意訳でもなさそうだ.こっちに来ると,こんなことは日常である.現在1台湾ダラー(NT$)約2.6円,
 せっかくだからアップしようと思って,着陸寸前の台北の町並み写真撮ろうと思ったら,禁止されているコールがあって慌ててバッグへ戻した.どこのホールもネット引いて地図が出てこない.なんせすぐ隣に中国本土があるから,臨戦態勢なんだな.日本に居るとこんなこと思いつかない.
 中国語の喧噪に巻き込まれて狂いそうになるものと思っていたけど,今日の所そんなことない.日本国内旅行と同じだ.
 部屋のTVにはNHKの国際放送が入っている.もちろんBBCも.TV5ってどこのだっけ.香港の英語放送だったっけ.テレビそのものはパナソニック.音量の所を「静音」にして見てる.
台北メトロカード1.JPG台北メトロカード2.JPG
夜になって,ACL秘書處のJamieさん(漢字では全然違う名前なんだろうね)と会えて,明日の移動方法教えてもらった.写真はもらったメトロカード裏表.タッチ式.

 海外からHp更新出来るとは思わなかった.どういう仕掛けでウチのitscomサーバーさんに入って行くのか.

11.11.25 日・ロ コンサート at パウゼ

 日本・ロシア音楽家協会作曲部会主催のコンサートが終了した.満席を超え,やむなくスタッフはロビーに退却した.現代音楽の会とは思えない盛況ぶりだ.ありがとう.自分で弾いた27年前のピアノパート,滞り無く通過した.ヴァイオリンの斉藤和久さんが,僕のテンポの変化の激しい作品を弾ききった.
たの作品で,チェロの安田謙一郎さんは,鬼気迫る演奏された.このところ日本現代音楽協会の公演やら,いくつかの演奏会での同氏の演奏はすごいものがある.ピアノの松山さん,山中さん,皆さん熱っぽい演奏でした.お仕事演奏会じゃない一体感みたいなものがあった.
 この一月を超える,僕にしては特別だった活動は終了.後は来週台北に行くだけ.自分で指揮したり,ピアノ弾いたりするわけじゃないから,楽と言えば楽だ.
 それにしても…僕はホントにピアノ弾くの好きだな.良い音を出したいの一念でピアノに向かっている.さらっているのは,もっぱらバッハのプレリュードとフーガだけ.70才までに,1,2巻つっかえずに通して弾けるようにしたい.これが難しいんだな,合計96曲,どれ一つとっても満足のいく状態ではない.暗譜?無理無理,絶対無理.
 今日はたまった事務処理をこなす日.大きな一つがあって,3日はかかるな.

11.11.16 終わったー,都連主催 男声合唱フェスティバル

13日(日)夜,本番終えた.お昼のリハもやっぱり30名くらい,セカ11.11.13リハ.jpgリハ,手前は理事長 金川氏ンドが少なく,理事長の金川さんが音取りしながらセカンド担当してくれた.本番,アガル暇もなかった.初めて(正確には2度目)の棒振りとしては合格点だね.指揮というのは,要するに本番はガイド役に徹すれば良いのと,団員の能力を最大限引き出すのがシゴトだ.細かい要求は練習のときに出す.これが一番大切なことで,どこかピアノのレッスンしているのと似ている.
 この曲はやっぱり感動的な作品なんだな.男声合唱という目立たない分野で,歌い継がれるだろう.そんな感じがした.僕はもうここにはいないから,この曲に対する関心は薄れているけど.
 控え室は一番大きな部屋が確保され,ピアノがあって,日・ロの出番作品をさらったり,校正したりして過ごした.お昼は高級弁当が用意され,夕方もサンドイッチが準備され,こんな待遇待っているとは思わないから,自前のお赤飯おにぎり持参していた.

 前日12日(土)学芸大学で,日本キーボード音楽学会の総会・研究大会があった.教育楽器として発展の可能性が報告されていて,20名もの研究者,教育者,その他のツアーを組んだ中国の熱気は,かつての日本を思い出す.
 僕は来年予定している<線の自画像>マンドリンとキーボードのために の,キーボード探しをしてて,学会事務局長の阿方さんから,いくつか準備しているから試して欲しいと,いわれて出かけた.キーボードの選択は決まった.午後の研究大会であるが,2コマあって,それぞれ3つの教室に分かれているのだが,<電子楽器の寿命>,<介護現場での利用>この二つに興味があって参加した.
 研究大会に続いて演奏会がありその中で,リストの<悲愴協奏曲>を原曲2台ピアノバージョン,セカンドを,アコースティック楽器に電子楽器を加え,オーケストラ的響きに編曲されたバージョンと,聞き比べがあって,なかなか興味深かった.学生の教育現場で協奏曲をオケ伴でなんて,滅多にないし,あってもホンの一握りの人数しか機会が与えられないだろうが,こうした電子機器利用なら,勉学の機会はグンと増えるだろう.

 先週も何かと多忙で,夕飯外食が重なり,おまけに打ち上げもあり,せっかく55.7キロまで落ちた体重は,56.7と1キロ増えてしまった.演奏活動がもし本格化したら,どんどん増えるな.危ない危ない.

11.11.04 「今でも…ローセキは魔法の杖」リハーサル 森下文化センター

浜離宮リハ1.jpg 13日(日)に浜離宮朝日ホールである,東京都連主催,第11回東京男声合唱フェスティバルのリハーサルが,昨日3日夜あった.80名応募者がいた,とのことであったが,昨日は30人くらい,「50代のおじさん中心です」という話も,若い人が多い.なぜか女性が一人混ざっていた.都連理事長の金川明裕さんによると,「アルトは,テナーの実音そのまま歌えるんだよ」「アルトよりテナーの方が,おいしいメロディ沢山あるでしょ,こっち歌いたくなるのさ」ということになって,成る程なぁと思った.
 「30数年前の初演聞いて,一度歌いたかった」という方もそれなりにおられ,つまり初練習は惨憺たる状況だったのだ.セカンドテナーは4人し浜離宮ローセキ2.jpgかいなかった.バランスは正確に伝えられない.30分ずつ1曲ごとに仕上げる予定が,1曲目で1時間かかってしまった.
 僕のまずいバトンテクニックもあって,テンポの変化の対応がうまくいかない.振りながら,次々出てくる難問に短時間で対処するには,知恵がいる.とっさに優先順位を決め,これが出来たら次の注文,と次第に深くすればいいのだが,それは時間との戦いになる.
 無伴奏だから,音程が下がって行くことに警戒心を持っていた.所が有り難いことに,加齢現象で絶対音感が薄くなりつつある現在,気にならない.
 もう一度当日会場でリハーサルがある.40分の制約の中で何を伝えられるか,なんせ初参加の方が今日の倍は,いる筈だ.バランス,クレッシェンド,ディミュニュエンド,音の立ち上げ,切り方のへの要求,テンポ変化の対応,歌詞に対する作曲者からの表現方法,数ある「ホントはこうして欲しい」に対する優先順位付けが,「ダンボ耳」の課題だな.
 これでバトンテクニックがあったら,指揮というのはホントに面白いシゴトだな.病み付きになりそうだ.
 写真;「滅多にないからお願いね」と,幹部の方にデジカメ預けた.フラッシュ止めてもらったら,ピンぼけになった.指揮者っていつも動いているんだ.

11.10.30 合唱 合唱… 武蔵野市民会館 そして岡山へ…

 10月22日(土)岡本俊久さん指揮コーロソアーヴェの公演が,武蔵野市民文化会館であった.拙作の「小品集」女声合唱版の初演,そして「愛のかたち」である.指揮の岡本さんは,ブキッチョな僕をいつも引き立ててくれて,恩人みたいな人だ.
 小品集の音楽作りは僕の意にそっていて,それ以上の表現がなされていた.初めから女声のために書いたかのように,仕上がっていた.
「愛のかたち」は,この合唱団にとっては2度目であったが,すっかりものにしたスムーズさがあった.この曲はとても難しい.我慢重ねて,ようやく最後に穏やかな感動に向かうという作品だが,合唱団も岡本さんも頑張り抜いた.皆さんに聞いて欲しかったなあ.岡本さんありがとう.
 他の曲は聞くどころじゃなくて,岡本さんの指揮ばかり見てた.30日と11月12日に振らなかりゃならないから.右手でテンポを取り,表情付けは左手が主になっている.一夜漬けでこんな器用なことは出来ないよ.

 10月30日(日)岡山合唱連盟主催の「作曲家による自作品指導」があった.
11.10.29倉敷.jpg倉敷美観地区前日29日(土),早めに出て倉敷の大原美術館に行った.さほど大きくない美術館に,近代から現在に至る名だたる作家の作品が収納されている.エル・グレコの傑作「受胎告知」があったが,よく収集出来たと思う.
 工芸館は民藝運動に関わった大家の陶器収集であるが,とりわけ濱田庄司の作品は素晴らしかった.
 分館の地下には日本の現代美術,現在美術があり,東京都現代美術館とイイトコ勝負だ.素晴らしいねえ.
 大原の美観地区には古い建物が保存されていて,ここを散策するのは気分転換になるはずだったが,美術館での精神疲労は激しく,明日に差し支えると思い,さっさと岡山に向かった.岡山全日空ホテルが準備されていて,シックな落ち着きある部屋だった.

11.10.30ローセキ2.jpg今でも…ローセキは 30日(日)午前中「今でも…ローセキは魔法の杖」の1.3楽章.50代がらみのおじさん約15名相手に指揮をすることになっていて,したことのない指揮に,大変なストレスを感じていたのだが,始めて見れば,棒の技術不足も何のその.メッセージを伝え出したら,音がどんどん変わってきてとても気分よかった.この曲はうっかりすると,甘い旋律に引かれて,濃厚な味付けになってしまう.それは避けたいね.

11.10.30ばら1.jpgばら 午後は中高生相手に,プーシキンの詩による混声合唱曲「ばら」.
中高生に分かり易い言葉を選びながらの指導である.
簡単な曲だし,注文つけること全くなかったら,あっという間に終わってしまうな…,と,こちらの方が心配だった.

 今回一番伝えたかったことは,言葉の表情,音の表情.言葉が音が出てから表現するのではなく,前の言葉の段階で準備して欲しいということ.悲しそうな単語は,悲しそうな表情を準備してから,明るい表現は,明るい準備があって発音して欲しいこと.車のウインカーと同じだよ.前もって指示出せ.
 実は悲しみの表現は,悲しみをぐっとこらえて,明るく表現すると,さらに悲しみが増すことがある.また悲しすぎると,コミカルに見えることもあるので,その時々の表現が求められる.定型なんてものはないと思った方がよろしいです.
 気付いたのだけど,僕は大きなフレーズを時間かけて押して行く,マーラータイプではないな.小さなブロックを積み上げて行くタイプだ.バッハの作り方にどこか似ているな.表情付けの細かい指示出しているうちに,そう思った.

 ツイッターを退会してしまった.僕には合わないメディアだね.毎日変わった生活している訳じゃない.演奏家ではないから,頻繁に演奏会のお知らせをすることもない.こまごました生活を,生で伝える趣味はない.はっきり言えば,僕に取ってはツイッターの大部分はジャンクメッセージだ.いずれまた,何か意義を見いだしたら参加しよう.

11.10.19 ピアニスト完了/アンサンブルフィルムジカ終了

 先週土曜日15日に行った,ヴァイオリニスト池田敏美さんとのサロンコンサートが終わった.定員60名の所73名のお客様とのことで,感謝感謝しております.
 ホントによくさらった.8,9月は3時間目標,9月下旬からは4時間目標にさらった.おかげでピアノの鍵盤が指,手,腕,上半身,体全体と一体化してきた気がした.ピアノに限らず,どの楽器もppで,ゆったり音を出すのはホントに難しい.和音は時としてバラバラになり,思う響きから遠ざかる.よほどトレーニング積み,指がしっかりしないと弾けない.練習の成果あってか,ppも含めて現状では,最高の音質を維持出来たと思う.
 最難関だった自作エチュードの3曲も,無事通過出来た.休憩前に弾いた即興演奏も集中出来たと思う.後半最後の即興伴奏もヴァイオリンとのデリケートなバランス保ちながら,終えられた.

昨日は11/24日の日・ロのリハ(Vn+ P)を行った.27年前の作品である.随分幻想的で,「こんな曲書いていたんだな」が感想である.和音の連続で幻想的だが,どこか狂気を秘めている.今は線的,構築的になっている.狂気はもしかしたら消失してるかもしれないなと思う.

フィルムジカ.jpg終演後の全員写真 10/10日は神戸往復した.20年前のマンドリンアンサンブル作品の改訂初演だった.初演版ではアマチュアの為ながら,あの手この手で少しでも前進と,もがいてた様子が手に取るように分かった.見え隠れする鋭角的で困難さを伴うものを,マイルドに平易に直し,その分,父性感覚が増えたと思う.鋭角的なものを好む一部聴衆に取っては,不満があるかもしれないが,ボクは直してよかったと思ってる.

 今はマンドリンとキーボードによる<線の自画像>の修正を仕上げつつある.直すと言っても少々の変更ではない.初演版では二人の奏者がずれてもいいように記譜していたのだが,改訂版ではきちんと定量譜になっている.音はほとんど総入れ替えである.改訂どころか,殆ど別な作品に変身している.それでもタイトルは旧のままなのは,コンセプトに変更がないからだ.旧版は破棄したいから,第2番もなかろうと,そのまんまである.

11.08.17 お久しぶり,雑感

 2ヶ月以上更新してなかった.あちこちから苦情が来た.ヘルシンキから戻ってこの2ヶ月,手帳を見ながら思い出している.ピアノを良くさらった.3時間さらっている日が結構ある.学生時代みたいだ.
 旧作品の修正を1曲行った.マンドリンアンサンブル,1992年の作品.再演が決まり修正を終えた.20年近く前の作品,どこか頑な所がある.齢積んだ分,修正して視界が広くなった.
 ツイッターを始めて見たのだが,中座しかけている.公開される人間関係.危ないもんだな.つぶやくことなんて殆どない.今日はどこに行った,ここに行った,殆ど毎日似たようなものだ.つぶやく意味が無い.
写真が掲載されることが分かった.これで行こう.これなら止めなくて良さそうだ.

 昨日は横浜トリエンナーレに行った.ポップアート全盛.
トリエンナーレ2.jpg
←未来予測の一つ.不気味だ.
 …子供の頃新聞の子供向け科学欄=未来予測=に目を輝かせた.空中都市が造られ.原子の火で明るく彩られ…ところがこの地震で原子力発電の危険性が証明されてしまった.現代の未来予測には夢は殆どないな.何もかも行き詰まりに見える.
美術展の未来予測作品も不気味に満ちている.


トリエンナーレ3.jpg
←浮遊する宇宙? 美しい,でも幸せじゃないな.
 この他ヴィデオアートが多数ある.この鑑賞法が分からない.映像が動く.ならばテレビや映画と同じ?とんでもない全く異なる世界が広がっている.そのことは見ればすぐ分かる.でも何を夢見ているんだろう.誰か教えて下さい.


 BSでバイロイト中継をやっていた.ローエングリン.留守録して,早回しでざっと見た.ネズミは出てくるワ,愛のベッドは病院みたいで,臍の緒を振りちぎる胎児まで登場する.世界は変わりつつある.
 他方日本,室内歌劇場が苦しさのあまりか,二重帳簿作って文化庁から多額の助成金を不正に受け取ったことがばれてしまった.詐欺で告訴も検討中だとかで,なんと貧しい文化国家なんだろう.
 残った歴史的文化遺産は極めて豊かだ.しかしモノとして存在しかねる音楽文化には冷たい.

11.06.11 ヘルシンキにて

 憂鬱だった旅直前も,乗ってしまえばヘルシンキは成田の隣.空港からの移動バスに手間取り,バス降りてからホテルまで3分で手間取り,パソコン無線LANで繋ぐのに手間取り,借りて来たドコモ携帯海外使用がロックかかり,で初日は終わった.今日までにリハは2回参加した.野津さんがうまくまとめていて,今日の本番もうまく行くだろう.
 昨日も30度となり,予測外だ.帽子も,日焼けクリームも持ってこなかった.あまり外をうろうろ歩く気力になれない.夜11時近くまで明るく,朝は4時には明るく…夜の悪魔は今は行方知らずというところか.

それでもヘルシンキの有名な,3教会は行った.
テンペリアウキオ教会.jpg1)テンペリアウキオ教会;岩をくり貫いて作った何とも魅力的プロテスタント教会
大聖堂.JPG2)大聖堂;ルター派の総本山,外から見ると議事堂みたいだけど,中は装飾無し.何せルター派.シベリウスの葬儀はここで行われた.



ウスペンスキー寺院2.jpg
3)ウスペンスキ寺院;ロシア正教の教会.北欧最大.
ウスペンスキー寺院.jpg

 ヘルシンキの街並は,これといって魅力に富んでいるわけではない.
この国の魅力,北欧の魅力はなんといって湖,広大な自然.ヘルシンキで望むわけにはいかないだろう.とはいっても今回は,拙作初演のための旅行なんだから.旅満喫はお預けだ.
 ホテルの朝食は特に工夫はない.要するに目で楽しむようには出来ていない.
指揮者野津さんに案内してもらって,トナカイ料理は一端を味わった.元々ステーキはやらない主義なので,オードブルのようなもの.塩分がきついな.
中華料理店はいくつもあり,察する所,タイ風中華.もちろんインディカ米.

11.06.05 ヘルシンキ旅行直前 憂鬱

 8日に出て15日に戻る.フィンランドのヘルシンキ行きで,最近人気沸騰のフィンランド音楽院,ここの日本人卒業生を中心に組織してる「シバトモ」という室内管弦楽団があり,指揮者の野津如弘さんの呼びかけに応じて作った”フリーズV"の世界初演がある.
いつものことだが,出かける前浮き浮きなんてしたことない.鬱に支配されている.

冷蔵庫1 のコピー.JPG 冷蔵庫の中,空にしなけりゃね.写真は今日のである.いつもこんな案配で大量保存なんかしてない.中に何があるかさっと見て分かる状態.
野菜がまだまだある…出かけるまでヴェジタリアン.こういうのをお見せすると,気の毒だと思うご父兄がおられて,いろいろ中身充実のためにご努力される.実はそれは困ったことになるので,ご遠慮頂きたいのである.モットーは買いだめしないこと.近隣スーパーはあるし野菜買うために出かけるナチュラルハウスは,自転車で10分だ.

 帰国したら,直前までしてたこと全て忘れてる.ホントに忘れてるんだ.だから仕事片付けておかねば…で,ストレスの塊状態となる.
 持ち出す電気関係はチェック済んだ.マック,iPod,デジカメなど,全部240ボルトで動くし,充電出来ることが分かった.マルチプラグ変換器だけ買い変圧器は買わなかった.
その他持って行くもの…服装etc. 肝心の楽譜.これは手荷物にしよう.万が一行預け荷物方不明になったら,取り戻すのに時間がかかる.

この時計は一目惚れして買った.2カ国表示,ちょっと重たいけど.時計.JPG

11.05.27 毎日毎日ずっと夏休み…

 退職,毎日夏休みを開始し2ヶ月が過ぎた.人生がこんなに豊かだったのかとしみじみ感じている.もっと早く辞めるべきだった.
 何をしたらいいのか判らない…退職者の言葉としてよく聞く.新聞もテレビも,こんないい事ありますよ,と特集を組む.きっとこういう人沢山いるんだろうな.
 <過去作品の徹底的な修正>を理由として,今の生活を選択したわけだが,この2ヶ月少しずつ直している.ある作品は結局「駄目作品」と結論し,破り捨てる事にした.
 ハイピッチで直すつもりが時間取られ,このままじゃあ全作品の直しは間に合わない.急がないとね.
 ”霞み料理研究家”が僕の肩書きだ,なんて言い切ったが,料理の腕は少しずつ進歩している.外食はあまりしないから,出費は控えめになって来た.
ここ暫くは様子見生活して,情けないくらいの年金との綱引きかな,と思う.その年金も実は来年から.少々の蓄えからの取り崩し.
 退職金は入った.丁度1年分の給与所得くらいだ.税金どさっと引かれるかと思ったら,基礎控除が2,200万とあった.もちろん課税されない.
私学共済の積み立て年金に組み込んだので,滞在1ヶ月だった.
 健康保険は,文芸美術国民健康保険組合に加入した.収入に関係なく保険料が決まり年198,300円.勤め先で延長も出来たが,10万円ほど高かったのでこちらへ.

朝食.JPG   朝の定番 朝食:玄米に,納豆,卵,大和芋おろしを丼にする.おみおつけ(御御御付)の具は,サツマイモ少々,しめじ,その日の野菜大量,今日はツルムラサキとモロヘイヤ.
出汁は,煮干しの粉をお茶パックに入れて10分は煮込む.
他に,ヨーグルト,ドライプルーン3ツ,無臭にんにくむらさき漬け3粒.

こうした食材の殆どはナチュラルハウスで手に入れてる.
煮干しの粉が切れて,近くのスーパーで買ったら,塩辛い,裏見ると食塩が入っている.もったいないけどすぐ処分.
食品の裏を見ると材料一覧が載っている.殆どが調味料(アミノ酸等)が使われている.要するに化学調味料のこと.
これを取らないようにしようとすると,殆どナチュラルハウスで買うしか方法が無い.

焼きそば.JPG   焼きそば  …と書いてアップして,スーパー特売のメカジキを買いに行った.メカジキの甘酢あん掛けも美味しい.大量に作って冷凍室へ.順番にゆっくり消費.そうこうしているうちにお昼だ.
今日のお昼は焼きそば.デザートは蒸しリンゴ,シナモンふって,これまた美味.追加でアップ

11.03.17 震災=元気です

 3月11日は忘れられない日となった.学校に用がありその前にもう一つ用事を片付けてと,小田急線新宿地下改札を出た所で,船酔い第1波,しばらくして第2波.サッサと電車諦めて,池袋に向かって歩き出した.携帯は通じなくなりメールは送れなくなる.空いている公衆電話を探した.こういう時の用心のためにテレフォンカードは今だって持っている.(後で考えたらカードは電源止まったら使えない.コインは使える)

 池袋まで1時間.以前予行演習と思い,芸術劇場から新宿まで歩いた事があった.明治通りの1本道,ガラスが落ちたビルがあった.遠くから「ヤアー」って声がした.何と声楽家の鹿野さん,池袋から新宿まで歩くんだって,しばし歓談.早稲田を越えると下りになる.神田川を越えるのだ.その後は急な登りになる.
 大学の民族音楽研究所でいくつかの用をこなし,帰りは甲田研究員の車で送って来てもらった.2時間かかった.
 家に被害は本の類いがパラパラ程度,テーブルに乗ってるものの位置がずれている.食器は落下していなかった.非常時持ち出しリュックの点検をした.
それから数日,平静心平静心と思いつつTVに釘付けだ.
デマが飛んで来た,即撃退した.

 今日の段階で死者不明者1万数千人,原発は一進一退.おまけには冬に逆戻り,寒い.
 昨晩外出,夜空は澄んで美しかったが,なんだか急に死のイメージに取り憑かれた.もう見ることができないかもしれない,なんて思ったら,いたたまれなくなった.原発最悪の事態になっても,もう64歳まで来たんだからいいや.すぐ明日死ぬわけじゃない....なんて過剰反応だネ.
 物流が止まったのか,買いだめに走ったのかスーパーにもコンビニにも昨日までは保存食,乳製品,パン類,トイレットペーパーの紙類が無い.今日になってパン類は並んでいる.野菜類は昨日も今日もいつも通り豊富だ.
 あちらこちらのイベントが中止となっている.自分の関係する日本作曲家協議会の「キッズコンサート」21日が中止と決まった.民族音楽研究所主宰のコンサートも中止.今年最後だから出席しようと思っていた卒業謝恩会中止.

 昨日から電話電気事情が復旧しつつあって,仙台や栗原市の知人のご無事確認出来た.
 気仙沼,宮古,山田線,陸前高田,仙台,どの地名も行った事ある所ばかりだ.
何も言えない....

11.02.01 2011雪見の旅

2月1日,7時半新宿から,東武日光行き特急日光1号に乗った.最終授業が前日終わり,この日は誕生日でもあって,気分転換も兼ねて雪見に旅に出かけようというわけだ.
手前の下今市で鬼怒川線に乗り換え,その後野岩鉄道,会津鉄道経由で会津若松への旅.
このコースのは初めてではなく,また会津若松は何度も訪れている.
会津1.jpgAIZUマウントエクスプレス号鬼怒川温泉でAIZUマウントエクスプレス号に乗り換えればそのまま若松まで行ける.
車窓はしばらくして期待通りの雪雪雪....会津2.jpg
ボーッとふけっていたら,「この電車,除雪が間に合わず,本日は会津田島で運転打ち切ります」「代行バス準備しますのでお待ち下さい」田島で下ろされてしまった.
聞けば帰り予定している磐越西線も,止まっているという.ホーム反対側には浅草行きの上りが待っていて,どうしようか躊躇したが,そのまま若松に行く事にした.
日光街道の国道121,118沿いに会津鉄道が走っているのだから,時間かかっても辿り着く.地図を見てたら国道は鶴ヶ城にぶつかり,左折して西若松に行く事がわかった.そこで交渉して鶴ヶ城の所で下ろしてもらった.得した気分だ.
殆ど人のいない雪の鶴ヶ城のガイド氏に押してもらったのが,この雪だるま写真.会津4.jpg
若松から磐越西線に乗り,猪苗代湖のブリザードを楽しみにしていたのだが,郡山までバスで移動し,新幹線で戻った.
のんびり冬景色は無理だった.新幹線で戻ったのも相応しくなかった.脳を活性化させるのんびり旅行は鈍行に限る.
会津3.jpg野口英世は猪苗代出身,会津若松で青春時代(16歳〜19歳)を過ごした.

11.01.04 退職届のその後

 10月22日に出してその後大学は芸術祭となり,その間に一気に学内に広まるかと思いきや,全く広まらなかった.ビックリして飛んで来たのは作曲の高名2教授である.
「何が起こったんだ?」「喰って行けるのか?」...「お二人の10分の一程度の作品しかないから,せめて9分の一程度にはしておきたい」と分け判らん説明で,廊下での対談は終わった.
 教務の担当職員は「上から指示があるまで沈黙してます」.

 12月に入っての教授会で,進退報告がされたそうだ.なんせ教授しか参加しない教授会なのだ.そこで聞いたであろう某教授から「作曲で辞めるのはお前の勝手だ.学校にとっては居てくれないと困る」と苦言呈された.ホントに困るなら,大学トップあたりから説得工作がありそうなものだが,そのようなことは一度もなく,あっさり承認されたのだから,「困る」なんてことは何一つないというのが事実だろう.

 大体どの組織も,1人ぐらい構成員がいなくなったからといって,身動きが取れなくなることなどあり得ない.もしそのようなことが起こったら,その組織は,組織としての危機管理能力に欠け,組織の呈をなしていないということだ.「自分がいなくなったらどうなるのだろう」と思うのは本人だけという,これはよくある話である.

 辞めるための準備として,教材の変更=後任につなぐため=を始めとして長いこと掛けて来た.自分への戒めと携帯アドレスには2011を入れ,作曲活動の略歴から大学勤務をはずした.名刺に刷り込んでおくと話は必ずそこに辿り着き,脱出しようと思っているのに,スポークスマン的な公式発言をせまられる.そこでもちろん名刺からも著作物からも外した.退職届なんて,何年も前に原案作り校正を重ねた.「一身上の都合により...」が普通の文書のようであるが,こんなのは嫌だ,本音をしっかりそして端的に,これ読んだ人は止めようが無いだろうと,思える文章にしたかった.加えて昨年は可能な限り作品の演奏場所,舞台を探した.そうやって退職後のシミレーションを重ねて来た.

 大学に置いていた,書籍や資料などの殆どはもう回収して,必要とする人にプレゼントした. 残りはささやかな授業資料だけとなり,授業資料はしばらく保存,醒めたら処分しよう.新しい人生を始めるに当たって,不要なものからの脱出を計らなけりゃね.

 ニクソン語録の一つを書いておきたい.僕が頼りにしている言葉の一つだ.

「過去を忘れよ,失われたものよりも,やり残したことを思え」

10.10.29 退職届け提出

 10月22日付けで勤務先の大学に,今年度末をもって退職するとの退職届を提出した.この大学の定年は70才だから6年手前の64才で定年後の人生を漕ぎ出そうというわけである.元気なうちにギアチェンジが早期退職の趣旨だ.

 ようやくここ数年納得した曲が書ける様になって来た.遅咲きである.作品書きに集中したい,過去の全作品の徹底した筆入れを行いたいとの欲求は色濃く,そのための時間との戦いが始まっており,授業どころではなくなって来た.
 大学では作曲レッスンの他に,一般学科の教育=受け持ったのは和声学1〜4年,3年ピアノ科必修のキーボードハーモニーであるが,これらを天職と思って教育に携わって来た.この気持ちには小学校の音楽教諭だった父親の血が色濃く反映されている.親父の子だと思う.心残りは無いのかとの問あれば「もちろん心残りはある」.天職と思っていたのだから70才定年を迎えても,辞める時は同様に「心残りはある」に決まっている.

 数年前からギアチェンジの時期を探って来た.正月を越えて64才になる.殆どの大学は定年65才だから1年手前の退職に過ぎなくて本来話題にもならないはずだが,70才定年の当大学では異常行動と映るらしい.
 定年で辞めるというのは受動的退職だ.ホントはもっといたいのに...と殆ど人が思うらしい.この大学では客員教授としてその後も残る先生がおられる.そのような制度になっている.
 定年前に辞表を出すというのは積極的行為である.次の人生に対してのチャレンジ精神があってこその能動的ギアチェンジだ.その後の人生がどれほど積極性に満ちたものになるか,積極性を持ったものでありたいか.

もちろん経済的裏打ちが無くては早期退職には踏み込めない.
....カスミ喰って生きて行けばなんとかやっていけるという見通しがたったから....
4月からは「霞み料理研究家」の肩書きで行こう.

陰影礼讃....国立新美術館
愛知トリエンナーレ2010...愛知県美術館,名古屋市美術館
田中一村....新たなる全貌(千葉市美術館)

10.09.21 更新がおぼつかなくなって来た.夏の暑さのせいだ.

以下は6月30日からの記録
7月3日:日本・ロシア音楽家協会主催のプーシキン歌曲の演奏会を終えた.ロシアの詩人プーシキンのテキストでロシアでは沢山の歌曲が作られている.そのうち8つの作品をが取り上げ,その詩の金子幸彦さんによる日本語訳に作曲家が日本歌曲として新たに曲をつける,という企画だった.ふたを開けてみると,調性音楽〜無調まで,様々なアプローチがあって興味深かった.僕の筧聰子さんメゾソプラノに僕のピアノは順調に寄り添った.歌の伴奏をしていると学生時代の熱い気持ちを思い出す.よっぽど歌伴が好きなんだなと思う.
その後協会設立25周年記念パーティーもあり,いつまでも浸っているわけにはいかなかった.(カワイ表参道パウゼ)

 7月23日:2000年に書いた<バウンディング>打楽器アンサンブルのために...が東京音大の学生たちにより演奏された.ここの打楽器科の学生は近年特にうまくなっている.
僕の曲がどうのこうのじゃなくて,コンサートの作り方が際立っている.(東京音大Jスタディオ)

 7月27日:新作歌曲の会<那珂太郎の詩による三つの歌曲>第2集
バリトン:鎌田直純 ピアノ:遠藤雅夫
音の数を減らして沈潜するように書いた作品.東京文化会館ホールのスタンウェイがとても弾きやすかった.以前は巨像と闘っている様な気分だったが,自分の音がきちんと聞けた.学生みたいにさらったものね.
 プーシキンにしろ那珂さんにしろ,さらう時間+リハーサルの時間.曲だけ書いてよろしくではないので膨大な時間が取られるのだ.プーシキンは筧さんの名古屋にとんぼ返りしたし,鎌田さんとは何回もリハを続けた.

 8月21に札幌に行った.生徒の1人が拙作を含めたリサイタルと開くという事で出かけた.直接札幌入りするのはつまらないと思い,列車で青函トンネルをくぐり,函館で少々遊び,大沼公園で1泊した.とにかく暑い.北海道も暑い.次の日札幌に入ったがうだる様な暑さだ.コンサートは実にうまく行った.こうして生徒が育って行くのを見るのは楽しいものである.2泊目は小樽.ガラスの町,明治の古い建物が残っている町.

 8月29日唱久コンサートのリハーサル.全曲自分の作品だけのコンサートである.
本番は9月12日.第一生命ホール.指揮者の岡本俊久さんが僕の曲だけ企画を立て,ご自分が関係されている合唱団を集め,曲を割り振り,最後に合同ステージがあって,このピアノは僕が担当なのだ.29日のリハの時岡本さんが「さあ皆さんピアノに慣れましょう」...なんせ途中で即興したくなるから,弾くたびに違うのだ.リハはそれでも少々,当日のゲネプロも少々,本番になって沢山のお客さんを前にした途端ファイトが沸き,思う存分の即興となった,130名位の合唱団となると,ピアノが何を弾いてもコーラスを消すことは無いから安心して好き勝手に弾ける.

 この夏,山のように美術館に行こうと思ったけど暑さで行けなかった.その代わりでもないがプールでの水中歩行は8月は10回も行った.
 9月8日に体を壊した.夜中にトイレが近くなり,明け方4時頃にはひどい吐き気があり,朝9時にお医者に行って点滴となった.このまま意識を失ったらどうしよう,通報するものがいないから誰も気が付かないし,このマンションはセキュリティー万全で,簡単には侵入出来ない.な〜んて思ったが,回復してみれば意気軒昂.
 9月9日に後輩の作曲家鈴木行一君の通夜.6日に56才で逝去された.虚血性心不全.僕の母親と同じ死因だ.午前11時に電話で打ち合わせしていて,11時半に心肺停止となっていたそうだ.心臓を鍛えなけりゃ.やっぱり水中歩行を続けよう.
 その前の8月21日,千歳空港でパソコンから転送させている携帯メールにN氏の覚醒剤逮捕が飛び込んで来た.将来を嘱望されているのになんてこった.大学職を追われ仕事を失い,自作上演も取り消され,どうするつもりなのか.理事を務めている日本作曲家協議会では理事職停止を決めた.その後の理事会で処分問題が出たが,僕は除名反対の立場だ.覚醒剤は今や病気の範疇だ.3年やってたというから,抜け出すのに辛い思いをする事になるだろう.リベンジのきく社会であって欲しいから,除名抹殺ではなく,社会復帰の一助になれば良いと思う.除名なんぞしてしまったら再入会はあり得ない.結局その前に退会届が出され,理事職停止の承認に続いて,退会届を受理した.息子を愛し期待した94歳になる父親の事を思え!!!

 10月〜11月に4つのコンサートがある.前もってリハを希望しているから,演奏家の居住地,神戸,広島,新潟をそれぞれとんぼ返りして本番に備える.このスケジュール,体を持たせないとね. 

10.06.30 バッハの和声

バッハの平均率とフーガの和声分析を始めると思いもよらぬ困難にぶつかる.
フーガはいつも動き回っていて,基本位置なのか転回位置なのか,5の和音なのか7の和音なのか,といった基本的な判別がつかなくなるのだ.ソナチネではキチンと収まっている小節線に沿った和声変化が,バッハでは意に介さなかったりする.

 ハタと気が付いた事なのだが,和声の決まり=我々が習った和声学とはモーツアルトが基準となるシステムなのだ.和声の縛りはきつく,和声の流れに従って旋律も臨時に変化していったりする.時代が進むに連れてシステムが拡大し崩壊に向かっていくが,崩壊は崩壊として認知することが出来る.またこのシステムの少々外側にあるジャズ系の特異性などはオプションとして我々の頭に収まっていてなんら困った事はおこらない.
この基準をモーツアルト以前に当てはめる事がどだい無理なのだ.

 ようやくたどり着いた結論はこうだ.
バッハには様々なタイプの音楽があり,後のモーツアルトタイプ和声遣いが適用可能なものもあるが,フーガの様な線的音楽では....
1)和声の縛りが緩やかであること.
2)模倣優先の旋律システムであること.
3)従ってモーツアルト流の和声感覚で鍛えられた分析では無理が生ずること.おまけに通常利用している記号,島岡記号はモーツアルト以前にはフィットしにくい所があること.

 ではどうすればいいのか.島岡記号の代わりに使うとすれば,TSD記号による大まかな仕分けだ.又は和声要約に該当するコードネームの使用だ.英語式だとポップス系で軽く見えるからドイツ式の=Akkordと呼ばれている記号の使用だ.
これは一案であって未だ実行しているわけではない.暇ができたらトライしてみよう.

 前のコメントで体調不良を書いたけど,今は回復してます.何故足の痛みが消えたのか分らずじまい.気温のせいかな.また冬が巡って来たら同じブツブツを言い続けるのかな.
老後の楽しみ=山野を駆け巡る...は,もうとっくに諦めた.でも尾瀬を歩きたい....もっと身近で高尾の裏街道を歩きたい...これすら辛いかもしれない.トレッキンググッズは準備しているのに.

10.05.30 ようやく一息!!

前回3月8日から3ヶ月近く,更新している暇がなかった.
手帳を見ると3月27日(土)に神戸に出かけてマンドリンアンサンブル新作初演を終えている.

翌3月28日(日)は母の法事である.もう1年経ったのか,と思えるほどこの1年多忙であった.....というより1年が我が人生の63分の1になったという事だ.6歳の時は6分の1...まあ短くもなるだろう.
 法事...お墓にお坊様お呼びして10分か15分お祈りあげて頂く,皆さんご存知ですよね,要するにジュゲムジュゲムの15分だ.意味が分からないから有り難いと思う人も多くいるだろうけれど,僕はそうは思わなかった.僕の日常の精神生活とは何のゆかりもない密教のお坊様が,サンスクリット語を読み上げているのだ.何故現代語に翻訳しないのか,今まで翻訳してこなかったのかと思ってたら,ある本にこう書かれていた.
「日本に入って来た時は漢語で書かれ,漢文は返し文で読めるので翻訳の発想がなかった」でも現代は違うでしょう.キリスト教会がラテン語で説教しているはずがない.それぞれの言語に訳している.これは現代では当たり前で,その事で教えがゆがめられるはずもないのだ.だったら仏教だって同じではないか.現代日本語に翻訳する労苦をサボった姿が今日のお寺の姿だ.
この本によると日本のお寺は3タイプに分けられるそうだ.
 1)葬儀など行わない観光寺...これが一番有名ですね.金閣寺や清水寺が葬儀を行っているなんて聞かないよね.
 2)数少ないが日常活動している寺
 3)葬式寺...普通はここでお世話になる.ご先祖の現住地である.日頃関わらないから住職さんの人となりはさっぱり分らず,要するに交流がないから関わりもなくお寺から見れば「経営難」に陥り後継者不在が多くなっているらしい.
サボり抜いたジュゲムジュゲムで送られても僕は嬉しくないから,いずれ趣旨替えするつもりだ.もちろんクリスチャンへ.

4月10日(土)は東京でマンドリンアンサンブル作品の初演.
 大学は始まりいつもの「忍の一字生活」が始まった.

4月26日(月)は突如高熱が出て勤めを休んだ.それからしばらくして今度は体中にひどい発疹が出て来た.いずれも近くの主治医に駆け込み3日も経てば回復している.

5月に入り,進まないまま困り当てていた歌曲の作曲を訥々と進めた.これは7月27日開催の「新作歌曲の会」の作品だ.
 ようやく作品を終え声楽家に発送し終えたら,今度は右足が強烈に痛み出した.5歳時に手術した右足(甲の外側)が今頃になって後遺症で痛むのだ.ここ数年季節の痛みなのだが,今回のは強烈だった.数年来慶應病院の整形外科に行ったり,その他いくつかのお医者さん巡りして来たが,うまく説明出来ない事に加えて,一般的な痛み対応措置で終わってがっかりしている.足裏用ホカロンを貼って,靴下二重にしてしのいだら持ち直して来た.暇になったら日大の「痛み科」に行ってみよう.以前ここで同じ右足の別の痛みを直した事があった.

今週は関係団体の前運営委員長が独断で提出した某助成団体への助成申請問題.これが採択されてしまって,この事に対し辞退する文書を提出する仕事が待っている.気が重たい.

毎日「いかに効率良くこの人生から撤退するか」ばかり考えている.
体がもう撤退の準備に入っているのだ.痛み,突如の発疹や高熱.人は過労だろうというけれど,もちろん作業量が増えている事もあるけど,撤退への変化だと判断している.

細川家の至宝...国立博物館
フランク・ブラグィン...国立西洋美術館

10.03.08 コンサート多忙

 この2ヶ月べらぼうに忙しかった.毎月コンサートがあって,ということはリハーサルがあって,要するに神経をすり減らして本番となるわけである.うまく行かない場合,1)自分の書き方に問題があってうまく行かない.2)演奏家の方で解釈や練習に問題があってうまく行かない.3)その両方...などとっさに判断して対応策を考えるのだが.ホント言うと1)2)3)のどちらかがよくわからないのだ.演奏家を選べない場合だってあって,以前感性のそりが全く合わないことがあった.絶望感に襲われ世の中をののしる.顔は笑って心で泣いてその日を終える.
 1月28日<アイトプス>尺八とピアノのための...尺八:野村峰山,ピアノ:中川俊郎
 2月14日<ゼピュロスII>チェロアンサンブルのための...指揮:安良岡章夫,チェロ:桐朋学園チェロアンサンブル.
 3月6日<精神の沐浴I>尺八と二十絃筝のための...尺八:福田輝久,二十絃筝:吉村七重
今日までにここまで終わった.
天国行っている気分だった.特に二つ目のチェロアンサンブルは圧巻であった.指揮担当の安良岡さんの的確な指導がまずあり,その上に純正化させたい26カ所の音程の微調整を徹底的に浸透させた.
 二つ目を終えたら,関係する団体日本・ロシア音楽家協会の運営委員長が退会する事態が発生し,その役が僕に回って来た.僕はそんなガラじゃないと思うのだが,緊急事態で引き受けることとなってしまった. 日本現代音楽協会で5年間務めた広報部長を降りてホッとしてたら,今度は日本作曲家協議会主催のアジア音楽祭担当委員の一人に組み込まれた. 学者みたいな静寂な生活を夢見て来たのに,現実はそのようにはならない.酒付き合いが出来ないのにどうしたもんだろうか.
 先日三つ目のコンサートを終えた.もちろんうまく行った.考えられる最高のメンバーの演奏である.幸せである.お二人の演奏家に感謝感謝.
 次の日神戸に出かけた.3月27日神戸で,そして4月10日東京で初演のマンドリンアンサンブル作品のリハーサルである.早めに行って練習の方向性を指示した方が良さそうだと判断した.案の定やってみなけりゃ分らないバランス上の問題点が浮かび上がり,スコアの修正が山のように発生した.
 この間に歌曲を1つ作った.7月3日カワイパウゼで開催される,日ロ音楽家協会主催のプーシキン企画である.

 ドイツに留学しているある学生にドイツでの和声分析の記号やら非和声音名称やらを教えて欲しいと依頼していたら,綿密な書類が送られて来た.有り難う有り難う.
 まず和声記号が日本国内と違いすぎる.実はこの問題は非常に難しく,多分ドイツ,フランス,イタリア,イギリス,アメリカ,何処も異なっているのではないかと推察している.世界で統一された書法が確立されていれば良いのだが,それぞれの国情に合わせた記号を開発採用している.日本だって同じで,日本の現状では島岡記号が,「古典様式の範囲内」という条件付きで一番あっているような気がする.
 元々和声感覚が耳に入っている(と思える)ドイツの教育方法を日本で実行するとどうなるか.単旋律<ヘテロフォニー>に還元されるはずだと,ある高名な方が言っておられた.ヨーロッパ音楽はヘテロフォニーじゃない.日本ではしっかり教育しないと根付かないという考えだ.僕もそう思う.
 そのことを真剣に考え,それまでドイツ系,フランス系などバラバラに展開されて来た東京芸大の一般学生対象の和声授業を,効率よく教育するための統一教材として作られたのが「芸大和声」教材であり,ここで使われている記号を我々は編み出した先生に敬意を表して「島岡記号」と呼んでいる.もう50年近くも前の話だ.今や我が国ではこの記号この教材が標準化している.僕はこの教材が世に出る前に和声の勉強を終えた.従って別な記号で学んだ.

頑張って無理しても行った感性刺激展覧会.
・長谷川等伯展...国立博物館
・ルノアール伝統と革新...国立新美術館
・早川良雄”顔”と”形状”...東京国立近代美術館
・ウイリアム・ケントリッジ展... 東京国立近代美術館
・レベッカ・ホルン展...東京都現代美術館
・絹谷幸二退任記念展...芸大美術館
・国宝土偶展...国立博物館

10.01.05 雪見の旅

 新春1月2日雪を見たくなり出かけた.元旦の予報で長野は雪とあったので長野新幹線に飛び乗った.軽井沢でようやく雪景色となった.浅間山のてっぺんは白く輝いている.所が軽井沢を過ぎるともう雪は無い.おまけにトンネルばかり.北に向かう新幹線は雪害を防ぐためだろうトンネル新幹線だ.のんびり雪景色の情緒は無いことを忘れていた.長野には確かに雪があった.でもドンドンとけて東京と同じ泥雪.折角来たんだからと善光寺に行ったら人人人...これも思案が足りなかった.初詣だものね混むのは当たりまえ.信心深くないからさっさと諦めて篠ノ井線松本経由の鈍行で戻ることにした.
 松本行きに乗ってしばらく経つと希望通りの雪景色がやって来た.単線区間だからすれ違い駅では10分停車.乗客は外に出て写真撮影.松本で特急に乗り換えようか一瞬迷ったが鈍行高尾行きに乗り換える.
 しばらくすると雪景色は終わった.まだまだ無理なんだね.各駅にきちんと止まりやがて茅野だったか,「特急列車を待ちま〜す」という10分停車のあと乗客が乗り込んで来た.
 僕は座席4人のコンバートを一人で座っていた.そこに親子3人連れがやって来た.僕はiPodでボーッとしていた.何気なく眼をやった前の座席の人の良さそうなおじさんの仕草にハッとした.記憶にある光景!!! 白い杖を持ち髪は白く体重は増えたのか随分大柄になっていた.隣に座った奥さんの横顔をチラチラと見たが確信を持てなかった.駅三つ過ごして「失礼ですが...」と声をかけた.なんと國越健司・内藤純子ご夫妻+お嬢さんだった.芸大の1級後輩.國越君は昔バイトのレストランピアノ弾きを一緒に組んでいた仲間の一人だ.内藤さんは芸高の1つ下だ.國越君の神戸の実家帰りだと言う.何たる偶然,まさかこんな所で同席となるとは...
 近況報告と思い出話.定年と年金話.純子さんは日大芸術学部に勤めていて.同じ大学の昨年ガンで亡くなった神野明君の話.「僕風邪一つ引きません,と言ってたわよ...」僕の初期のピアノ作品初演者は神野君だった.
 中央線に正確に各駅に停まり高尾に着いたのが6時20分.途中特急に4回追い越されてその度ごとに約10分の停車.各駅に通過線を整備すればもっと普通列車はスムーズに運行出来るのに.

09.12.29 今年も終わりだ..実家売却へ 

マンドリンアンサンブルのための作品が完成した.
タイトルはいろいろ悩んで<二つの眼差し>とした.何やらメシアンを想起するが全然関係ありません.同じ地点から出発して同じ地点に戻る二つのコース.出来たら何コースもあったらいいけど,という作りで二楽章構成であるが,出だしと終わり方は両方とも同じ.全然違う方向に打ち出された双子のようなもの...当初考案のタイトルは<双子座の妖精> しかし作品内容とイメージがだぶらないので諦めた.
 ピックで打ち鳴らすマンドリンという楽器の特性で,トレモロによるレガートと,単音による打ち鳴らしが歴然としていて,,中間のイメージが存在しない.そこでトレモロは点の集合体と考えて,集団化した点と,孤独な点の存在に視点を向けた.

 <ゼピュロス I>がドイツの出版社からの出版が決まった.手書き原稿でだ.出版には校正がつきもので,当然校正ミスがつきまとう.この神経に耐えられなくてついつい消極的になる.手稿だってミスはあるけど,演奏しては修正しているから完全原稿に近いだろう.嬉しい話だ.

 母が亡くなり,空っぽになった実家の売却が迫って来た.僕はこういう作業に向かないから,下の者が担当している.懐かしい気持ちもあるけど,辛い思い出の固まりだった実家だ.多少未練もあるがこうした気持ちを吹っ切るには売却に限る.
 実家は東京の墨田区菊川,ほとんど深川寄りで今なら都営地下鉄の森下駅から7〜8分という所.それ以前はJR(当時は国鉄=親は省線と言ってた)両国駅まで15分歩いた.だから実家はというと「両国」と答えていた.今でも「両国」と答える.

 小中学生の頃当時平屋だったが屋根に登り,毎年両国の川開き=花火大会を眺めていた.お昼の12時,ドーンと紫色の煙たなびく花火が打ち上げられ,日暮れの本番まで続き気分をもり立てる.この日はもう落ち着かない.用もなく町中をうろうろした.
 会場は隅田川の上流から下流までとかなり長く,屋根の上からはパノラマ展開だ. 仕掛けも見えた.要するにビルなんて無かった時代だ.昭和36年(1961)に交通事情の悪化で中止となった.最後の年両国橋の一つ下流の新大橋まで出かけた.すごい人ごみの中でサンダルを無くし,裸足で自宅に戻った記憶がある.14才,まだ中学生だった.
 こうした華やぐ下町の記憶に,孤独だった少年時代がダブる.家では夜毎繰り返される,激しい夫婦喧嘩.耐えられなくて部屋に引きこもった.ホントに孤独だった.ピアノに向かって即興演奏をし続けた.ピアノが語りかける唯一の相手だった.
 20代半ばで家を出たが,それ以来ほとんど戻っていない.用があっても親のいない時間帯に,盗人のように扉を開けた.母親の介護もどきで頻繁に戻るようになったのは,ここ2年ぐらいだった.それほど家には寄り付きたくなかった. 故郷を捨てたというよりも追われた気分で,市川市真間→市川市平田→世田谷区代田→中野区松が丘→渋谷区広尾→渋谷区上原,これが現在までの引っ越し案内だ.
 年明けて1月7日には取り壊し作業に入るそうだ.やはり写真くらい残しておくべきか,薄れゆく記憶の中に畳み込んだままにしておくべきか.


読書:
孤独であるためのレッスン...諸富祥彦(NHKブックス)
日本語教の進め...鈴木孝夫(新潮新書)
悩む力...姜尚中(集英社新書)
ネオリベ現代生活批判序説...白石嘉治・大野英士編(新評論)
プレーンソング... 保坂和志(中公文庫)
途方に暮れて,人生論...保坂和志(草思社)

09.11.11 ようやくコンサートは一段落した

 10月23日はサントリーホールローズホールで<時の庭>ー尺八・ヴァイオリン・コントラバスによる,3つの尺八本曲を取りまく響きの交わりーの再々・・演があった.尺八/田嶋直士,ヴァイオリン/河村典子,コントラバス/白土文雄の3氏による.これは2000年にスイスで初演されたものであるが,その後あちこちで演奏されている.今回も東京のあと29日に大阪で2回公演があり,大阪に出かけた.何回も再演されるとその都度それぞれ異なる表情を見る事が出来る.
 打ち上げでこのメンバーのために書いた作品集で個展をやらないかという話が持ち上がった.<時の庭>,尺八+ ヴァイオリン「フリギアの樹」, ヴァイオリンソロ「プレゴーン」,尺八+二十絃「精神の沐浴I」を尺八+十三絃に書き直した「精神の沐浴II」を田嶋さんと奥様に託してあるのでこれを加え,ヴァイオリン+コントラバス+尺八+十三絃の全員参加で新作を一つ書いて,これで個展というアイディアだ.是非実現したいが気が重くなる.
 知人宅に泊まり翌日奈良・浄瑠璃寺へ出かけた.仏像の歴史に必ず登場するお寺である.国立博物館の正倉院特別展にも出かけたが,人人人・・・ メインの琵琶以外は全く見えず早々退散した.
 11月3日は<ゼピュロス I>の再演である.初演の反省を元に直しを入れた.骨組みが明快になり,ブレスも楽になった事が聞き取れた.これで良かったと思う.
 この作品を元にしてチェロアンサンブル用に翻案したのが来年現音チェロアンサンブルで初演される<ゼピュロス II>である.編作を越えての翻案.乞うご期待.
 それからようやく11月11日東京オペラシティ・リサイタルホールでの現音アンデパンダンである.フルートとピアノのための作品,タイトル<風の門>.初演は今年の3月末に鎌倉で行われ,その後大阪,北九州で再演されている.今回は演奏メンバーが変更となり,フルート/千葉純子さん,ピアノ/中川俊郎さん,動的な大変素晴しい演奏となった.今展開しつつある「フリーズ」書法の諸相の試しが基本にあってそれに加えてタングラム,尺八の影響を受けたと思えるエオリアントーン,同じ尺八のムラ息にイメージが重なる「breathy」などを始めとする現代奏法がちりばめられている.20世紀サウンドから「未だ見ぬ世界へ」模索の一環である.
 「世界を見る,見るために書く」.これは僕がずっと維持して来た姿勢である. 「見て来た結果を書く」のではなく「見るために書く」「見たくて書く」,<風の門>も同じである.

読書:ローマ人の物語/文庫版35,36,37最後の努力...塩野七生
単行本から2年経って文庫本が出る.出版社の戦略なんだろうな.文庫版で読み始めたから最後まで2年遅れのローマ人の物語.
大して進まなかった.やっぱりスローリーディング

09.10.22 <ゼピュロスI>の修正も終わり...

09.10.19リコーダー1.jpg  リハーサル風景09.10.19リコーダー2.jpg    本番終了
 10月19日(月)<ゼピュロスI>リコーダーアンサンブルのために の世界初演が終わった.全くタイプの異なる5作品が並んだ.企画を練った当事者としては変化に富むという事は面白さに繋がるはずなので,まずまず「やって良かったコンサート」の一つと自負する次第である.後半は声楽部会のプログラムで,行きたくても行く時間の取れない生活の中で,歌が聴けた事は大変良かったと思う.声楽家の出演者の方達も控え室モ二ターテレビの音を面白がって耳にしていたそうだ.
 終わってホットしている間もなく,手入れを行った.原譜スコアのミス修正, 補強した方が良い所,意図をクリアに出すための裏作戦etc.
 ドイツの出版社が興味を持っていて,<譜面送れ>の指示が吉澤さんから出ているのだが,気に入らない所をそのまま出すわけにはいかない.スコア修正を終えて,パート不修正に入ったら,アルト2番の最終ページがなくなっていた.ショック! さんざん考えた末3週間前にコピーを取り直した事を思い出し,最後のページを置いたまま戻ったのではないかとファミマに行ったら,事務室に保管されていた.4つに畳まれていたのは仕方ないけど,見つかって良かった!
 11月3日に横浜で再演する時,訂正版を演奏してもらって,良ければこれで完成.出版出来たらいいな.どんなに知恵使っても,やってみないと分からない所が自分の作品には多々ある.再演が何よりお助けである.
 プーシキン企画のテキスト調整もなんとかなりつつある.

09.10.12 岡山で<プレゴーン>独奏ヴァイオリンのための〜の日本初演が終わった


09.10プレゴーン相川2.jpg   魅惑的な会場
09.10プレゴーン相川1.jpg   相川麻里子さん
10月10日,岡山で<プレゴーン>独奏ヴァイオリンのための〜の日本初演が終わった.ヴァイオリニスト相川麻里子さんを東京から連れて行った.素晴しい演奏でした.
 僕の作品はこのところ特に音程に注文がうるさく,この作品では純正律で2音を合わせる所を,山のように作って延ばすようにしているのだが,その全てがはまっていた.気づいたらビブラートは殆ど排除され,1カ所2カ所のみだった気がする.フラジオレットの伸びも含め,その音の美しい事.実は尺八の特徴をふんだんに書き込んでいたのだが,鮮やかに処理されていた.会場は水を打ったように静まり返っていた.
 相川さんは15才の頃から知ってはいたのだが,ここまで成長しているとは知らなかった.経歴に日本音コン3位,パリコンセルバトアール満場一致の1位卒とあったが,今後大いに活躍を期待したいものだ.
 企画は「中国・四国の作曲家」2009in 岡山 〜共生への架け橋〜
合計15作品が演奏された.それら作品の質,また演奏の質ともに高い水準だった.とかく東京一極集中型/中央集権型文化から,それぞれのエリアの独自の発信が始まっている.

 この作品は元々河村典子氏の委嘱だった.同氏は9月20日にチューリッヒで世界初演を行った.日程の都合が付かず,現地へは行けなかったのだが,メールをもらっていた.「遠藤さんの作品は特に,精密さと、緊張感と、覚悟とが必要だ」「 お客さんの反応は,面白いほど<素晴らしかった!>と<難解だった>の両極端に分かれました.遠藤さんの,ほとんど熱狂的ファン,いますよチューリッヒに.』

 感激に浸る暇もなく,<ゼピュロスII>チェロアンサンブル作品のパート譜作りを再開した.今週中には送り出せるであろう.「何故写譜屋に頼まないの...?」...パート譜書きながら,スコアの修正を入れ,完成させて行くのだから,自分でやるしかない.もう既にスコアが真っ赤になっている..アア!!! こちら本番は来年の2月.

 <ゼピュロスI>リコーダーアンサンブルの方はリハ初日,殆ど初見合わせの日に立ち会った.素晴しい仕上がりが期待出来そうな予感がした.

 10月19日<ゼピュロスI>の世界初演.すみだトリフォニーホール小ホール  
 10月23日<時の庭>の再々・・演.東京サントリーホール ブルーローズ
 10月29日<時の庭>の再々・・演.大阪ドーンセンターホール

と今月は気が抜けない.大阪にも行く事にした.

この1ヶ月半,読書も余り進まず,展覧会も行きそびれた.まあ仕方ないか.
「光」松本陽子/野口里佳展...国立新美術館
ガリア戦記(新訳)...ユリアス・カエサル
四十日と四十夜のメルヘン...青木惇悟
クレーターのほとりで...青木惇悟
私の舞踊生活...石井漠
小説修行... 保坂和志

09.08.28 リコーダー作品完成

この夏仕事した.リコーダーアンサンブル作品(タイトル <ゼピュロス I>)はパート譜作りも終わった.
同じ作品を8人のチェロ用に直したのも完成した( タイトル <ゼピュロス II>)

以下は暇見て(というよりも脳を刺激するために)出かけた展覧会/展示会
・野村仁「変化する相」...国立新美術館
・ルネ・ラリック展...国立新美術館
・ゴーギャン展...近代美術館
・ル・コルビュジェと国立西洋美術館...国立西洋美術館
・小穴純とレンズの世界...東大駒場博物館
・奇想の王国 だまし絵展...Bunkamuraザ・ミュージアム
・インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン...国立科学博物館
・トリノ・エジプト展...東京都美術館(上野)
・江戸の幟旗(のぼりばた) 庶民の願い・絵師の技...松濤美術館
・「古伊万里 小皿・向付展 —愛しき掌(たなごころ)の世界—」...戸栗美術館

 出かけた....白馬八方日帰り.新宿から直通の京王バスが出ている.ゴンドラ/リフトを三つ乗り継いで八方池山荘までたどり着く.その先の八方池までは時間切れで行けなかった.時々気分転換旅に出る.
 観た...シネマ歌舞伎「牡丹燈籠」歌舞伎上演をハイビジョンで撮ったもの. 玉三郎の普通のおばさん役が冴え渡っている. 素晴しい映像.舞台見るよりもこっちの方が表情リアルで面白い.

09.07.18 気が付いたら2ヶ月が過ぎ...

 ブログ風に...を気づいたら2ヶ月更新していなかった.この所新作(リコーダーアンサンブル)が進まず,ずっと鬱気分で過ごしていた.書けないのはいつもの事だ.昔松村禎三氏が会えば「書けない書けない」ってこぼしていたから,曲が進まないのはゴクゴク普通の話なんだけれど,こういうとき小説家はどうしているのか知りたくて読書に励んだ.自分を叱咤激励するための読書だから,書評なんて書かない.自分の感性に引っかるワンフレーズが見つかれば「読んで良かった本」の仲間入りである.

 平野啓一郎「本の読み方 スロー・リーディングの実践」PHP新書.元々読書のスピードは速い方ではない.スピードを上げたくて「速読」実践本を昔読みあさったが身に付かなかった.この本は全く逆の立場からのおすすめである.目から鱗の内容である.

 池袋東口には西武デパートに大きな本屋,明治通りを隔ててジュンク堂書店がある.ジュンク堂は在庫の点で群を抜いている.ここの3階の新書/文庫コーナーで見つけたのが西林克彦「わかったつもり 読解力のつかない本当の原因」光文社新書.深読みしないと理解出来ない事が沢山ある,という内容なのだが,当然速読とは反対の立場にある.

 高橋源一郎「一億三千万人のための小説教室」岩波新書.レッスン1から8まであるのだが,その4のタイトルは「小説をつかまえるために,暗闇の中で目を開き,沈黙の中で耳をすます」....作曲と同じだねェ,嬉しくなった.最後に「小説家になるためのブックガイド」があって読むべき本がどっさり載っている.

 保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」中公文庫.これはすばらしい本だ.第一章「小説を書くということ」は40ページに満たないが「曲を書くということ」に置き換えれば,自分に言い聞かせている事が全部書かれている.何冊も買って生徒達にプレゼントした.

 柴田元幸/高橋源一郎「小説の読み方,書き方,訳し方」河出書房新社.ここには『柴田さんが選んだ「海外小説」30冊』『高橋さんが選んだ「海外小説」30冊+&』『高橋さんが選んだ「ニッポンの小説」30冊』『柴田さんが選んだ「海外に紹介したい現代日本の小説」30冊』という表があって,この殆どを僕は読んでいない事が分かった.

 保坂和志「小説の自由」新潮社.これは読みかけ中である. 保坂和志の文章は魅力的である.実は迂闊にも今まで名前すら知らなかった.もう一冊買った橋本治「橋本治という考え方」を読み終えたら,保坂和志の小説を読破したいな.

 要するに,小説家の書いた「小説を書く方法」では,「マニュアルなんてものは無い」「小説家でない人の書いた 小説を書く方法は,何の役にも立たない」この2点につきるのだが,内心ホッとした.見えた世界を転写するのではなく,暗闇の中での手探りだ.小説家はそう言っている.

 ...こうして鬱状態から脱却出来たかというとやっぱり駄目で...ふと思い立ちメガネ屋に寄った.乱視が進んでいる.矯正メガネからの世界は明るく美しく,気分は爽快...原因はこれだったのか.3つ使っているメガネの2つがレンズ交換とあいなった.やれやれ劣化対策費がまた一つ増えた.

09.05.18 日本現代音楽協会・広報部長退任

4月22日の日本現代音楽協会理事会で,広報部長の退任が決まった.5年にわたり担当して来たがもう自分は役割終えたと思う.
まず第一に文化庁からの助成金が大幅に削除され,今までの広報部がメインに活動して来た紙メディアによる広報が大幅縮小になった事だ.リキ入れ,じっくり時間かけて作り上げてきたニューコンポーザー誌は今年度発刊予定の10号をもって休刊.今後の事は分からない.コンサートプログラムも現在の小冊子は無理だろう.当日配布のペラ1枚程度になるに違いない.
これからの広報展開は外回り営業活動のようなものにならざるを得ないのだ.これは僕には無理であって,他の人に任せた方が懸命である.営業活動は若い人たちの仕事だ.
 個人的には拙作の修理改作に入ってみると膨大な時間が必要な事が分かる.これに加えて新作も書き進んで行きたい.この時間の確保のためには社会活動を縮小せざるを得ないのだ.
社会活動と,創造活動.どちらも大切な事だが優先順位があるのだ.
両方適当にうまくやれるほど器用ではない.

09.04.25 その後....

 このところ介護中の人,介護を終えた人たちと話をする機会が増えている.アルツの介護10年に及んだ仲間がいた.要するに同世代はまっただ中なのだが,頑固・ゴミの山....皆同じことを言っている. いつぞや脳梗塞で倒れた叔母のひどい生活空間を観察し呆然としたが,我が実家も同じだ.年寄りの特性なのか,これは怖いぞと思う.人ごとじゃない,自分だってそうなるに違いない.頑固は仕方ないとして,ゴミの山は避けたいと思う.
 そこで不要品の処分を開始した.まず不要になった資料.昔某大学でソルフェージュの非常勤講師をしていた事があって,その時集めた資料は徹底的に処分したのだが,まだ残っている.自分を磨こうと読みあさった本も,新鮮味を失って劣化したものが増えてきている.衣料などは元々「3年着なかったものは処分」でやってきたから不要なものはあまり無い.殆ど着けないネクタイが少々邪魔だ.
 思い出の品々は思い出が薄くなった所で処分を実行して来たから邪魔なものは殆どない.
LPレコードをどうしよう.ターンテーブルはとっくに片付けている.音響オタクではないからCD対LP音質論争に興味は無い.しかし解説書が分量も多く面白いのだ.これは取っておきたいな.自分の作品のLPは最も頭を痛める.少々あったLDはもう再生機の販売を中止しているので,さっさとDVDに移し替えた.
 問題は拙作品だ.昔の作品を見ていると情けなくなる.生徒に「こんな馬鹿な書き方するな」と怒鳴っているそのままが目の前に展開されている.現在の自分は少しはましになったという事なんだろう.捨てようと思ったがちょっとはキラリあるからやっぱり捨てられなくて「馬子にも衣装」だとばかり,まず合唱作品をと直し始め1曲終わり.器楽作品2曲も直した.
 習作は放置しようと思っているが,どこまでが習作なのか分からない.日々前進,言葉変えれば変化を求め生きて来たので,範囲をぐ〜んと広く取ると,近作までは習作となってしまう.そんな馬鹿な!!!
昨年,リミックスとタイトルして,旧作の素材をそのまま使い今の感性と方向性で新しい曲を書き,両方並べてみようと思い立った事がある.まだその作業はしてはいないが,問題はその旧作に腹が立つのだ.

09.03.04 即興演奏

昨日,口琴奏者直川礼緒さんとお手合わせを行った.
今月27-28日東京音楽大学民族音楽研究所,ここは僕が事実上の責任者なのだが,ここ主催で「第1回国際口琴フェスティバルin 東京」が開催となった.そこで1曲どうかという事になって,3分から5分位ならなんとかなりそうだと思い引き受けてしまった.
 研究所にあるDVDを借り受け研究を始めた.簡単に言えば殆どリズムで勝負だ.旋律らしき事も出来るが,期待したら後悔する.そういう楽器じゃない.
 所が口琴奏者直川さんと打ち合わせしたら,とてつもなく深い世界が広がっている事が判った.ベートーベンの先生である作曲家に協奏曲まであった. 基音の異なるいくつもの楽器をハーモニカの様に組み合わせているのだ. 短期決戦で書き上げようと思ったがとても無理という事が判ってピアノとの即興演奏を行う事に決めた.
 こうした場合ピアノは不利な立場に置かれる.ピアノの優位性=音量,音域,和音が弾ける=これらはオーケストラと対抗できる立場にあり,圧倒的に優位になる.新しいタイプのピアノのために...とも思ったのだろう「皇帝」とタイトルしたベートーベンの気持ちは100%理解できる.
 所が...口琴の特徴=息がそのまま反映される,吸う音吐く音で音色が変わる.基音ピッチ他に,口の中を共鳴体として利用するが,その容積により音程が変わる.
これらの多様性はピアノでは表現できない.口琴の音量の不利益はマイクロフォン→スピーカー増幅でカバーできる.
 当初ピアノの弦の上に文庫本置いてプレピアードして口琴の音色との統一性を図ろうと目論んだが,即興を始めてみると僕の気持ちが縮んでいく.そこで通常の状態に戻した.こちらの方がはるかに面白い.そもそも即興は気持ちが萎えたり,窮屈になったら良い結果は出ないのだ.
 即興演奏は子供の頃からの楽しみだった.いくつか録音が残されているが20代の頃の僕のピアノの腕前は1級品だった気がする.惚れ惚れする音色感とスピード感に満ちあふれている.現在,20代の華やかさはどこかに行ってしまったが表現力の奥深さ・多様性は今の方が遥に上だ.まだまだ行ける...
 これをお読みの皆さまにお願い! 機会を作っていただければ何処にでも弾きに行きますよ.チャンス下さい!!!
 という訳で是非3月28日5時に,東京音楽大学J館スタジオにお越し下さい.
詳細はHP「演奏会」コーナーで.

09.01.30 Legトラブル

 右足のトラブルに悩まされている.足首くるぶしの異常発達変形が進んでいるようだ.
...もう面倒だから話してしまうが...2才ぐらいの頃小児麻痺にかかった.歩かない子供を心配して診察を受け判明したそうだ.
小学校に上がる前に長期入院して手術した...未だ2カ所の古い傷が残っている.
成長するに従って右足は不自然に発達して行った.子供の時の夢を今でも覚えている...「まっすぐに転ばず歩くこと」言い換えればいつも転び真っすぐ歩めなかったということだ.左右長さが異なれば当然短い方にカーブを描く.
 ペダルは右では踏めなかった.中学3年受験副科ピアノを弾き終えた試験会場で当時の主任・永井進先生から「どうして右で踏まないの」と質問され,うまく答えられなかった.その日から右足でのペダリング特訓を始めた.
足首のスナップが使えず指が動かないのだ.90度より狭い角度に曲げられない.くるぶしは異常に発達変形し,足そのものの長さは25ミリ短く,足のサイズは45ミリ短い.全体が外側に45度以上反っている.当時もこうだった.ペダルは従ってスナップ利用ではなくヒザの力で行っている.特訓の成果上がったのか健常者よりうまくなった.
 医学が進歩し18才大学1年の夏休み,変形が進んだ部所の整形及び腱の移植手術を受けた.3ヶ月の入院生活だった.ギブスを外したら惨めな足首先は少しはスマートになっていた.退院後しばらくしてスナップが少し動くようになった.それでもウインタースポーツは出来ない.

 靴で苦労した.短靴は脱げてしまうからいつも深い靴を探した.これはおしゃれ靴に多いので,人から「遠藤さん靴もおしゃれですね」と言われた.
日ごろは右は爪先立って=正確には指の付け根で歩き,左右の高さを無意識に調整している.だから人は気がつかない.疲れると体のバランスを崩す.「大丈夫ですか?」「どうされたんですか?」言葉が飛んでくる.面倒だから誤魔化す.興味持ってもらわなくていい.
 そこでこの差を無くす=右靴底を25ミリ高くした靴を履けばいいのだと,これは誰でも思いつくのだが,2年ほど前10万円もかけて特注の靴を作った.所がこれが失敗だった.
高さが同じになればしっかり歩行できるはずという専門家と僕の推論はその通りにならなかった.いつも右だけ25ミリの階段を上がっている感じなのだ.その結果腰に変調が来た.常に爪先立って歩いているから,かかとを始めとして足裏全体が体重を支えるようにトレーニングされていない.柔肌のままなのだ.ピタッと合ったインソールのお陰で足肌に痛みが走った.
 太さが同じでない.足を逆円錐形として左右の容積の違いを計算してもらい高さの差も考慮すると,約30%の差と出た.片足10kgとのことだから約3キロとなる.そこで標準体重から3キロ減じて僕の体重とすべしと判断した.
 歩けなくなるのが怖いのだ.普通の人にとっては何でもないこの歩くということが,僕にとってはどんなに素晴らしいことか.数年前には整形外科の医師から「10数年後は車椅子だ」とおどされた.歩ける能力を維持したい.能力低下不安で車の免許は取らないままだ.太るのが怖い.足に負荷がかかる.

 手術から40余年たち,くるぶしはゆっくり成長し大きくなっている気がする.靴探しの苦労が始まっている.3ヶ月入院する気は無いからこのまま付き合って行くしかない.
時々痛んでも,歩ける確かさと車の有り難さと...優先順位はどちらが上なのだろう.
 5ミリの段差で転ぶことがある.「スッテ〜ン〜」と全身が右へ横転する.回数が増えてきている.
....ここに車が突っ込み頭を砕かれて死ぬ夢を見る.

09.01.05 デリケートな話題

2003年の夏に自分のお墓を購入した.富士霊園:東名御殿場ICから車で25分位のところにある.
 僕はつくづく親不孝者だと思うのだが,親の墓に入る気がせず自分のとなった.
墓石に「遠藤雅夫ここに眠る」と赤字で入れてもらったら急に元気が出てきた.人の死亡率は100%ではあるが,なるべく自分自身のそのことを避けて生きている.
.....生の停止のその後を決めたら,以後は「その後」までのスケジュール問題となり,まごまごしておれんという気持ちになった.ここ数年来僕の作風は変わって来ているが,この「まごまごしておれん」という気持ちが後押ししているように思う.

 僕の父は変わり者で,静岡県富士宮市の出生であるが,その地にある一族の墓の権利は弟に譲り東青梅にある「大多摩霊園」に墓所を定めた.ここまでは普通だ.変わっていると思えるのは生前戒名を自ら考案し墓誌に記入した事だ.まだ健在ではあるが母の戒名も考案し赤字で彫られている.普通は本人が決めるもんじゃない.
 先祖伝来の墓所,富士宮の本光寺に行くと,遠藤・遠藤・遠藤・と遠藤一族の日蓮宗のお寺である.1996年に父が亡くなった.所が葬儀担当者が生前戒名を見て「これは宗派が判らん」「仏教史の最初なら問題なかろう」と,般若ハーラミタの密教で葬儀は行われた.シンバルがジャンジャンと鳴るあの宗派だ.滅多に見ないその光景の珍しさに僕の耳は父の葬儀どころでは無くなった.
 御先祖がいたはずの本光寺であるが,こちらの継承者=僕のイトコもその次の継承者が不在となり,墓地を整理処分し別の寺にまとめられた.
今全国の墓地でこのような事態が進行している.もはや伝統的な継承=家の継承は不可能となりつつある.否応無しに新しい墓所のスタイルが出来上がってくるだろう.

僕の未来の住所もいずれ無縁墓所となる.僕はそれでいいやと思っている.
未来住所....富士霊園11区5号2117番 引っ越ししたら遊びに来てね.桜が美しいよ.

お墓.jpg

08.11.22 パソコントラブル発生!!!

 マックのOSを10.3から10.5に上げた.しばらくは快適だったのだが不安定になり起動しなくなった.プリンターのドライバーが未対応だったことが分かり,外付けに10.4を入れておいたのだが,これは起動する.つまり本体のハードディスクを認識しなくなったのだ.
 真っ青になったのはメールだ.殆どの連絡はメール経由にしている.今やこれ無しで生きては行けない.外付けから立ち上げたプラウザが生きていて,web経由で読めるのだが,パスワードの控えが無かった.幸いにも携帯に転送させていたので,その場は凌ぐことが出来たが,携帯から長文打ち込みは全く苦手である.
 もう一つ外付けを買って,こちらに10.5を入れて本体を覗き込む裏技思いついた.なんと500ギガ,随分安くなったものだ.所がこれにOSがインストール出来ない.
あの手この手で頑張ったら,急に本体の認識されるようになった.迷ったけど10.5をそのまま上書きした.
 ようやく落ち着いたと思ったら,ホームページソフトが立ち上がらなくなったことに気が付いた.思いつくこと全〜部やってみたけどダメ.会社が開くまで待って電話を入れ指示を仰ぐ. 何度も電話を入れた. ソフトのコピー防止があの手この手あって,一つ一つ乗り越えながら正常化した.再起動の繰り返しで随分時間を使った.
 ソフトは演奏会の前に入手していたのだが,異常事態を想定し,一息ついてから入れようと思ったのがその通りとなった.
それから2・3日経った.今度はパワーボタン押し,くるくるマークが動き出した途端,プツンといってスイッチが落ちてしまった.これも大奮闘,何度かの絶望の後にようやく動き出した.今朝も突如落ちる.合間を縫ってのアップだ.ヒョッとしてハードに問題が生じているのかもしれない.まだ4年の経過というのに.
 全く無駄な10日間だった.しかし知識は入った.もうパソコン手放すことは出来ないから,こうしてトラブルとも,仲よくなって行くしかないな.それにしてもパソコンが止まった時の孤立感は,一体何だろう.人生がリセットされた気分だ.何だか病気と似ているな.
 やっぱり作品だけは鉛筆手書きで行こう.これがリセットされたら....本当に絶望の縁に立たされる.

....要するにバックアップにもう1台買って,データを共有しておけば良いのだ.片方が倒れたら,もう片方で作業する.

08.10.31 戦い済んで日が暮れて...

いくつもの励ましのお言葉を有り難うございました.とても嬉しく貴重なお力と勇気を頂きました.
 新たな発見があった.フリーズさせて冷たい空間を演出しようという意図だったが,大ホール及び大編成の場合残響が程よく残り,冷たさが不思議なやさしさに,音響が調和融合へと化学変化している.突如停止の多様性について今後の展開をどうするか考えていこうと思っていたのだが,このような側面もあるのだ.
 このことに今後の可能性を見いだした.
ようやく疲れも取れた.

08.10.28 朝10時 冷静になった/今日本番

 昨日全リハ終了した.細部にわたる要求が機能的に生き生き動き出した.初日の狼狽ぶりはウソみたいな心境だ.スコアに17個所ある純正化を求める細かい音程の微調節要求も,完成に向かいつつある.
 僕の音楽の特徴...自分での把握は難しいので他人の意見をまとめると...知的,クール,おしゃれ,透明感が高い,セクシー,豊かな情感,大体こんな所に集約される.ドロドロした表現とは遠い世界にあるようだ.昔,そのドロドロ格の筆頭みたいな松村禎三さんに「君の考えはガラス細工みたいで...」要するにダメだということなのだが,こういう表現をいただいた.でも僕は「松村禎三」ではないから自分の見たい道を思ってきた.
 ランボーという詩人がいる.若い頃取り憑かれた.この中に「見者」という言葉があって,実はこれもマツテイさんから教わった言葉だけど,「世界を見るのだ」という決意に溢れた表現だ.ずっとこの言葉を「こっそり座右の銘」にしてきた.
 還暦を越えてから,自分が宇宙と繋がっている感覚を持つに到った.宇宙を通じて,全人類と交歓している感覚だ.常につきまとわれている「ドロドロ世間」からの脱出感覚だ.何やら村上春樹の世界みたいだけれど.

08.10.27 リハ−サル=生きた心地しなかった初日

 23日にリハーサルの第1回目があり,昨日第2回目があった.23日は死にたくなった.つわり,陣痛,船酔いが一挙にやって来た.良く考えて見れば,初見で作曲者の意図が100%表現出来るわけないのだ.そんなこと頭でわかっていても,現実に目の前で展開されている「轟音」には,気が狂いそうになる.意図が演奏に反映されることは,永久にないのではないかという恐怖感で身がすくむ.そもそも意図が何だったのか=間違っていたのではないかとの自己批判が,頭をよぎる.演奏会中止だ! チケットの回収だ!と落ち込んだ....(これは常に常にいつものパターン=今日だから言える)
 家に戻って,指揮者小松さんの泰然自若ぶりを思い出し少し落ち着いた.何とかするつもりだし出来ると判断しているんだ.
 昨日第2回目があって,急に僕の意図に近づき出した.中二日の間に自然に熟成されてきたみたいだ.懸案だった金管族の弱音器は(何種類もタイプが有り記譜出来ないのだ)金管代表のトランペットの方との相談も,リハーサルの前にうまくいった.
 先生..と言って何人かが目の前に現れた.「なんだ座ってたんだね...」かつての教え子達.ホッとする.初日譜面チェックの目と耳だけがフル稼働していて,楽員のことまで目がいかない.
 棒が振られ意図に近い流れが動き出した.あれだけ綿密にしたはずの譜面チェックも漏れが有り,いくつか質問が飛んできた.質問されるということは,耳が生きている証拠だから逆にほっとする.23日にも指摘されたが臨時記号を落としたのが2個所.桁を間違えた音群が1個所.
 ここの所内省的になりつつある自分の音楽が,少しずつ見えてきた.今日3回目のリハで,明日ゲネプロ本番.

08.09.02 推敲終わり...

 推敲終えたスコアは,とっくに東京交響楽団事務所に発送した.もちろんパート譜も完了,製本も終了している.9月28日提出だからも少し推敲してからにしよう.
作業が一段落して,あとはチケット関係...黙っていたってお客さん来ないから,積極的に動かなければいけないのだが,虚脱症状といおうかどうも腰が定まらない.
次の作品と思っているがどこかウワの空だ.
 次はフルート+ピアノ.新しい事を求めるより,手持ちのコマで一挙に書いた方が今回良いと思っているがどうなるやら.
 懸案の作品目録のうち,打楽器作品,管弦楽作品を片付けた.最近のものは,データをパソコンに入れて管理出来ているが,古いものはそうはなっていない.何せパソコンが我が家に来てからまだ20年も経っていない.そうなると古いコンサートのプログラム探して入力となるのだが,これはまた大仕事なのだ.だからタイトルと少々のデータのみになる.
 作品目録を作っていると,迷いながら夢だけが大きかった頃の熱気を思い出す.今自分の作風は内声的なものへと変化していっているように思えるが,それで良かったのかどうか.
それでもよくぞここまで諦めずに書き続けてこれた,というのが実感だ.他の人生求めても良かったはずなのだが,結果として固守した道を淡々と歩んできてしまった.
余程ブキッチョ人間なんだね.

08.08.07 推敲もう一息

 パート譜作りのうち,打楽器とハープを除いたものを書き終えた.残りは完成度が未だ低いので,じっくり推敲する必要がある.
 同業者にパート譜を手書きしているというと怪訝な顔される.外注かパソコン自作かが常識みたいだ.
 作品計画を明快にしてから作曲始める事は無く,暗中模索の手掛かりから譜面を起こしにかかる.スケッチ完了→オーケストレーション→清書の手順は理想であるが,この形で完成させた事は一度も無い.バラバラのパーツが不完全な形でスケッチされ,出口の見えない暗闇の洞窟をさまよい歩く.そうこうしているうちにパーツが動き出し形を作り出す.ある程度書いたら,オーケストレーションも含めて取りあえず清書する.こうしないと先へ進めない.

 民家建築の場合,柱・屋根・床など順番に作り上げる.2階の柱の組立中に,1階の内装が始まっていると言う事は無い.高層ビルの場合,全部の骨組みを終えてから一斉に内装へ,何てしない.上へ上へと積み上げながら,一番上が剥き出しの骨組みでも,下の方は内装開始している.骨組み作りと完成に近い内装仕が同時進行している.僕の作曲もこんな具合だ.

 途中で方針転換がなされることは頻繁にある.閃いた思いつきが,書き終えた今迄の分にまで波及する事はしばしばある.一番辛いのはアーティキュレーションや,特別な記号の変更を思いついた時だ.統一性・一貫性を持たせるために前にさかのぼって修正する.これらは細かい作業で当然見落としが増える.疲れていた時の清書はかなり怪しい.でもここで反省していたら先へ行かない.

 そうやって仕上がったスコアだから,完成度が低いのは当然だ.このまま写譜屋へ何てありえない.精度の高い推敲が必要である.そこで最高の推敲方法は何かと考え,それはパート譜作成だと気が付いた.だから外注出来ない.
 7月21日から戦いが始まり昨日17日で残り僅かとなった.あと二日ほどでハープ,打楽器は終わるだろう.合計3週間弱.これで推敲完了.この日数なら損のない時間だろう.おまけに数十万円の外注パート譜作成費の倹約にもなる.あとはスコアの直し.表紙・タイトル・記号解説など雑務を加え1週間.

 これからはパート譜作成を「推敲中」と言い換える事にしよう.その通りだもの.同業者に怪訝な顔されなくて済む.

08.07.27 かつて...引っ越し魔だった...

 大学院3年の頃に家を出て自活始めた.最初は千葉県市川市の京成市川真間駅から歩いて2分ぐらいの所だ.市川真間は小4の時からピアノのレッスンに通っ,た場所で,僕のS先生の家は駅から10分位の所にあった.芸高に入り先生が代わり,そのままになってしまった.当時定期的に給料貰うようになって,それがちょうど家賃分くらいだった.アップライト1台と布団,少々の楽譜やスコアを持ち出し,夜逃げ気分で実家を後にした.炊事道具やら生活用具を一からそろえた.窓にカーテン掛けたのは半年以上経ってからだ.お金がなかった.
 市川は緑の多い所である.旧千葉街道沿いには松が植えられ,真間川は桜で彩られている.万葉集などに登場する「真間の手児奈」で一息し,そのすぐ先にある「真間山弘法寺(ぐほうじ)」というお寺には,何度も出かけた.歩いて15分くらいだった.もっと歩きたい時は国府台にある里見公園まで,足を伸ばし思索にふけった.このアパートには3年半いた.
 真間を出て,JR市川駅の南側の平田という歩いて15分くらいの所に移った.2階建て一軒屋を一人で占領した.元々は2級後輩の前田行央君が借りていた家だったが,結婚と就職で弘前に行く事になり,その後を借り受けた.新妻の実家からの申し渡しとかで,家財道具全部置いていった.前田君はその後離婚再婚を経て,実家のある奈良女子大の教授となったが今年の2月逝ってしまった.
 広い家で8畳の「開かずの間」があった.芸大の先生を始めていた松村禎三さんが泊まりに来たこともあった.家が売れるまでいう約束だったが3ヶ月で売れてしまい,引っ越し代から移転先の契約金に加えて,少々の保証金まで貰って出た.
 行くあても無いから地図を開いた.目をつぶって鉛筆を立てた先が,小田急線の梅ヶ丘だった.駅南数分の小さな一戸建てに3年くらいいた.梅ヶ丘駅の北側には羽根木公園が広がり,散歩趣味の僕には持ってこいだ.
 中野区松ケ丘に半年住んだ.移転通知を出したら「手帳に住所書き込む欄が無くなったから引っ越しやめてくれ」と,友人知人から言われた.
 約7年間で5度目の転居先は渋谷区の広尾である.地下鉄広尾駅から広がる商店街のはずれの所.住んで見てびっくりする事が沢山あった.広尾の知名度は全国区だ.所が物価は意外に安い.下町のよさと高級住宅地が混ざり合っている.駅の反対側には有栖川記念公園があり,その向こうには麻布の高級住宅地が広がっていて,夜の散歩はまるで外国にいる気分だ.六本木まで歩いても30分,サントリーホールでの演奏会のあと,感動した時は徒歩で自宅に戻った.
 商店街のオジサン達とも仲よくなった.洋品店カワイのオジサンは,僕の趣味や体形を知っていて,カラーシャツやらコーデュロイなどを「エンドウさんのために仕入れておきました」と準備してくれた.広尾を出たあとも買いに行ったが,その後店は閉まり,表札の下の名前が変わっていた.
 広尾で出会った事件といえば,何といってもオーム真理教だろう.サリンが撒かれた日,外出しようとしたら広尾駅は,シャッター下ろされ異様な光景だった.商店街のお嬢さんの中に事件に巻き込まれた人もいた.その前選挙に出た事があったけど,商店街入口でそろいの変なぬいぐるみ被り,「ショウコウ・ショウコウ〜」って宣伝カーの上でダンス合唱してた.村井幹部が刺され死んだのは,ウチから3分の広尾病院.この日商店街に刺殺団が入り込んでいる錯覚に捕らわれ,恵比寿の駅から自宅まで足が重かった.
ある日の朝ヘリコプターの騒音で空を見上げた.窓の外の西北の空のすぐ先を,見た事のない数のヘリコプターが旋回していた.オウム真理教の東京本部は広尾でウチから1キロの所で,この日は捜査が入った日だった.
 広尾には20年弱住んだ.この間迷う事が度々あり,立ち往生すると,市川真間を始めとして,今まで住んでいた所を一人歩き回った.「今までの人生間違ってなかったよな」って自分に言い聞かせ,内面の声に耳傾けながら彷徨した.
 今は小田急線代々木上原にいる.もうここから引っ越しする事はない.しっかりした防音室が手に入り,逃げ出す理由がなくなった.越してきた頃,駅4つ隣りの梅ヶ丘に探索に行った.かつて住んだ家はあったが,駅も町も変貌を遂げ,自分が完全に青春から脱出したことを感じた.「過去の住居をめぐるツアー」はもうしていない.

08.07.25 手書きパート譜マル秘技術

 長年蓄積してきたパート譜製作技術の大公開です.学生を終えて「さあてどうやって飯食おう」とか思案した事の一つが写譜屋である.これは仕事としては成立しなかった.徹夜出来る体力がなかったからだ.しかし先輩やら演奏家に怒鳴られながら技術は磨いてきた.元々譜面は綺麗に丁寧に書けた方だ.
 最初のオケは「毎コン」本選,大学3年の時.パート譜は全部NHKが作った.校正をどうぞと仕上がった譜面を渡された.スコアでは木管金管は1段に二つのパートを書く.今では1奏者に1段あてがうように書いているがこの当時は従来のスタイル.ピアノ的論理で臨時記号はその小節終わりまで有効と思っていた.パート譜になったら,上のパートに書かれていても,下のパートには効力発生しないのだ.写譜屋は正確に作曲家の書かれた譜面を写す.余分に記入なんてしない.これはカルチャーショックを受けた.
 その後何曲も書いて今日に到るのだが,思い出した順に失敗を書こう.一段下のパートを写し取ったミス.小節数を間違えたミス.もちろん臨時記号,音部記号ミスはごくごく当たりまえ.
 ルーマニアのオケで初演するに当たって,日本人指揮者から「こちらに上手いのがいる.価格はドイツマルク(当時はユーロではない)で1万5千円位」この話しは天にも昇る思いだった.日本で当時30万位だったかな,これが20分の1!!! リハーサルに臨んだら意図どうりの音量の変化が表現されない.「楽譜通り!!!」って何度怒鳴っても父親のようにやさしく語っても,大学の先生のように学術的に伝えても思いどうりにならない.日本に持ち帰って見直したら,スコアには綿密に記入してある松葉マークがパート譜でズサンに書かれている.彼らは楽譜どうり演奏したんだ.
 今回は1パートを最後まで書いて,それから次のパート..という方式は取っていない.今は木管金管を同時進行させている.練習番号の変わる所まで書いて,次のパート.これも同じ練習番号まで...書いたらまず小節数を数える.これはスコアコピーに記入してあるが対照する.ここで数が違っていたら飛ばしたわけだから即座に直す.
 この方法のいい点はミスがすぐに発見出来るという事だろう.最後まで書いて最初の方に飛ばしミスがあったら,泣きたくなる...泣いた事もある.同時進行させるのは短期記憶を生かせる利点がある.
 ホンの一部の公開で,そろそろ写譜開始時間だから今日はこれまで.これを読んでいるであろう若い読者はパソコン制作世代だから,殆ど役に立たないかな.
 少ないリハーサル時間は音楽的注文に費やしたい.譜面上のミスで時間をロスするのは誠にもったいない.

08.07.24 パート譜書き始め=推敲開始

 3日前からパート譜を書き始めた.外注すると数十万円になる製作費の節約もあるけれど,捻出出来ないわけでも無い.スコア推敲の方法としてパート譜を自分で書く事がベストだと判断したので,自分で起こす以外に方法が無いのだ.他の作曲家はどうしているんだろう.殆ど外注しているみたいだ.
 始めて見るとやはり音ミスがあちらこちらに見つかる.集中力欠いている時書いたページは移調楽器に要警戒警報であるが,案の定ミスが見つかった.
 一番の問題はアーティキュレーションの変更である.アーティキュレーションとは音の属性の一つである.高さ・長さ・強さ,これらは最低書かれないと奏者は対応出来ない.もちろん「ご自由にどうぞ」と奏者の即興性を期待する方法もある.
 それに加えてレガートの長さ・スタッカート・ハーフスタッカート・テヌート・強さの変化・何種類かのビブラートの指定・(未だ未だあるけれど省略)などなど,奏者の誤解を避けるために,その個所に一番相応しい(と思える)記号の配置する.これらは僕の作品の根幹に関わっているから綿密な要求が書き込まれる事となる.
 その時の思いで書いたアーティキュレーションも全体から見直すと変更を迫られる事がママある.「そこだけ変更」もあるけれど,作戦変更的な所があるから,あちらこちらのページを同時に直す事がある.途端に能率が低下する....今まさにこの状態である.今朝も朝5時から鉛筆握っているけれど昨日変更した所の再変更を思いついて消しゴムの使用量がぐんと増えている.
 「パソコンで作らないの?」と質問をよく受ける.これは僕向きでないのです.スコアだって手書き.パソコンがあと15年早く世に出ていたらそちらに乗り換えたと思うけど,ヤッパリ手書きでないと,書いたという実感や達成感が無いのだ.コピー取った譜面見ていても,手書きならその時の思いを思い出せる.それが作り上げる原動力になっている.パソコンはソフトを使い慣れていないからひどく能率が悪い.
 手書きスコア見直しで辛いのは,びっしり詰まったページに,「あと1小節追加したい」などの思いに駆られた時だ.パソコン作業なら楽なのに手書きだと10数ページに亘りスコアの書き直しを迫られる事がある.たった1小節のためにだよ.泣きたくなる.泣いても思いを遂げるか,思いを引っ込めるかの決定を迫られる.
 東京交響楽団へのスコア提出日が8月28日,本番2ヶ月前.パート譜提出は9月28日,本番1ヶ月前.しかし8月第3週にはパート譜が上がっていないと完成スコアが提出出来ない.推敲のためのパート譜作りなのだから.パート譜の推敲はこの後....
 今年の夏も余暇にならず,こうして終わるんだな.....

08.07.14 作品完成!!!

 ようやくオケ作品が複縦線まで達した.完成と言ってもまだまだハープや打楽器などに不完全な所が沢山ある.記譜上一貫性に欠けるところが散見される.記号解説や奏者・奏法に対する指示を作り,表紙を作り....作業は山のようにある.今週は書き込み週間だ.
 「フリーズ」というタイトル,これは「凍る」と言う意味だが,順調に流れていくかのような進行が突如停止させられる....と言った趣である.知人が「だるまさん転んだ...のあれだね」と言っていたが,妙に当を得ている.
 ルーチョ・フォンタナ(1899-1968)というイタリアの美術家をご存知だろうか.キャンバスをナイフで切り裂いた彼の作品は不気味な沈黙と頑固な意志の透徹さとを感ずる.東京で回顧展がずいぶん昔あり作品群に接し,いつかあの静寂さ純粋さをものにしてやろうと思っていた.これが衝撃の第一.
 2001年9月11日にアメリカ同時テロが発生した.この事件で世界が一瞬で変わる事を見る事となった.衝撃第二.
 前から考えているアイディアの一つ...一瞬で変わる場面転換...この事と二つの衝撃が僕の内面で混ざり合いようやくフリーズという作品に辿り着いた.
 2001年に書いた<連続・非連続>11弦楽器のためのという作品がある.未発表のままになってしまっているがこうした傾向をハッキリと打ち出した.2006年に<風の行方...>五奏者のために(編成Flute・Piccolo, Oboe, Clarinet, Trombone, Double Bass)を書きこの中でアイディアを徹底した.2007年には <フリーズ !>五奏者のため(編成 Flauto・Flauto Contralto,Oboe CornoInglese,Clarinet,Viola,Contrabasso)を書いたが,タイトルに 「フリーズ 」という文字を用いた.それで今回の作品<フリーズ IV>は「4作目だよ」という事である.

08.05.06 眼=五線紙は大きくなりにけり

 オケを書き始めて立ち往生しているもう一つの理由が眼問題だ.あの細かい五線紙に細密な音符を書き連ねるのはとても辛くなった.視力は0.08らしい.メガネは3つ使っている.外歩き用,ピアノ弾き用,譜面書き用である.所がこの一番弱いのですらスコア書くのにはきついのだ.仕方ないから裸眼で猫背になって譜面に向かう.当初3管編成で書き始めた.B3の46段.一番上を書いていると下が判らなくなる.2管編成に作戦変更してA3の36段.細かさは変わらないが辛うじて全体が見通せる.
 46段というのは実は1枚420円もする.裏表合計4ページ使えるが裏には書かない主義だから1ページ210円となる.50ページ書いたら1万円超える.下書き用もあるから2万円となる.おまけに大き過ぎてコンビニでコピーが出来ない.以前家の近くにコピー専門店があったが1枚60円した.
 数年前から室内楽の五線は相当大きくなって来ている.市販されているのでフィットするのが無いから,間隔を調整して作り直してコピーを取り使用している.この話しをしてたら,フィナーレで作る,というのは当然として,エクセルの線幅を調整して作っているという人がいた.なかなかの名案.室内楽はB4で書いているがこれ又規格外で,家庭用プリンターはA4型.普通の家庭はこれだよね.A3対応でないとB4は印刷出来ない.大きくて高いから手が出ない.A4で作って拡大というアドヴァイスもあるが,仕上がった美しさがねえ.
 コピーで作った五線紙というのは書き味ダメですね.表面ざらざらしていて鉛筆の乗りが悪い.でも仕方ない..と思ってたらローソンの新しい器械は表面さらさらしてて書き味ぐんと向上している.
 さて眼の衰えは初見力にも当然影響がある.学生時代のバリバリに比べ雲泥の差となった.多分動体視力の衰えだろう.動体視力とは動いているものを瞬時に捉える視力であり,野球やサッカーなどではおなじみの言葉である.初見力も似た所がある.次々と動くように飛び出す音符を捉えるのはこれではないか.
 初見力の落ち込み,書く五線紙が大きくなること,どっちも同じ眼の衰えなのだろう.それが作曲する編成,時に内容に影響を与える事にもなるのだと悟るようになった.

08.04.29 耳=絶対音感/移動ド/固定ド

 僕の耳を理解していただくのは中々大変だ.絶対音感を持ちながら移動ドだからだ.この事で混乱した事は無い.絶対的音高はドイツ音名のみで把握して,旋律が流れ出した途端移動ドの階名が自動的に浮かんでくる.転調すると言葉が新たな調のドレミに自動的に変化していく.無意識中の無意識.これで何の不自由も無く中3までやって来た.
 父親は直ぐ下の妹にも一緒に教育を施していたが,妹は完ぺき固定ド.そう考えるとこれは生まれつきのような気がする.

 高校に入って当然の如く固定ドに変更させられた.困難な戦いが始まる.長調の主音をドと感じているのに,ドイツ音名でしか認識出来ない絶対的な高さを,ラテン語圏のドレミであると意識し翻訳する作業である.常に緊張を強いられた.最後にほっとした途端.ド,又はラと発音して笑われ,泣きたくなった.慣れてくると今度は転調システムの把握が不自然になった.転調と借用の線引きなんて実は難しく,移動ドで何となく自然にやって来た事を論理的に意識せざるを得なくなり.逆に混乱が生ずるようになった.

 無調になったらどうするのか.中3までは無調なんて知らなかったが,その後調が見えなくなった途端,ドイツ音名とドレミ音名は完全に合体一致しているから問題は起こりようが無い.今でも調性のあるものは黙読している時は完ぺき移動読み,口をついて出るのは慣れた固定ド.いかに海外生活長く現地語で生活してても,夢は母国語で見ている,こんな状況だと思う.

 自分の短所に「暗譜が出来ない」というのがある.特にフーガやソナタの展開部は最悪の状態となる.大学を出て思う事あり移動ドに人たちに聞いて回った.皆同様の事を言っている.考えて見ると同じ旋律が調を替えてあの手この手で登場するわけで,その登場人物の名前が移動ドでは皆同じなのである.つくづく暗譜しなければいけないピアニストにならなくて良かったと思った.

 移動ドの長所として自覚しているのは移調奏が楽だという事.チョットした曲なら半音全音の上げ下げは何の苦もなくやってのけられた.頭の中で和声と旋律をシステムとして一挙に移調先に移し替えて後は指の問題.だから歌の伴奏者としては大変重宝がられた.
移調奏を「ハ音記号利用による論理的なシステムで行う」,というのは卒業後覚えた方法である.難しい曲はこっちの方がスムーズであるが,全てのハ音記号に習熟し,置き換えの論理が完ぺきに頭に入っていなければ使えない.ある時期からこんな事に時間使うのは人生の損失だと思う様になり,高度システム習得を放棄した.

 もう一つ良い点がある.ピタゴラスの旋律音程=導音を高めに取る,刺繍音の下側を少し上げるなどは,移動ド人間は無意識にやっている.完ぺき固定ドの絶対音感の人たちにこの事を理解させるはホントに大変だ.ピアノのピッチとずれが生ずるから気持ち悪いと言う.

 絶対音感があるのは不便な事もある.当時LPレコード時代,名曲喫茶に入ったらベートーベンの運命が半音高いcis mollでかかっている.耐えられなくなって,レジに行き「スミマセン直して下さい」,けげんな顔した店員に調整してもらった.もちろん店員に判るわけないよね.「もうチョイ...ホンの少し...」は僕の指示.

 所がその絶対音感が揺らぎ始めて随分年月が経つ.10年以上前の事だ.行ったコンサートでハイドンのD dur弦楽四重奏が演奏されていた.展開部に入り暫くしてハッと思った.なんとAs durへ転調している.この時代にそんな転調はありえなくて頭が混乱し,必死に開放弦の音色を探し続けた.開放弦は他と異る音色を持つからすぐ判る.その音色が全て半音ずれて聞こえている.耳のスイッチがずれた事を自覚し,懸命に開放弦頼りの戻し作戦に挑んだ.修正スイッチが入った途端一瞬のうちに正常な把握に戻った.音楽会を楽しむどころではなくなった.

 それ以来こうした事は度々起きている,半音だったずれが全音の事もある事が分かった.耳の老化(僕は劣化と言い張っている)現象だと思う.低く認識しているのか,高く認識しているのか,実は分からない.咄嗟に焦り一瞬のうちに戻る.上か下かの記憶は未だに曖昧である.

 友人の木管楽器奏者であるが,右の耳と左の耳が別な高さを認識し,更に運指はそれと別だというので気が狂いそうだと言ってた.病院で精密検査受けたが異常なしと言われたそうだ.要するに劣化現象を自覚せざるを得ないのである.

08.04.20 3管→2管へクオリティーのアップ

 今日はオーケストラプロジェクト総会が池袋芸術劇場会議室であった.昨年度の収支報告,今年の確認,新入会員,来年度の決定など...事務局は今まで柳田孝義さんの所に置いてありましたが,今年から山内雅弘さんが引き受けて下さいました.どうも有り難う.

 昨日プールに行った.泳ぐのではなく,水中歩行.もう数年続けてます.週1回50分.夏も冬も出来るスポーツはこれしかなかった.
 水かき歩きながら,今書きつつある3管編成を2管編成に変更する事を思いついた.3管の楽器の多さが今の状態を悪くしているような気がする.後期ロマン派のような図体のデカイオケは僕には邪魔で,アーノンクールのヨーロッパ室内オーケストラのような響きを現代の音楽で出せたら良いなと思ってます.

08.04.15 間に合うだろうか....

 ...昨日も随分歩きました....歩きながら考える質だから,家にこもっていても五線紙は埋まらない.この所恐怖感が増していて,朝起きる時間がドンドン早くなってます.昨日は4時半.今日は5時

 見えない世界に漕ぎ出していて不安の連続で,これは宿命.脳科学者の茂木健一郎氏は喜びが脳を活性化させるという.そりゃあその通りだろう.早くこのトンネルを脱出しないとね.
 今の計画では10月コンサートのオケスコアは3度書き直す予定です.一度荒書き完成させ,2度目はデフォルメ実行.スコアを引き裂くようなコラージュ.オケレーションも訂正し,3度目が完成清書.間に合うだろうか.全く無駄な作業に思えるけど,僕にとってはこれが脳の喜びなのだから仕方ない.

 この前のオケでは45ページのスコア書いて自分でパート譜起した...スコアに修正が続出していて1ページ当り10ヶ所以上の直しが入った.合計500個所弱...これじゃ人に頼めないよ...今回もそうだろうな.     
 予算組めないわけじゃない.でも修正...というより各パートの完成度を上げるための推敲というのが事実だから,やっぱり自分で書くしかないだろう.もちろんパソコン制作なんてやらない.手書き.

mAsAoenDo
Masao Endo の文字を
やりくりしてロゴ化したもの.

c0mp0massa
composerを圧縮してoを数字の0に変えた.目がばっちり開いている感じが気に入った.それにmasaoを景気よくmassaに変えた.YouTubeなどに利用している