このHPにブログをと思っていくつか試したけれど,コマーシャルが両わきにびっしり...カスタマイズ出来るのかもしれないが,めげてしまった.このページをそれらしく仕上げて見ようというわけである.
10.03.08 コンサート多忙
この2ヶ月べらぼうに忙しかった.毎月コンサートがあって,ということはリハーサルがあって,要するに神経をすり減らして本番となるわけである.うまく行かない場合,1)自分の書き方に問題があってうまく行かない.2)演奏家の方で解釈や練習に問題があってうまく行かない.3)その両方...などとっさに判断して対応策を考えるのだが.ホント言うと1)2)3)のどちらかがよくわからないのだ.演奏家を選べない場合だってあって,以前感性のそりが全く合わないことがあった.絶望感に襲われ世の中をののしる.顔は笑って心で泣いてその日を終える.
1月28日<アイトプス>尺八とピアノのための...尺八:野村峰山,ピアノ:中川俊郎
2月14日<ゼピュロスII>チェロアンサンブルのための...指揮:安良岡章夫,チェロ:桐朋学園チェロアンサンブル.
3月6日<精神の沐浴I>尺八と二十絃筝のための...尺八:福田輝久,二十絃筝:吉村七重
今日までにここまで終わった.
天国行っている気分だった.特に二つ目のチェロアンサンブルは圧巻であった.指揮担当の安良岡さんの的確な指導がまずあり,その上に純正化させたい26カ所の音程の微調整を徹底的に浸透させた.
二つ目を終えたら,関係する団体日本・ロシア音楽家協会の運営委員長が退会する事態が発生し,その役が僕に回って来た.僕はそんなガラじゃないと思うのだが,緊急事態で引き受けることとなってしまった. 日本現代音楽協会で5年間務めた広報部長を降りてホッとしてたら,今度は日本作曲家協議会主催のアジア音楽祭担当委員の一人に組み込まれた. 学者みたいな静寂な生活を夢見て来たのに,現実はそのようにはならない.酒付き合いが出来ないのにどうしたもんだろうか.
先日三つ目のコンサートを終えた.もちろんうまく行った.考えられる最高のメンバーの演奏である.幸せである.お二人の演奏家に感謝感謝.
次の日神戸に出かけた.3月27日神戸で,そして4月10日東京で初演のマンドリンアンサンブル作品のリハーサルである.早めに行って練習の方向性を指示した方が良さそうだと判断した.案の定やってみなけりゃ分らないバランス上の問題点が浮かび上がり,スコアの修正が山のように発生した.
この間に歌曲を1つ作った.7月3日カワイパウゼで開催される,日ロ音楽家協会主催のプーシキン企画である.
ドイツに留学しているある学生にドイツでの和声分析の記号やら非和声音名称やらを教えて欲しいと依頼していたら,綿密な書類が送られて来た.有り難う有り難う.
まず和声記号が日本国内と違いすぎる.実はこの問題は非常に難しく,多分ドイツ,フランス,イタリア,イギリス,アメリカ,何処も異なっているのではないかと推察している.世界で統一された書法が確立されていれば良いのだが,それぞれの国情に合わせた記号を開発採用している.日本だって同じで,日本の現状では島岡記号が,「古典様式の範囲内」という条件付きで一番あっているような気がする.
元々和声感覚が耳に入っている(と思える)ドイツの教育方法を日本で実行するとどうなるか.単旋律<ヘテロフォニー>に還元されるはずだと,ある高名な方が言っておられた.ヨーロッパ音楽はヘテロフォニーじゃない.日本ではしっかり教育しないと根付かないという考えだ.僕もそう思う.
そのことを真剣に考え,それまでドイツ系,フランス系などバラバラに展開されて来た東京芸大の一般学生対象の和声授業を,効率よく教育するための統一教材として作られたのが「芸大和声」教材であり,ここで使われている記号を我々は編み出した先生に敬意を表して「島岡記号」と呼んでいる.もう50年近くも前の話だ.今や我が国ではこの記号この教材が標準化している.僕はこの教材が世に出る前に和声の勉強を終えた.従って別な記号で学んだ.
頑張って無理しても行った感性刺激展覧会.
・長谷川等伯展...国立博物館
・ルノアール伝統と革新...国立新美術館
・早川良雄”顔”と”形状”...東京国立近代美術館
・ウイリアム・ケントリッジ展... 東京国立近代美術館
・レベッカ・ホルン展...東京都現代美術館
・絹谷幸二退任記念展...芸大美術館
・国宝土偶展...国立博物館
10.01.05 雪見の旅
新春1月2日雪を見たくなり出かけた.元旦の予報で長野は雪とあったので長野新幹線に飛び乗った.軽井沢でようやく雪景色となった.浅間山のてっぺんは白く輝いている.所が軽井沢を過ぎるともう雪は無い.おまけにトンネルばかり.北に向かう新幹線は雪害を防ぐためだろうトンネル新幹線だ.のんびり雪景色の情緒は無いことを忘れていた.長野には確かに雪があった.でもドンドンとけて東京と同じ泥雪.折角来たんだからと善光寺に行ったら人人人...これも思案が足りなかった.初詣だものね混むのは当たりまえ.信心深くないからさっさと諦めて篠ノ井線松本経由の鈍行で戻ることにした.
松本行きに乗ってしばらく経つと希望通りの雪景色がやって来た.単線区間だからすれ違い駅では10分停車.乗客は外に出て写真撮影.松本で特急に乗り換えようか一瞬迷ったが鈍行高尾行きに乗り換える.
しばらくすると雪景色は終わった.まだまだ無理なんだね.各駅にきちんと止まりやがて茅野だったか,「特急列車を待ちま〜す」という10分停車のあと乗客が乗り込んで来た.
僕は座席4人のコンバートを一人で座っていた.そこに親子3人連れがやって来た.僕はiPodでボーッとしていた.何気なく眼をやった前の座席の人の良さそうなおじさんの仕草にハッとした.記憶にある光景!!! 白い杖を持ち髪は白く体重は増えたのか随分大柄になっていた.隣に座った奥さんの横顔をチラチラと見たが確信を持てなかった.駅三つ過ごして「失礼ですが...」と声をかけた.なんと國越健司・内藤純子ご夫妻+お嬢さんだった.芸大の1級後輩.國越君は昔バイトのレストランピアノ弾きを一緒に組んでいた仲間の一人だ.内藤さんは芸高の1つ下だ.國越君の神戸の実家帰りだと言う.何たる偶然,まさかこんな所で同席となるとは...
近況報告と思い出話.定年と年金話.純子さんは日大芸術学部に勤めていて.同じ大学の昨年ガンで亡くなった神野明君の話.「僕風邪一つ引きません,と言ってたわよ...」僕の初期のピアノ作品初演者は神野君だった.
中央線に正確に各駅に停まり高尾に着いたのが6時20分.途中特急に4回追い越されてその度ごとに約10分の停車.各駅に通過線を整備すればもっと普通列車はスムーズに運行出来るのに.
09.12.29 今年も終わりだ..実家売却へ
マンドリンアンサンブルのための作品が完成した.
タイトルはいろいろ悩んで<二つの眼差し>とした.何やらメシアンを想起するが全然関係ありません.同じ地点から出発して同じ地点に戻る二つのコース.出来たら何コースもあったらいいけど,という作りで二楽章構成であるが,出だしと終わり方は両方とも同じ.全然違う方向に打ち出された双子のようなもの...当初考案のタイトルは<双子座の妖精> しかし作品内容とイメージがだぶらないので諦めた.
ピックで打ち鳴らすマンドリンという楽器の特性で,トレモロによるレガートと,単音による打ち鳴らしが歴然としていて中間のイメージが存在しない.そこでトレモロは点の集合体と考えて,集団化した点と,孤独な点の存在に視点を向けた.
<ゼピュロス I>がドイツの出版社からの出版が決まった.手書き原稿でだ.出版には校正がつきもので,当然校正ミスがつきまとう.この神経に耐えられなくてついつい消極的になる.手稿だってミスはあるけど,演奏しては修正しているから完全原稿に近いだろう.嬉しい話だ.
母が亡くなり空っぽになった実家の売却が迫って来た.僕はこういう作業に向かないから,下の者が担当している.懐かしい気持ちもあるけど,辛い思い出の固まりだった実家だ.多少未練もあるがこうした気持ちを吹っ切るには売却に限る.
実家は東京の墨田区菊川,ほとんど深川寄りで今なら都営地下鉄の森下駅から7〜8分という所.それ以前はJR(当時は国鉄=親は省線と言ってた)両国駅まで15分歩いた.だから実家はというと「両国」と答えていた.今でも「両国」と答える.
小中学生の頃当時平屋だったが屋根に登り,毎年両国の川開き=花火大会を眺めていた.お昼の12時,ドーンと紫色の煙たなびく花火が打ち上げられ,日暮れの本番まで続き気分をもり立てる.この日はもう落ち着かない.用もなく町中をうろうろした.
会場は隅田川の上流から下流までとかなり長く,屋根の上からはパノラマ展開だ. 仕掛けも見えた.要するにビルなんて無かった時代だ.昭和36年(1961)に交通事情の悪化で中止となった.最後の年両国橋の一つ下流の新大橋まで出かけた.すごい人ごみの中でサンダルを無くし,裸足で自宅に戻った記憶がある.14才,まだ中学生だった.
こうした華やぐ下町の記憶に孤独だった少年時代がダブる.家では夜毎繰り返される激しい夫婦喧嘩.耐えられなくて部屋に引きこもった.ホントに孤独だった.ピアノに向かって即興演奏をし続けた.ピアノが語りかける唯一の相手だった.
20代半ばで家を出たがそれ以来ほとんど戻っていない.用があっても親のいない時間帯に盗人のように扉を開けた.母親の介護もどきで頻繁に戻るようになったのはここ2年ぐらいだった.それほど家には寄り付きたくなかった. 故郷を捨てたというよりも追われた気分で,市川市真間→市川市平田→世田谷区代田→中野区松が丘→渋谷区広尾→渋谷区上原,これが現在までの引っ越し案内だ.
年明けて1月7日には取り壊し作業に入るそうだ.やはり写真くらい残しておくべきか,薄れゆく記憶の中に畳み込んだままにしておくべきか.
読書:
孤独であるためのレッスン...諸富祥彦(NHKブックス)
日本語教の進め...鈴木孝夫(新潮新書)
悩む力...姜尚中(集英社新書)
ネオリベ現代生活批判序説...白石嘉治・大野英士編(新評論)
プレーンソング... 保坂和志(中公文庫)
途方に暮れて,人生論...保坂和志(草思社)
09.11.11ようやくコンサートは一段落した
10月23日はサントリーホールローズホールで<時の庭>ー尺八・ヴァイオリン・コントラバスによる,3つの尺八本曲を取りまく響きの交わりーの再々・・演があった.尺八/田嶋直士,ヴァイオリン/河村典子,コントラバス/白土文雄の3氏による.これは2000年にスイスで初演されたものであるが,その後あちこちで演奏されている.今回も東京のあと29日に大阪で2回公演があり,大阪に出かけた.何回も再演されるとその都度それぞれ異なる表情を見る事が出来る.
打ち上げでこのメンバーのために書いた作品集で個展をやらないかという話が持ち上がった.<時の庭>,尺八+ ヴァイオリン「フリギアの樹」, ヴァイオリンソロ「プレゴーン」,尺八+二十絃「精神の沐浴I」を尺八+十三絃に書き直した「精神の沐浴II」を田嶋さんと奥様に託してあるのでこれを加え,ヴァイオリン+コントラバス+尺八+十三絃の全員参加で新作を一つ書いて,これで個展というアイディアだ.是非実現したいが気が重くなる.
知人宅に泊まり翌日奈良・浄瑠璃寺へ出かけた.仏像の歴史に必ず登場するお寺である.国立博物館の正倉院特別展にも出かけたが,人人人・・・ メインの琵琶以外は全く見えず早々退散した.
11月3日は<ゼピュロス I>の再演である.初演の反省を元に直しを入れた.骨組みが明快になり,ブレスも楽になった事が聞き取れた.これで良かったと思う.
この作品を元にしてチェロアンサンブル用に翻案したのが来年現音チェロアンサンブルで初演される<ゼピュロス II>である.編作を越えての翻案.乞うご期待.
それからようやく11月11日東京オペラシティ・リサイタルホールでの現音アンデパンダンである.フルートとピアノのための作品,タイトル<風の門>.初演は今年の3月末に鎌倉で行われ,その後大阪,北九州で再演されている.今回は演奏メンバーが変更となり,フルート/千葉純子さん,ピアノ/中川俊郎さん,動的な大変素晴しい演奏となった.今展開しつつある「フリーズ」書法の諸相の試しが基本にあってそれに加えてタングラム,尺八の影響を受けたと思えるエオリアントーン,同じ尺八のムラ息にイメージが重なる「breathy」などを始めとする現代奏法がちりばめられている.20世紀サウンドから「未だ見ぬ世界へ」模索の一環である.
「世界を見る,見るために書く」.これは僕がずっと維持して来た姿勢である. 「見て来た結果を書く」のではなく「見るために書く」「見たくて書く」,<風の門>も同じである.
読書:ローマ人の物語/文庫版35,36,37最後の努力...塩野七生
単行本から2年経って文庫本が出る.出版社の戦略なんだろうな.文庫版で読み始めたから最後まで2年遅れのローマ人の物語.
大して進まなかった.やっぱりスローリーディング
09.10.22 <ゼピュロスI>の修正も終わり...
リハーサル風景
本番終了
10月19日(月)<ゼピュロスI>リコーダーアンサンブルのために の世界初演が終わった.全くタイプの異なる5作品が並んだ.企画を練った当事者としては変化に富むという事は面白さに繋がるはずなので,まずまず「やって良かったコンサート」の一つと自負する次第である.後半は声楽部会のプログラムで,行きたくても行く時間の取れない生活の中で,歌が聴けた事は大変良かったと思う.声楽家の出演者の方達も控え室モ二ターテレビの音を面白がって耳にしていたそうだ.
終わってホットしている間もなく,手入れを行った.原譜スコアのミス修正, 補強した方が良い所,意図をクリアに出すための裏作戦etc.
ドイツの出版社が興味を持っていて,<譜面送れ>の指示が吉澤さんから出ているのだが,気に入らない所をそのまま出すわけにはいかない.スコア修正を終えて,パート不修正に入ったら,アルト2番の最終ページがなくなっていた.ショック! さんざん考えた末3週間前にコピーを取り直した事を思い出し,最後のページを置いたまま戻ったのではないかとファミマに行ったら,事務室に保管されていた.4つに畳まれていたのは仕方ないけど,見つかって良かった!
11月3日に横浜で再演する時,訂正版を演奏してもらって,良ければこれで完成.出版出来たらいいな.どんなに知恵使っても,やってみないと分からない所が自分の作品には多々ある.再演が何よりお助けである.
プーシキン企画のテキスト調整もなんとかなりつつある.
09.10.12 岡山で<プレゴーン>独奏ヴァイオリンのための〜の日本初演が終わった
魅惑的な会場
相川麻里子さん
10月10日,岡山で<プレゴーン>独奏ヴァイオリンのための〜の日本初演が終わった.ヴァイオリニスト相川麻里子さんを東京から連れて行った.素晴しい演奏でした.
僕の作品はこのところ特に音程に注文がうるさく,この作品では純正律で2音を合わせる所を山のように作って延ばすようにしているのだが,その全てがはまっていた.気づいたらビブラートは殆ど排除され,1カ所2カ所のみだった気がする.フラジオレットの伸びも含め,その音の美しい事.実は尺八の特徴をふんだんに書き込んでいたのだが,鮮やかに処理されていた.会場は水を打ったように静まり返っていた.
相川さんは15才の頃から知ってはいたのだが,ここまで成長しているとは知らなかった.経歴に日本音コン3位,パリコンセルバトアール満場一致の1位卒とあったが,今後大いに活躍を期待したいものだ.
企画は「中国・四国の作曲家」2009in 岡山 〜共生への架け橋〜
合計15作品が演奏された.それら作品の質,また演奏の質ともに高い水準だった.とかく東京一極集中型/中央集権型文化から,それぞれのエリアの独自の発信が始まっている.
この作品は元々河村典子氏の委嘱だった.同氏は9月20日にチューリッヒで世界初演を行った.日程の都合が付かず,現地へは行けなかったのだが,メールをもらっていた.「遠藤さんの作品は特に,精密さと、緊張感と、覚悟とが必要だ」「 お客さんの反応は,面白いほど<素晴らしかった!>と<難解だった>の両極端に分かれました.遠藤さんの,ほとんど熱狂的ファン,いますよチューリッヒに.』
感激に浸る暇もなく,<ゼピュロスII>チェロアンサンブル作品のパート譜作りを再開した.今週中には送り出せるであろう.「何故写譜屋に頼まないの...?」...パート譜書きながら,スコアの修正を入れ,完成させて行くのだから,自分でやるしかない.もう既にスコアが真っ赤になっている..アア!!! こちら本番は来年の2月.
<ゼピュロスI>リコーダーアンサンブルの方はリハ初日,殆ど初見合わせの日に立ち会った.素晴しい仕上がりが期待出来そうな予感がした.
10月19日<ゼピュロスI>の世界初演.すみだトリフォニーホール小ホール
10月23日<時の庭>の再々・・演.東京サントリーホール ブルーローズ
10月29日<時の庭>の再々・・演.大阪ドーンセンターホール
と今月は気が抜けない.大阪にも行く事にした.
この1ヶ月半,読書も余り進まず,展覧会も行きそびれた.まあ仕方ないか.
「光」松本陽子/野口里佳展...国立新美術館
ガリア戦記(新訳)...ユリアス・カエサル
四十日と四十夜のメルヘン...青木惇悟
クレーターのほとりで...青木惇悟
私の舞踊生活...石井漠
小説修行... 保坂和志
09.08.28 リコーダー作品完成
この夏仕事した.リコーダーアンサンブル作品(タイトル <ゼピュロス I>)はパート譜作りも終わった.
同じ作品を8人のチェロ用に直したのも完成した( タイトル <ゼピュロス II>)
以下は暇見て(というよりも脳を刺激するために)出かけた展覧会/展示会
・野村仁「変化する相」...国立新美術館
・ルネ・ラリック展...国立新美術館
・ゴーギャン展...近代美術館
・ル・コルビュジェと国立西洋美術館...国立西洋美術館
・小穴純とレンズの世界...東大駒場博物館
・奇想の王国 だまし絵展...Bunkamuraザ・ミュージアム
・インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン...国立科学博物館
・トリノ・エジプト展...東京都美術館(上野)
・江戸の幟旗(のぼりばた) 庶民の願い・絵師の技...松濤美術館
・「古伊万里 小皿・向付展 —愛しき掌(たなごころ)の世界—」...戸栗美術館
出かけた....白馬八方日帰り.新宿から直通の京王バスが出ている.ゴンドラ/リフトを三つ乗り継いで八方池山荘までたどり着く.その先の八方池までは時間切れで行けなかった.時々気分転換旅に出る.
観た...シネマ歌舞伎「牡丹燈籠」歌舞伎上演をハイビジョンで撮ったもの. 玉三郎の普通のおばさん役が冴え渡っている. 素晴しい映像.舞台見るよりもこっちの方が表情リアルで面白い.
09.07.18 気が付いたら2ヶ月が過ぎ...
ブログ風に...を気づいたら2ヶ月更新していなかった.この所新作(リコーダーアンサンブル)が進まず,ずっと鬱気分で過ごしていた.書けないのはいつもの事だ.昔松村禎三氏が会えば「書けない書けない」ってこぼしていたから,曲が進まないのはゴクゴク普通の話なんだけれど,こういうとき小説家はどうしているのか知りたくて読書に励んだ.自分を叱咤激励するための読書だから,書評なんて書かない.自分の感性に引っかるワンフレーズが見つかれば「読んで良かった本」の仲間入りである.
平野啓一郎「本の読み方 スロー・リーディングの実践」PHP新書.元々読書のスピードは速い方ではない.スピードを上げたくて「速読」実践本を昔読みあさったが身に付かなかった.この本は全く逆の立場からのおすすめである.目から鱗の内容である.
池袋東口には西武デパートに大きな本屋,明治通りを隔ててジュンク堂書店がある.ジュンク堂は在庫の点で群を抜いている.ここの3階の新書/文庫コーナーで見つけたのが西林克彦「わかったつもり 読解力のつかない本当の原因」光文社新書.深読みしないと理解出来ない事が沢山ある,という内容なのだが,当然速読とは反対の立場にある.
高橋源一郎「一億三千万人のための小説教室」岩波新書.レッスン1から8まであるのだが,その4のタイトルは「小説をつかまえるために,暗闇の中で目を開き,沈黙の中で耳をすます」....作曲と同じだねェ,嬉しくなった.最後に「小説家になるためのブックガイド」があって読むべき本がどっさり載っている.
保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」中公文庫.これはすばらしい本だ.第一章「小説を書くということ」は40ページに満たないが「曲を書くということ」に置き換えれば,自分に言い聞かせている事が全部書かれている.何冊も買って生徒達にプレゼントした.
柴田元幸/高橋源一郎「小説の読み方,書き方,訳し方」河出書房新社.ここには『柴田さんが選んだ「海外小説」30冊』『高橋さんが選んだ「海外小説」30冊+&』『高橋さんが選んだ「ニッポンの小説」30冊』『柴田さんが選んだ「海外に紹介したい現代日本の小説」30冊』という表があって,この殆どを僕は読んでいない事が分かった.
保坂和志「小説の自由」新潮社.これは読みかけ中である. 保坂和志の文章は魅力的である.実は迂闊にも今まで名前すら知らなかった.もう一冊買った橋本治「橋本治という考え方」を読み終えたら,保坂和志の小説を読破したいな.
要するに,小説家の書いた「小説を書く方法」では,「マニュアルなんてものは無い」「小説家でない人の書いた 小説を書く方法は,何の役にも立たない」この2点につきるのだが,内心ホッとした.見えた世界を転写するのではなく,暗闇の中での手探りだ.小説家はそう言っている.
...こうして鬱状態から脱却出来たかというとやっぱり駄目で...ふと思い立ちメガネ屋に寄った.乱視が進んでいる.矯正メガネからの世界は明るく美しく,気分は爽快...原因はこれだったのか.3つ使っているメガネの2つがレンズ交換とあいなった.やれやれ劣化対策費がまた一つ増えた.
09.05.18 日本現代音楽協会・広報部長退任
4月22日の日本現代音楽協会理事会で,広報部長の退任が決まった.5年にわたり担当して来たがもう自分は役割終えたと思う.
まず第一に文化庁からの助成金が大幅に削除され,今までの広報部がメインに活動して来た紙メディアによる広報が大幅縮小になった事だ.リキ入れ,じっくり時間かけて作り上げてきたニューコンポーザー誌は今年度発刊予定の10号をもって休刊.今後の事は分からない.コンサートプログラムも現在の小冊子は無理だろう.当日配布のペラ1枚程度になるに違いない.
これからの広報展開は外回り営業活動のようなものにならざるを得ないのだ.これは僕には無理であって,他の人に任せた方が懸命である.営業活動は若い人たちの仕事だ.
個人的には拙作の修理改作に入ってみると膨大な時間が必要な事が分かる.これに加えて新作も書き進んで行きたい.この時間の確保のためには社会活動を縮小せざるを得ないのだ.
社会活動と,創造活動.どちらも大切な事だが優先順位があるのだ.
両方適当にうまくやれるほど器用ではない.
09.04.25 その後....
このところ介護中の人,介護を終えた人たちと話をする機会が増えている.アルツの介護10年に及んだ仲間がいた.要するに同世代はまっただ中なのだが,頑固・ゴミの山....皆同じことを言っている. いつぞや脳梗塞で倒れた叔母のひどい生活空間を観察し呆然としたが,我が実家も同じだ.年寄りの特性なのか,これは怖いぞと思う.人ごとじゃない,自分だってそうなるに違いない.頑固は仕方ないとして,ゴミの山は避けたいと思う.
そこで不要品の処分を開始した.まず不要になった資料.昔某大学でソルフェージュの非常勤講師をしていた事があって,その時集めた資料は徹底的に処分したのだが,まだ残っている.自分を磨こうと読みあさった本も,新鮮味を失って劣化したものが増えてきている.衣料などは元々「3年着なかったものは処分」でやってきたから不要なものはあまり無い.殆ど着けないネクタイが少々邪魔だ.
思い出の品々は思い出が薄くなった所で処分を実行して来たから邪魔なものは殆どない.
LPレコードをどうしよう.ターンテーブルはとっくに片付けている.音響オタクではないからCD対LP音質論争に興味は無い.しかし解説書が分量も多く面白いのだ.これは取っておきたいな.自分の作品のLPは最も頭を痛める.少々あったLDはもう再生機の販売を中止しているので,さっさとDVDに移し替えた.
問題は拙作品だ.昔の作品を見ていると情けなくなる.生徒に「こんな馬鹿な書き方するな」と怒鳴っているそのままが目の前に展開されている.現在の自分は少しはましになったという事なんだろう.捨てようと思ったがちょっとはキラリあるからやっぱり捨てられなくて「馬子にも衣装」だとばかり,まず合唱作品をと直し始め1曲終わり.器楽作品2曲も直した.
習作は放置しようと思っているが,どこまでが習作なのか分からない.日々前進,言葉変えれば変化を求め生きて来たので,範囲をぐ〜んと広く取ると,近作までは習作となってしまう.そんな馬鹿な!!!
昨年,リミックスとタイトルして,旧作の素材をそのまま使い今の感性と方向性で新しい曲を書き,両方並べてみようと思い立った事がある.まだその作業はしてはいないが,問題はその旧作に腹が立つのだ.
09.04.06 長かった! この8日間
3月28日(土):口琴との即興演奏は無事やり終えた.口琴はPAを入れて客席に音が響いた.所がピアノの位置では殆ど聞こえないのだ.仕方なく口元と指の動きをたよりにリズムを合わせた.4つの異なるピッチの楽器を利用し一つにつき2分として合計8分で終えようと打ち合わせをした.もちろん一度だって通し練習なんかしていない.いきなりぶっつけ本番であって,この緊張感がたまらない.
ピアノと口琴なんて合いっこないと思っていたが,意外にうまく行き好評であった.
3月29日(日):「風の門」の初演のため大阪往復.演奏会は大成功だった.
4月1日(水):一人暮らしの母親に,ここ数年来ずっと毎朝電話を入れ安否確認と健康状態,老い状況チェックをしていたのだが昨日から電話がつながらなくなった.覚悟を決め実家に行った.玄関は鍵がかかっていて異常はない.家に入った.テレビがつけっぱなしになっていた.うるさいから止めた.ベッドに姿はない.台所にも見えない.トイレを開けた.ズボンが脱いだそのままの形で残っている.風呂場の電気がついていた.ノックしたが反応がない.扉を開けた......浴槽に,うつ伏せになって,88才の老婆が浮かんでいた....
孤独死を想定して対応を頭に入れていた.「一切触るな,すぐ警察を呼べ」マニュアルにはこうある.その通り110番を入れた.それから妹弟達に電話を入れ続けた.午後の時間帯,繋がらない.
しばらくしてサイレンが聞こえ,何故か救急隊がやってきた.少しでも生存反応があればまず病院へと決まっていて,確認のため110番から119番へ転送されるらしい.「....私達引き取れませんので警察が来るまで待機します」
警察が来た.実況見分が行われ刑事から事情聴取を受け遺体が搬出された.弟がやって来た.子供達だけで送ろうと意見が一致し,弟が陣頭指揮に立ちあっという間に葬儀手配を済ませた.また刑事がやって来た.脱いだ服はどこにあるのか?アザがあちこちにあるが何故だろうか.老人虐待の可能性を疑っているらしい.妹が到着し細かな打ち合わせが続く.自宅に戻り夜パソコン修理でT君がやってきた.
4月2日(木):警察署に出向いた.監察医の先生から説明があった.年間500遺体見ているそうだ.「水は少しは飲んでいる」「虚血性心疾患」要するに心臓マヒによる急死,つまり病死,事故ではない,これは重要なことだと.何故?保険金額が病死では不利になるのだそうだ.「どうしてもというなら解剖しますが,結果は変わらないと思います」.
40度に設定した24時間風呂に浸かっていたためか,死後硬直は進んでいない.
母さん温かいお風呂の中でいい気持ちであっという間に天国に行けたんだね.
推定死亡日時は3月31日午後と記入してあった.ホントはもう1日早いのかもしれないと僕は思う.目は閉じていた.そのまま御礼を言って引き取り安置所に送った.自宅には戻さなかった.
帰宅して町会長さんや目をかけて頂いた近隣の方達,親戚その他への連絡に追われた.
夕方から平常の生活に戻そうと代々木公園に散歩に出かけた.世間は桜満開,宴会が始まっている.行くんじゃなかった.人々の群れを見て,今さっき撫でて来た冷たくなった母の頬の感触を思い,僕たちの体内で化学反応があり体温が上がり...言葉を話し...考え,こうして生きている事の奇跡,神のなせる業としか思えない生の営みを思い続けた.夜が更け昨日からもう1週間以上たった気がした.
4月3日(金):平常生活を戻そうと朝から現音ニューコンポーザー誌の原稿整理に追われ,明日あさっての打ち合わせに翻弄された.
4月4日(土):通夜.真言宗による.喪主は僕である.
4月5日(日):告別式.昨日の通夜振舞,それぞれの母との戦いの日々の思い出話は,まるで漫才大会みたいだったから,今日の喪主挨拶はカラリと行こうと思っていた...しっかりしたお骨だった.
昨年秋「お父さんが側にいるみたい」と言い出した.「もう逝きたいの」と聞くと「まだまだ」と.「お迎えが来たら後回しにしてねって言うんだよ」 .明けて1月9日(金),転倒して背骨を痛め,それを知って12日(休)に都立墨東病院の急患に運び込み,骨が折れたというよりも崩れたという診断をもらい,しばらくは介護の日々だった.食料を持参し,大きな旅行トランクを持ち歩き,ゴミを持ち帰る.タオルやうんちのコビリ付いた肌着を持ち帰り洗濯しては戻した.
6人兄弟姉妹来れる人は来た.距離的時間的に融通の利くのは,そして母との折り合いがまあまあなのは僕なのだから負荷は僕にかかる.老人ホームに入る事も承諾した.
カタログも取り寄せた.所が2月に入り体が回復すると口も回復して,激しい語調で老人ホーム行きを拒否した.あれ程憎しみのこもった眼というものを見た事がない.たじろぎ諦めた.介護認定して日々のバックアップをと考えたが「自分でやる」.
区から車椅子借りるのも介護認定が必要なのだよ.民生委員の方が時々様子見に来ていたみたいだけど,家に入れなかった.
火事が恐かった.台所は古い古いシステムキッチン.自動消火システムは壊れている.IHも考えたが既にあって埃を被っていた.朝電話に「火を出すな!」が加わるようになった.時々様子を見に行った.以前は喜んでいたお寿司のお土産も「何も持ってくるな.何が入っているかわからん」「自分でもう作れる」強い拒否に出会い,お手製の「蒸しリンゴ」だけになった.
「もう来なくていい!」次第に足が遠のいた.朝電話で寝たきり方向に進んでいる気配が感じられた.来るであろう重い日々を考え,どうすれば良いのか一人思い悩んでいた.
ご近所のおばさん達が「子供達に迷惑かけなかったから良かったんじゃないの」.
そうだよな.親父が逝って13年,一人で勝手に生きて,勝手に一人で死んで行った.
生んだ6人の子供達が何をし,どういう社会貢献をしているのか,何の知的関心も持たなかった.サブリメント頼りの,生存への貪欲な本能だけで生きて,子供達とぶつかり,子供達は逃げ回った.
09.03.04 即興演奏
昨日,口琴奏者直川礼緒さんとお手合わせを行った.
今月27-28日東京音楽大学民族音楽研究所,ここは僕が事実上の責任者なのだが,ここ主催で「第1回国際口琴フェスティバルin 東京」が開催となった.そこで1曲どうかという事になって,3分から5分位ならなんとかなりそうだと思い引き受けてしまった.
研究所にあるDVDを借り受け研究を始めた.簡単に言えば殆どリズムで勝負だ.旋律らしき事も出来るが,期待したら後悔する.そういう楽器じゃない.
所が口琴奏者直川さんと打ち合わせしたら,とてつもなく深い世界が広がっている事が判った.ベートーベンの先生である作曲家に協奏曲まであった. 基音の異なるいくつもの楽器をハーモニカの様に組み合わせているのだ. 短期決戦で書き上げようと思ったがとても無理という事が判ってピアノとの即興演奏を行う事に決めた.
こうした場合ピアノは不利な立場に置かれる.ピアノの優位性=音量,音域,和音が弾ける=これらはオーケストラと対抗できる立場にあり,圧倒的に優位になる.新しいタイプのピアノのために...とも思ったのだろう「皇帝」とタイトルしたベートーベンの気持ちは100%理解できる.
所が...口琴の特徴=息がそのまま反映される,吸う音吐く音で音色が変わる.基音ピッチ他に,口の中を共鳴体として利用するが,その容積により音程が変わる.
これらの多様性はピアノでは表現できない.口琴の音量の不利益はマイクロフォン→スピーカー増幅でカバーできる.
当初ピアノの弦の上に文庫本置いてプレピアードして口琴の音色との統一性を図ろうと目論んだが,即興を始めてみると僕の気持ちが縮んでいく.そこで通常の状態に戻した.こちらの方がはるかに面白い.そもそも即興は気持ちが萎えたり,窮屈になったら良い結果は出ないのだ.
即興演奏は子供の頃からの楽しみだった.いくつか録音が残されているが20代の頃の僕のピアノの腕前は1級品だった気がする.惚れ惚れする音色感とスピード感に満ちあふれている.現在,20代の華やかさはどこかに行ってしまったが表現力の奥深さ・多様性は今の方が遥に上だ.まだまだ行ける...
これをお読みの皆さまにお願い! 機会を作っていただければ何処にでも弾きに行きますよ.チャンス下さい!!!
という訳で是非3月28日5時に,東京音楽大学J館スタジオにお越し下さい.
詳細はHP「演奏会」コーナーで.
09.01.30 Legトラブル
右足のトラブルに悩まされている.足首くるぶしの異常発達変形が進んでいるようだ.
...もう面倒だから話してしまうが...2才ぐらいの頃小児麻痺にかかった.歩かない子供を心配して診察を受け判明したそうだ.
小学校に上がる前に長期入院して手術した...未だ2カ所の古い傷が残っている.
成長するに従って右足は不自然に発達して行った.子供の時の夢を今でも覚えている...「まっすぐに転ばず歩くこと」言い換えればいつも転び真っすぐ歩めなかったということだ.左右長さが異なれば当然短い方にカーブを描く.
ペダルは右では踏めなかった.中学3年受験副科ピアノを弾き終えた試験会場で当時の主任・永井進先生から「どうして右で踏まないの」と質問され,うまく答えられなかった.その日から右足でのペダリング特訓を始めた.
足首のスナップが使えず指が動かないのだ.90度より狭い角度に曲げられない.くるぶしは異常に発達変形し,足そのものの長さは25ミリ短く,足のサイズは45ミリ短い.全体が外側に45度以上反っている.当時もこうだった.ペダルは従ってスナップ利用ではなくヒザの力で行っている.特訓の成果上がったのか健常者よりうまくなった.
医学が進歩し18才大学1年の夏休み,変形が進んだ部所の整形及び腱の移植手術を受けた.3ヶ月の入院生活だった.ギブスを外したら惨めな足首先は少しはスマートになっていた.退院後しばらくしてスナップが少し動くようになった.それでもウインタースポーツは出来ない.
靴で苦労した.短靴は脱げてしまうからいつも深い靴を探した.これはおしゃれ靴に多いので,人から「遠藤さん靴もおしゃれですね」と言われた.
日ごろは右は爪先立って=正確には指の付け根で歩き,左右の高さを無意識に調整している.だから人は気がつかない.疲れると体のバランスを崩す.「大丈夫ですか?」「どうされたんですか?」言葉が飛んでくる.面倒だから誤魔化す.興味持ってもらわなくていい.
そこでこの差を無くす=右靴底を25ミリ高くした靴を履けばいいのだと,これは誰でも思いつくのだが,2年ほど前10万円もかけて特注の靴を作った.所がこれが失敗だった.
高さが同じになればしっかり歩行できるはずという専門家と僕の推論はその通りにならなかった.いつも右だけ25ミリの階段を上がっている感じなのだ.その結果腰に変調が来た.常に爪先立って歩いているから,かかとを始めとして足裏全体が体重を支えるようにトレーニングされていない.柔肌のままなのだ.ピタッと合ったインソールのお陰で足肌に痛みが走った.
太さが同じでない.足を逆円錐形として左右の容積の違いを計算してもらい高さの差も考慮すると,約30%の差と出た.片足10kgとのことだから約3キロとなる.そこで標準体重から3キロ減じて僕の体重とすべしと判断した.
歩けなくなるのが怖いのだ.普通の人にとっては何でもないこの歩くということが,僕にとってはどんなに素晴らしいことか.数年前には整形外科の医師から「10数年後は車椅子だ」とおどされた.歩ける能力を維持したい.能力低下不安で車の免許は取らないままだ.太るのが怖い.足に負荷がかかる.
手術から40余年たち,くるぶしはゆっくり成長し大きくなっている気がする.靴探しの苦労が始まっている.3ヶ月入院する気は無いからこのまま付き合って行くしかない.
時々痛んでも,歩ける確かさと車の有り難さと...優先順位はどちらが上なのだろう.
5ミリの段差で転ぶことがある.「スッテ〜ン〜」と全身が右へ横転する.回数が増えてきている.
....ここに車が突っ込み頭を砕かれて死ぬ夢を見る.
09.01.05 デリケートな話題
2003年の夏に自分のお墓を購入した.富士霊園:東名御殿場ICから車で25分位のところにある.
僕はつくづく親不孝者だと思うのだが,親の墓に入る気がせず自分のとなった.
墓石に「遠藤雅夫ここに眠る」と赤字で入れてもらったら急に元気が出てきた.人の死亡率は100%ではあるが,なるべく自分自身のそのことを避けて生きている.
.....生の停止のその後を決めたら,以後は「その後」までのスケジュール問題となり,まごまごしておれんという気持ちになった.ここ数年来僕の作風は変わって来ているが,この「まごまごしておれん」という気持ちが後押ししているように思う.
僕の父は変わり者で,静岡県富士宮市の出生であるが,その地にある一族の墓の権利は弟に譲り東青梅にある「大多摩霊園」に墓所を定めた.ここまでは普通だ.変わっていると思えるのは生前戒名を自ら考案し墓誌に記入した事だ.まだ健在ではあるが母の戒名も考案し赤字で彫られている.普通は本人が決めるもんじゃない.
先祖伝来の墓所,富士宮の本光寺に行くと,遠藤・遠藤・遠藤・と遠藤一族の日蓮宗のお寺である.1996年に父が亡くなった.所が葬儀担当者が生前戒名を見て「これは宗派が判らん」「仏教史の最初なら問題なかろう」と,般若ハーラミタの密教で葬儀は行われた.シンバルがジャンジャンと鳴るあの宗派だ.滅多に見ないその光景の珍しさに僕の耳は父の葬儀どころでは無くなった.
御先祖がいたはずの本光寺であるが,こちらの継承者=僕のイトコもその次の継承者が不在となり,墓地を整理処分し別の寺にまとめられた.
今全国の墓地でこのような事態が進行している.もはや伝統的な継承=家の継承は不可能となりつつある.否応無しに新しい墓所のスタイルが出来上がってくるだろう.
僕の未来の住所もいずれ無縁墓所となる.僕はそれでいいやと思っている.
未来住所....富士霊園11区5号2117番 引っ越ししたら遊びに来てね.桜が美しいよ.

08.11.22 パソコントラブル発生!!!
マックのOSを10.3から10.5に上げた.しばらくは快適だったのだが不安定になり起動しなくなった.プリンターのドライバーが未対応だったことが分かり,外付けに10.4を入れておいたのだが,これは起動する.つまり本体のハードディスクを認識しなくなったのだ.
真っ青になったのはメールだ.殆どの連絡はメール経由にしている.今やこれ無しで生きては行けない.外付けから立ち上げたプラウザが生きていてweb経由で読めるのだが,パスワードの控えが無かった.幸いにも携帯に転送させていたのでその場は凌ぐことが出来たが,携帯から長文打ち込みは全く苦手である.
もう一つ外付けを買って,こちらに10.5を入れて本体を覗き込む裏技思いついた.なんと500ギガ,随分安くなったものだ.所がこれにOSがインストール出来ない.
あの手この手で頑張ったら急に本体の認識されるようになった.迷ったけど10.5をそのまま上書きした.
ようやく落ち着いたと思ったらホームページソフトが立ち上がらなくなったことに気が付いた.思いつくこと全〜部やってみたけどダメ.会社が開くまで待って電話を入れ指示を仰ぐ. 何度も電話を入れた. ソフトのコピー防止があの手この手あって,一つ一つ乗り越えながら正常化した.再起動の繰り返しで随分時間を使った.
ソフトは演奏会の前に入手していたのだが,異常事態を想定し一息ついてから入れようと思ったのがその通りとなった.
それから2・3日経った.今度はパワーボタン押しくるくるマークが動き出した途端プツンといってスイッチが落ちてしまった.これも大奮闘,何度かの絶望の後にようやく動き出した.今朝も突如落ちる.合間を縫ってのアップだ.ヒョッとしてハードに問題が生じているのかもしれない.まだ4年の経過というのに.
全く無駄な10日間だった.しかし知識は入った.もうパソコン手放すことは出来ないから,こうしてトラブルとも仲よくなって行くしかないな.それにしてもパソコンが止まった時の孤立感は一体何だろう.人生がリセットされた気分だ.何だか病気と似ているな.
やっぱり作品だけは鉛筆手書きで行こう.これがリセットされたら....本当に絶望の縁に立たされる.
....要するにバックアップにもう1台買ってデータを共有しておけば良いのだ.片方が倒れたら,もう片方で作業する.
08.10.31 戦い済んで日が暮れて...
いくつもの励ましのお言葉を有り難うございました.とても嬉しく貴重なお力と勇気を頂きました.
新たな発見があった.フリーズさせて冷たい空間を演出しようという意図だったが,大ホール及び大編成の場合残響が程よく残り,冷たさが不思議なやさしさに,音響が調和融合へと化学変化している.突如停止の多様性について今後の展開をどうするか考えていこうと思っていたのだが,このような側面もあるのだ.
このことに今後の可能性を見いだした.
ようやく疲れも取れた.
08.10.28 朝10時 冷静になった/今日本番
昨日全リハ終了した.細部にわたる要求が機能的に生き生き動き出した.初日の狼狽ぶりはウソみたいな心境だ.スコアに17個所ある純正化を求める細かい音程の微調節要求も完成に向かいつつある.
僕の音楽の特徴...自分での把握は難しいので他人の意見をまとめると...知的,クール,おしゃれ,透明感が高い,セクシー,豊かな情感,大体こんな所に集約される.ドロドロした表現とは遠い世界にあるようだ.昔,そのドロドロ格の筆頭みたいな松村禎三さんに「君の考えはガラス細工みたいで...」要するにダメだということなのだが,こういう表現をいただいた.でも僕は「松村禎三」ではないから自分の見たい道を思ってきた.
ランボーという詩人がいる.若い頃取り憑かれた.この中に「見者」という言葉があって実はこれもマツテイさんから教わった言葉だけど,「世界を見るのだ」という決意に溢れた表現だ.ずっとこの言葉を「こっそり座右の銘」にしてきた.
還暦を越えてから自分が宇宙と繋がっている感覚を持つに到った.宇宙を通じて全人類と交歓している感覚だ.常につきまとわれている「ドロドロ世間」からの脱出感覚だ.何やら村上春樹の世界みたいだけれど.
08.10.27 リハ−サル=生きた心地しなかった初日
23日にリハーサルの第1回目があり昨日第2回目があった.23日は死にたくなった.つわり陣痛船酔いが一挙にやって来た.良く考えて見れば初見で作曲者の意図が100%表現出来るわけないのだ.そんなこと頭でわかっていても,現実に目の前で展開されている「轟音」には気が狂いそうになる.意図が演奏に反映されることは永久にないのではないかという恐怖感で身がすくむ.そもそも意図が何だったのか=間違っていたのではないかとの自己批判が頭をよぎる.演奏会中止だ! チケットの回収だ!と落ち込んだ....(これは常に常にいつものパターン=今日だから言える)
家に戻って指揮者小松さんの泰然自若ぶりを思い出し少し落ち着いた.何とかするつもりだし出来ると判断しているんだ.
昨日第2回目があって急に僕の意図に近づき出した.中二日の間に自然に熟成されてきたみたいだ.懸案だった金管族の弱音器は(何種類もタイプが有り記譜出来ないのだ)金管代表のトランペットの方との相談もリハーサルの前にうまくいった.
先生..と言って何人かが目の前に現れた.「なんだ座ってたんだね...」かつての教え子達.ホッとする.初日譜面チェックの目と耳だけがフル稼働していて楽員のことまで目がいかない.
棒が振られ意図に近い流れが動き出した.あれだけ綿密にしたはずの譜面チェックも漏れが有り,いくつか質問が飛んできた.質問されるということは耳が生きている証拠だから逆にほっとする.23日にも指摘されたが臨時記号を落としたのが2個所.桁を間違えた音群が1個所.
ここの所内省的になりつつある自分の音楽が少しずつ見えてきた.今日3回目のリハで,明日ゲネプロ本番.
08.10.14 叔母のその後
2月に脳梗塞で倒れた叔母は,10月1日に退院し老人ホームに入った.病院を出たからといって機能が回復したわけではない.脳の一部が壊死しているので会話・人の認知・半身の運動能力は失われたままだ.
ずっとバックアップに回っていたイトコご夫妻の心労は並大抵の事ではなかったようだ.「9月末には退院しなければならず同時進行でのホーム探し…どこもいっぱい,200人300人待ちもあり,高齢化社会の現実を驚きを持ってヒシヒシと感じました」とメールにあった.ようやく探したホームの入所金・毎月の支払い金額などを後見人に報告し,承諾を得て決定したとの事である.
懸案だった成年後見人は8月に決定された.以後裁判所の監視のもとに財産の保全管理支払いが始まった.保全された資産額は他人には明らかにされず,家の最低限の補修やごみの山になっていた部屋の片づけなどを実行したようである.当初,家を売らなければホーム入所資金が捻出出来ないのではないか,資産調査は甥に当たる我々も参加しなければならないのかと思って,重い気持ちになっていたが,これらは全て後見人の単独調査で完了した.しっかりした立派な制度である.
叔母の姉である僕の母親は相変わらず妹どころではない.自分の老いで手一杯である.
「このままだと,会わないままお別れすることになると思うけど? 車で連れてくよ」
お誘いかけたが「行きたく無い」の一点張りだった.
もともと妹のことはあまり心地よく思っていない.しかしねぇ,もうここまで来たのだから,全て水に流してと思うのは他人だからか.
一人暮らししているから毎朝電話を入れてそれとなく健康状態を確かめているが,「頭がおかしくなった」「全部忘れてしまう」とモノ忘れがひどくなったとこぼしている.
妹達に言わせると「都合の悪いことは昔から全〜部忘れるのよ」ということになる.
「顔にシワはないのに...」87才になってまだこんなこというものか.
「オレオレ...」と例の詐欺もどきを試してみると,「何言ってるのか」と正しい反応する.携帯から電話したら音質が変わるらしく「あんた誰だ」と返ってきた.
耳も脳も正常である.このことと老衰は別の話である.
08.09.02 推敲終わり...
推敲終えてスコアはとっくに東京交響楽団事務所に発送した.もちろんパート譜も完了,製本も終了している.9月28日提出だからも少し推敲してからにしよう.
作業が一段落して,あとはチケット関係...黙っていたってお客さん来ないから積極的に動かなければいけないのだが,虚脱症状といおうかどうも腰が定まらない.
次の作品と思っているがどこかウワの空だ.
次はフルート+ピアノ.新しい事を求めるより,手持ちのコマで一挙に書いた方が今回良いと思っているがどうなるやら.
懸案の作品目録のうち,打楽器作品,管弦楽作品を片付けた.最近のものはデータをパソコンに入れて管理出来ているが,古いものはそうはなっていない.何せパソコンが我が家に来てからまだ20年も経っていない.そうなると古いコンサートのプログラム探して入力となるのだが,これはまた大仕事なのだ.だからタイトルと少々のデータのみになる.
作品目録を作っていると,迷いながら夢だけが大きかった頃の熱気を思い出す.今自分の作風は内声的なものへと変化していっているように思えるが,それで良かったのかどうか.
それでもよくぞここまで諦めずに書き続けてこれた,というのが実感だ.他の人生求めても良かったはずなのだが,結果として固守した道を淡々と歩んできてしまった.
余程ブキッチョ人間なんだね.
08.08.07 推敲もう一息
パート譜作りのうち打楽器とハープを除いたものを書き終えた.残りは完成度が未だ低いのでじっくり推敲する必要がある.
同業者にパート譜を手書きしているというと怪訝な顔される.外注かパソコン自作かが常識みたいだ.
作品計画を明快にしてから作曲始める事は無く,暗中模索の手掛かりから譜面を起こしにかかる.スケッチ完了→オーケストレーション→清書の手順は理想であるが,この形で完成させた事は一度も無い.バラバラのパーツが不完全な形でスケッチされ,出口の見えない暗闇の洞窟をさまよい歩く.そうこうしているうちにパーツが動き出し形を作り出す.ある程度書いたら,オーケストレーションも含めて取りあえず清書する.こうしないと先へ進めない.
民家建築の場合,柱・屋根・床など順番に作り上げる.2階の柱の組立中に,1階の内装が始まっていると言う事は無い.高層ビルの場合,全部の骨組みを終えてから一斉に内装へ,何てしない.上へ上へと積み上げながら一番上が剥き出しの骨組みでも,下の方は内装開始している.骨組み作りと完成に近い内装仕が同時進行している.僕の作曲もこんな具合だ.
途中で方針転換がなされることは頻繁にある.閃いた思いつきが書き終えた今迄の分にまで波及する事はしばしばある.一番辛いのはアーティキュレーションや特別な記号の変更を思いついた時だ.統一性・一貫性を持たせるために前にさかのぼって修正する.これらは細かい作業で当然見落としが増える.疲れていた時の清書はかなり怪しい.でもここで反省していたら先へ行かない.
そうやって仕上がったスコアだから完成度が低いのは当然だ.このまま写譜屋へ何てありえない.精度の高い推敲が必要である.そこで最高の推敲方法は何かと考え,それはパート譜作成だと気が付いた.だから外注出来ない.
7月21日から戦いが始まり昨日17日で残り僅かとなった.あと二日ほどでハープ,打楽器は終わるだろう.合計3週間弱.これで推敲完了.この日数なら損のない時間だろう.おまけに数十万円の外注パート譜作成費の倹約にもなる.あとはスコアの直し.表紙・タイトル・記号解説など雑務を加え1週間.
これからはパート譜作成を「推敲中」と言い換える事にしよう.その通りだもの.同業者に怪訝な顔されなくて済む.
08.07.27 かつて...引っ越し魔だった...
大学院3年の頃に家を出て自活始めた.最初は千葉県市川市の京成市川真間駅から歩いて2分ぐらいの所だ.市川真間は小4の時からピアノのレッスンに通った場所で,僕のS先生の家は駅から10分位の所にあった.芸高に入り先生が代わりそのままになってしまった.当時定期的に給料貰うようになって,それがちょうど家賃分くらいだった.アップライト1台と布団,少々の楽譜やスコアを持ち出し夜逃げ気分で実家を後にした.炊事道具やら生活用具を一からそろえた.窓にカーテン掛けたのは半年以上経ってからだ.お金がなかった.
市川は緑の多い所である.旧千葉街道沿いには松が植えられ,真間川は桜で彩られている.万葉集などに登場する「真間の手児奈」で一息し,そのすぐ先にある「真間山弘法寺(ぐほうじ)」というお寺には何度も出かけた.歩いて15分くらいだった.もっと歩きたい時は国府台にある里見公園まで足を伸ばし思索にふけった.このアパートには3年半いた.
真間を出て,JR市川駅の南側の平田という歩いて15分くらいの所に移った.2階建て一軒屋を一人で占領した.元々は2級後輩の前田行央君が借りていた家だったが,結婚と就職で弘前に行く事になりその後を借り受けた.新妻の実家からの申し渡しとかで家財道具全部置いていった.前田君はその後離婚再婚を経て実家のある奈良女子大の教授となったが今年の2月逝ってしまった.
広い家で8畳の「開かずの間」があった.芸大の先生を始めていた松村禎三さんが泊まりに来たこともあった.家が売れるまでいう約束だったが3ヶ月で売れてしまい,引っ越し代から移転先の契約金に加えて少々の保証金まで貰って出た.
行くあても無いから地図を開いた.目をつぶって鉛筆を立てた先が小田急線の梅ヶ丘だった.駅南数分の小さな一戸建てに3年くらいいた.梅ヶ丘駅の北側には羽根木公園が広がり散歩趣味の僕には持ってこいだ.
中野区松ケ丘に半年住んだ.移転通知を出したら「手帳に住所書き込む欄が無くなったから引っ越しやめてくれ」と友人知人から言われた.
約7年間で5度目の転居先は渋谷区の広尾である.地下鉄広尾駅から広がる商店街のはずれの所.住んで見てびっくりする事が沢山あった.広尾の知名度は全国区だ.所が物価は意外に安い.下町のよさと高級住宅地が混ざり合っている.駅の反対側には有栖川記念公園がありその向こうには麻布の高級住宅地が広がっていて夜の散歩はまるで外国にいる気分だ.六本木まで歩いても30分,サントリーホールでの演奏会のあと,感動した時は徒歩で自宅に戻った.
商店街のオジサン達とも仲よくなった.洋品店カワイのオジサンは僕の趣味や体形を知っていてカラーシャツやらコーデュロイなどを「エンドウさんのために仕入れておきました」と準備してくれた.広尾を出たあとも買いに行ったが,その後店は閉まり表札も下の名前の方が変わっていた.
広尾で出会った事件といえば何といってもオーム真理教だろう.サリンが撒かれた日,外出しようとしたら広尾駅はシャッター下ろされ異様な光景だった.商店街のお嬢さんの中に事件に巻き込まれた人もいた.その前選挙に出た事があったけど,商店街入口でそろいの変なぬいぐるみ被り「ショウコウ・ショウコウ〜」って宣伝カーの上でダンス合唱してた.村井幹部が刺され死んだのはウチから3分の広尾病院.この日商店街に刺殺団が入り込んでいる錯覚に捕らわれ恵比寿の駅から自宅まで足が重かった.
ある日の朝ヘリコプターの騒音で空を見上げた.窓の外の西北の空のすぐ先を見た事のない数のヘリコプターが旋回していた.オウム真理教の東京本部は広尾でウチから1キロの所でこの日は捜査が入った日だった.
広尾には20年弱住んだ.この間迷う事が度々あり,立ち往生すると市川真間を始めとして今まで住んでいた所を一人歩き回った.「今までの人生間違ってなかったよな」って自分に言い聞かせ,内面の声に耳傾けながら彷徨した.
今は小田急線代々木上原にいる.もうここから引っ越しする事はない.しっかりした防音室が手に入り逃げ出す理由がなくなった.越してきた頃,駅4つ隣りの梅ヶ丘に探索に行った.かつて住んだ家はあったが,駅も町も変貌を遂げ自分が完全に青春から脱出したことを感じた.「過去の住居をめぐるツアー」はもうしていない.
08.07.25 手書きパート譜マル秘技術
長年蓄積してきたパート譜製作技術の大公開です.学生を終えて「さあてどうやって飯食おう」とか思案した事の一つが写譜屋である.これは仕事としては成立しなかった.徹夜出来る体力がなかったからだ.しかし先輩やら演奏家に怒鳴られながら技術は磨いてきた.元々譜面は綺麗に丁寧に書けた方だ.
最初のオケは「毎コン」本選,大学3年の時.パート譜は全部NHKが作った.校正をどうぞと仕上がった譜面を渡された.スコアでは木管金管は1段に二つのパートを書く.今では1奏者に1段あてがうように書いているがこの当時は従来のスタイル.ピアノ的論理で臨時記号はその小節終わりまで有効と思っていた.パート譜になったら,上のパートに書かれていても,下のパートには効力発生しないのだ.写譜屋は正確に作曲家の書かれた譜面を写す.余分に記入なんてしない.これはカルチャーショックを受けた.
その後何曲も書いて今日に到るのだが,思い出した順に失敗を書こう.一段下のパートを写し取ったミス.小節数を間違えたミス.もちろん臨時記号,音部記号ミスはごくごく当たりまえ.
ルーマニアのオケで初演するに当たって,日本人指揮者から「こちらに上手いのがいる.価格はドイツマルク(当時はユーロではない)で1万5千円位」この話しは天にも昇る思いだった.日本で当時30万位だったかな,これが20分の1!!! リハーサルに臨んだら意図どうりの音量の変化が表現されない.「楽譜通り!!!」って何度怒鳴っても父親のようにやさしく語っても,大学の先生のように学術的に伝えても思いどうりにならない.日本に持ち帰って見直したら,スコアには綿密に記入してある松葉マークがパート譜でズサンに書かれている.彼らは楽譜どうり演奏したんだ.
今回は1パートを最後まで書いて,それから次のパート..という方式は取っていない.今は木管金管を同時進行させている.練習番号の変わる所まで書いて,次のパート.これも同じ練習番号まで...書いたらまず小節数を数える.これはスコアコピーに記入してあるが対照する.ここで数が違っていたら飛ばしたわけだから即座に直す.
この方法のいい点はミスがすぐに発見出来るという事だろう.最後まで書いて最初の方に飛ばしミスがあったら,泣きたくなる...泣いた事もある.同時進行させるのは短期記憶を生かせる利点がある.
ホンの一部の公開で,そろそろ写譜開始時間だから今日はこれまで.これを読んでいるであろう若い読者はパソコン制作世代だから,殆ど役に立たないかな.
少ないリハーサル時間は音楽的注文に費やしたい.譜面上のミスで時間をロスするのは誠にもったいない.
08.07.24 パート譜書き始め=推敲開始
3日前からパート譜を書き始めた.外注すると数十万円になる製作費の節約もあるけれど,捻出出来ないわけでも無い.スコア推敲の方法としてパート譜を自分で書く事がベストだと判断したので,自分で起こす以外に方法が無いのだ.他の作曲家はどうしているんだろう.殆ど外注しているみたいだ.
始めて見るとやはり音ミスがあちらこちらに見つかる.集中力欠いている時書いたページは移調楽器に要警戒警報であるが,案の定ミスが見つかった.
一番の問題はアーティキュレーションの変更である.アーティキュレーションとは音の属性の一つである.高さ・長さ・強さ,これらは最低書かれないと奏者は対応出来ない.もちろん「ご自由にどうぞ」と奏者の即興性を期待する方法もある.
それに加えてレガートの長さ・スタッカート・ハーフスタッカート・テヌート・強さの変化・何種類かのビブラートの指定・(未だ未だあるけれど省略)などなど,奏者の誤解を避けるために,その個所に一番相応しい(と思える)記号の配置する.これらは僕の作品の根幹に関わっているから綿密な要求が書き込まれる事となる.
その時の思いで書いたアーティキュレーションも全体から見直すと変更を迫られる事がママある.「そこだけ変更」もあるけれど,作戦変更的な所があるから,あちらこちらのページを同時に直す事がある.途端に能率が低下する....今まさにこの状態である.今朝も朝5時から鉛筆握っているけれど昨日変更した所の再変更を思いついて消しゴムの使用量がぐんと増えている.
「パソコンで作らないの?」と質問をよく受ける.これは僕向きでないのです.スコアだって手書き.パソコンがあと15年早く世に出ていたらそちらに乗り換えたと思うけど,ヤッパリ手書きでないと,書いたという実感や達成感が無いのだ.コピー取った譜面見ていても,手書きならその時の思いを思い出せる.それが作り上げる原動力になっている.パソコンはソフトを使い慣れていないからひどく能率が悪い.
手書きスコア見直しで辛いのは,びっしり詰まったページに,「あと1小節追加したい」などの思いに駆られた時だ.パソコン作業なら楽なのに手書きだと10数ページに亘りスコアの書き直しを迫られる事がある.たった1小節のためにだよ.泣きたくなる.泣いても思いを遂げるか,思いを引っ込めるかの決定を迫られる.
東京交響楽団へのスコア提出日が8月28日,本番2ヶ月前.パート譜提出は9月28日,本番1ヶ月前.しかし8月第3週にはパート譜が上がっていないと完成スコアが提出出来ない.推敲のためのパート譜作りなのだから.パート譜の推敲はこの後....
今年の夏も余暇にならず,こうして終わるんだな.....
08.07.14 作品完成!!!
ようやくオケ作品が複縦線まで達した.完成と言ってもまだまだハープや打楽器などに不完全な所が沢山ある.記譜上一貫性に欠けるところが散見される.記号解説や奏者・奏法に対する指示を作り,表紙を作り....作業は山のようにある.今週は書き込み週間だ.
「フリーズ」というタイトル,これは「凍る」と言う意味だが,順調に流れていくかのような進行が突如停止させられる....と言った趣である.知人が「だるまさん転んだ...のあれだね」と言っていたが,妙に当を得ている.
ルーチョ・フォンタナ(1899-1968)というイタリアの美術家をご存知だろうか.キャンバスをナイフで切り裂いた彼の作品は不気味な沈黙と頑固な意志の透徹さとを感ずる.東京で回顧展がずいぶん昔あり作品群に接し,いつかあの静寂さ純粋さをものにしてやろうと思っていた.これが衝撃の第一.
2001年9月11日にアメリカ同時テロが発生した.この事件で世界が一瞬で変わる事を見る事となった.衝撃第二.
前から考えているアイディアの一つ...一瞬で変わる場面転換...この事と二つの衝撃が僕の内面で混ざり合いようやくフリーズという作品に辿り着いた.
2001年に書いた<連続・非連続>11弦楽器のためのという作品がある.未発表のままになってしまっているがこうした傾向をハッキリと打ち出した.2006年に<風の行方...>五奏者のために(編成Flute・Piccolo, Oboe, Clarinet, Trombone, Double Bass)を書きこの中でアイディアを徹底した.2007年には <フリーズ !>五奏者のため(編成 Flauto・Flauto Contralto,Oboe CornoInglese,Clarinet,Viola,Contrabasso)を書いたが,タイトルに 「フリーズ 」という文字を用いた.それで今回の作品<フリーズ IV>は「4作目だよ」という事である.
08.05.21 一人暮らしの叔母が脳梗塞で倒れた!
叔母が脳梗塞で倒れた.2月下旬の事である.独身一人暮らしの80才,異変に気づいた近隣に発見され病院に運ばれた.1ヶ月が過ぎ,僕と同い年のイトコから叔母の姉である僕の母に連絡があり僕はそのことを知った.困ったさんの叔母は姉から毛嫌いされていて「関わるな」と言う.そうもいかないからお見舞いに行った.右半身不随となり言語能力も危なくなっている.でもまだ僕の名前ぐらい分り姉の名前も言えた.
それからまた1ヶ月過ぎ,塞がれた先の神経が壊死し言葉も記憶も失った.病院の話によると自分が病院にいる事すら理解しなくなっているのではなかろうかとの事である.
病院の支払いは滞ったままである.貯金通帳が発見され,年金がきちんと振り込まれている事を病院は確認し,未払いのまま今日に至っている.通帳から下ろそうにも暗証番号分からず,印鑑があっても他人の通帳だから正しくは委任状が必要で,そんなもの書けるなら暗証番号聞き出せる.そうした能力を一切失ったのだ.
病院は成年後見制度の利用を勧め,イトコがそのための書類集めを始めた.これが大変である.まず書類を入手するための移動距離,市役所,裁判所,いずれもイトコの家から遙か遠い所にある.叔母は2つの市境に住んでいて,運ばれた病院は隣の市であった.家から病院は遠くは無いけど,市役所どうしが近いはずが無い.
本人の住民票や戸籍謄本を取るにしても要するに他人である甥が取りに行くわけで,簡単に役所は出さない.それでもイトコ夫婦は労苦を乗り越え,ようやく書類が整い制度利用まで2〜3ケ月という所まで来た.通帳から引き出したり,買い物など資産使用保全に関して厳格に裁判所が監視する事となる.だから手続が大変なんだ.猫ばば許すわけにはいかない.
体の機能は失われても内蔵器官に問題があるわけでないので長生きする可能性もある.
リハビリ期間の半年越えたら病院出なきゃならない.その時は家屋敷全部売り払って,イトコの近くの介護付老人ホームを探す.これしか思い当たらない.後見制度がスタートすればこれも可能になるハズだ.
資産記入欄が書類にあり,保全また掃除ぐらいと思い,イトコと家に行ったが全くのごみ屋敷である.ウチの母もモノが捨てられなくてひどい状況であるがそのレベルを超えている.
こうして叔母は今自分が何者であるか分からなくなったが,リハビリ棟の完全介護の中で,人生の一番良い時期送っているのかもしれない.
親父も晩年脳梗塞を患い,数年辛い思いして12年前に亡くなった.ホントは今年13回忌なのだけど,母の「何それ?」で話が終わった.
人の死亡率は100%である.であるが皆自分が死ぬのは取りあえず後回しと思っている.どうやって死んだら良いのか.高血圧で一挙に..なら良いのだけど,うっかり助かって...半身不随はいやだ.老衰!これとて身体機能や知的判断が失われて生きているとすればいやだ.案外癌が良いかもしれない.痛みとの戦いで辛いかもしれないけど,生の期限をハッキリ宣告される.手術なんてやめて生きているクオリティーを高くしたまま終えるとしよう.若いうちは悔しいだろうが,ここまで来ればまあいいか.でも今の食生活では脳溢血も癌も遠そうだ.
生は有限だから積極的な人生展開があるのだ.ハッキリとした〆切期限あれば不安から解消されるに違いない.
08.05.06 眼=五線紙は大きくなりにけり
オケを書き始めて立ち往生しているもう一つの理由が眼問題だ.あの細かい五線紙に細密な音符を書き連ねるのはとても辛くなった.視力は0.08らしい.メガネは3つ使っている.外歩き用,ピアノ弾き用,譜面書き用である.所がこの一番弱いのですらスコア書くのにはきついのだ.仕方ないから裸眼で猫背になって譜面に向かう.当初3管編成で書き始めた.B3の46段.一番上を書いていると下が判らなくなる.2管編成に作戦変更してA3の36段.細かさは変わらないが辛うじて全体が見通せる.
46段というのは実は1枚420円もする.裏表合計4ページ使えるが裏には書かない主義だから1ページ210円となる.50ページ書いたら1万円超える.下書き用もあるから2万円となる.おまけに大き過ぎてコンビニでコピーが出来ない.以前家の近くにコピー専門店があったが1枚60円した.
数年前から室内楽の五線は相当大きくなって来ている.市販されているのでフィットするのが無いから,間隔を調整して作り直してコピーを取り使用している.この話しをしてたら,フィナーレで作る,というのは当然として,エクセルの線幅を調整して作っているという人がいた.なかなかの名案.室内楽はB4で書いているがこれ又規格外で,家庭用プリンターはA4型.普通の家庭はこれだよね.A3対応でないとB4は印刷出来ない.大きくて高いから手が出ない.A4で作って拡大というアドヴァイスもあるが,仕上がった美しさがねえ.
コピーで作った五線紙というのは書き味ダメですね.表面ざらざらしていて鉛筆の乗りが悪い.でも仕方ない..と思ってたらローソンの新しい器械は表面さらさらしてて書き味ぐんと向上している.
さて眼の衰えは初見力にも当然影響がある.学生時代のバリバリに比べ雲泥の差となった.多分動体視力の衰えだろう.動体視力とは動いているものを瞬時に捉える視力であり,野球やサッカーなどではおなじみの言葉である.初見力も似た所がある.次々と動くように飛び出す音符を捉えるのはこれではないか.
初見力の落ち込み,書く五線紙が大きくなること,どっちも同じ眼の衰えなのだろう.それが作曲する編成,時に内容に影響を与える事にもなるのだと悟るようになった.
08.04.29 耳=絶対音感/移動ド/固定ド
僕の耳を理解していただくのは中々大変だ.絶対音感を持ちながら移動ドだからだ.この事で混乱した事は無い.絶対的音高はドイツ音名のみで把握して,旋律が流れ出した途端移動ドの階名が自動的に浮かんでくる.転調すると言葉が新たな調のドレミに自動的に変化していく.無意識中の無意識.これで何の不自由も無く中3までやって来た.
父親は直ぐ下の妹にも一緒に教育を施していたが,妹は完ぺき固定ド.そう考えるとこれは生まれつきのような気がする.
高校に入って当然の如く固定ドに変更させられた.困難な戦いが始まる.長調の主音をドと感じているのに,ドイツ音名でしか認識出来ない絶対的な高さを,ラテン語圏のドレミであると意識し翻訳する作業である.常に緊張を強いられた.最後にほっとした途端.ド,又はラと発音して笑われ,泣きたくなった.慣れてくると今度は転調システムの把握が不自然になった.転調と借用の線引きなんて実は難しく,移動ドで何となく自然にやって来た事を論理的に意識せざるを得なくなり.逆に混乱が生ずるようになった.
無調になったらどうするのか.中3までは無調なんて知らなかったが,その後調が見えなくなった途端,ドイツ音名とドレミ音名は完全に合体一致しているから問題は起こりようが無い.今でも調性のあるものは黙読している時は完ぺき移動読み,口をついて出るのは慣れた固定ド.いかに海外生活長く現地語で生活してても,夢は母国語で見ている,こんな状況だと思う.
自分の短所に「暗譜が出来ない」というのがある.特にフーガやソナタの展開部は最悪の状態となる.大学を出て思う事あり移動ドに人たちに聞いて回った.皆同様の事を言っている.考えて見ると同じ旋律が調を替えてあの手この手で登場するわけで,その登場人物の名前が移動ドでは皆同じなのである.つくづく暗譜しなければいけないピアニストにならなくて良かったと思った.
移動ドの長所として自覚しているのは移調奏が楽だという事.チョットした曲なら半音全音の上げ下げは何の苦もなくやってのけられた.頭の中で和声と旋律をシステムとして一挙に移調先に移し替えて後は指の問題.だから歌の伴奏者としては大変重宝がられた.
移調奏を「ハ音記号利用による論理的なシステムで行う」,というのは卒業後覚えた方法である.難しい曲はこっちの方がスムーズであるが,全てのハ音記号に習熟し,置き換えの論理が完ぺきに頭に入っていなければ使えない.ある時期からこんな事に時間使うのは人生の損失だと思う様になり,高度システム習得を放棄した.
もう一つ良い点がある.ピタゴラスの旋律音程=導音を高めに取る,刺繍音の下側を少し上げるなどは,移動ド人間は無意識にやっている.完ぺき固定ドの絶対音感の人たちにこの事を理解させるはホントに大変だ.ピアノのピッチとずれが生ずるから気持ち悪いと言う.
絶対音感があるのは不便な事もある.当時LPレコード時代,名曲喫茶に入ったらベートーベンの運命が半音高いcis mollでかかっている.耐えられなくなって,レジに行き「スミマセン直して下さい」,けげんな顔した店員に調整してもらった.もちろん店員に判るわけないよね.「もうチョイ...ホンの少し...」は僕の指示.
所がその絶対音感が揺らぎ始めて随分年月が経つ.10年以上前の事だ.行ったコンサートでハイドンのD dur弦楽四重奏が演奏されていた.展開部に入り暫くしてハッと思った.なんとAs durへ転調している.この時代にそんな転調はありえなくて頭が混乱し,必死に開放弦の音色を探し続けた.開放弦は他と異る音色を持つからすぐ判る.その音色が全て半音ずれて聞こえている.耳のスイッチがずれた事を自覚し,懸命に開放弦頼りの戻し作戦に挑んだ.修正スイッチが入った途端一瞬のうちに正常な把握に戻った.音楽会を楽しむどころではなくなった.
それ以来こうした事は度々起きている,半音だったずれが全音の事もある事が分かった.耳の老化(僕は劣化と言い張っている)現象だと思う.低く認識しているのか,高く認識しているのか,実は分からない.咄嗟に焦り一瞬のうちに戻る.上か下かの記憶は未だに曖昧である.
友人の木管楽器奏者であるが,右の耳と左の耳が別な高さを認識し,更に運指はそれと別だというので気が狂いそうだと言ってた.病院で精密検査受けたが異常なしと言われたそうだ.要するに劣化現象を自覚せざるを得ないのである.
08.04.20 3管→2管へクオリティーのアップ
今日はオーケストラプロジェクト総会が池袋芸術劇場会議室であった.昨年度の収支報告,今年の確認,新入会員,来年度の決定など...事務局は今まで柳田孝義さんの所に置いてありましたが,今年から山内雅弘さんが引き受けて下さいました.どうも有り難う.
昨日プールに行った.泳ぐのではなく,水中歩行.もう数年続けてます.週1回50分.夏も冬も出来るスポーツはこれしかなかった.
水かき歩きながら,今書きつつある3管編成を2管編成に変更する事を思いついた.3管の楽器の多さが今の状態を悪くしているような気がする.後期ロマン派のような図体のデカイオケは僕には邪魔で,アーノンクールのヨーロッパ室内オーケストラのような響きを現代の音楽で出せたら良いなと思ってます.
08.04.15 間に合うだろうか....
...昨日も随分歩きました....歩きながら考える質だから,家にこもっていても五線紙は埋まらない.この所恐怖感が増していて,朝起きる時間がドンドン早くなってます.昨日は4時半.今日は5時
見えない世界に漕ぎ出していて不安の連続で,これは宿命.脳科学者の茂木健一郎氏は喜びが脳を活性化させるという.そりゃあその通りだろう.早くこのトンネルを脱出しないとね.
今の計画では10月コンサートのオケスコアは3度書き直す予定です.一度荒書き完成させ,2度目はデフォルメ実行.スコアを引き裂くようなコラージュ.オケレーションも訂正し,3度目が完成清書.間に合うだろうか.全く無駄な作業に思えるけど,僕にとってはこれが脳の喜びなのだから仕方ない.
この前のオケでは45ページのスコア書いて自分でパート譜起した...スコアに修正が続出していて1ページ当り10ヶ所以上の直しが入った.合計500個所弱...これじゃ人に頼めないよ...今回もそうだろうな.
予算組めないわけじゃない.でも修正...というより各パートの完成度を上げるための推敲というのが事実だから,やっぱり自分で書くしかないだろう.もちろんパソコン制作なんてやらない.手書き.
ブログ風に